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コラム - オピニオン -

20%の時間は冒険に -キャリアの新たな展開に向けて

日本物理学会 キャリア支援センター長 坂東昌子 氏

掲載日:2008年6月4日

日本物理学会 キャリア支援センター長 坂東昌子 氏

坂東昌子 氏

 

日本物理学会は、文科省の委託をうけ「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」を開始した。この事業は、1996年から始まった科学技術基本計画に基づくポストドクター(PDと略す)1万人計画の結果、訓練をつみ磨きをかけたPDのキャリアパスを多様化し拡大することを目的とする。受託先のほとんどは大学や研究所で、PDへの職業斡旋、それにマッチするPD訓練の場の提供などが主な仕事である。しかし、研究活動の重要な担い手である物理のPDへの直接的なキャリア支援活動だけにとどまらない。PDのキャリアパスの開拓はまた、未踏の学問領域を切り開き、ひいては科学の発展と科学技術立国としての長期的展望を構築するだろう。

キャリアパスは、企業など既成の領域のみではない、むしろ、物理学という学問の特性を基に将来的展望を見据えて、具体的なキャリアパスを開拓することである。グローバルな日本でのPDの状況を把握し調査データに基づいて数量把握を行い、さらに、需要と供給のバランスを予測したキャリアパスを実現するには、単にキャリア多様化の実績のみならず、政策提言も必要となると考えている。ここでは、唯一学会として受託した物理学会が、その伝統と見識・さらに全国展開できる強みを生かして、未開のキャリアパスを創生する試みに焦点をあてて、その具体例を紹介する。

その1つが物理医学への道である。がんは国際的にも切らない治療へと大きく方向転換を始めた。のみならず、医療分野では診断のための測定など専門的な物理のバックグランドが必要不可欠であり、物理学・医学博士という複数のキャリアパスの制度化の検討が必要な時代となった。米国ではすでに5000人を超える認定物理医学士が医療分野で活躍中だ。それに比べ日本は医学物理学会が認定する物理医学士の数は一桁以上少ない。人口は米国の半分だからはるかに遅れをとっている。ようやく今年度からいくつかの大学で物理医学コースカリキュラムが始動、物理学会員が担当している例が出てきた。

こうした中で、キャリア支援センターは、放射線医学総合研究所の見学に加え、物理医学会と協力したシンポジウムや学問的課題と将来を見据えた研究会、大会では「ビーム物理」で特別企画を組み議論が深まった。PDの関心も急速に高まり、ここ半年の間だけでも求人公募に50名を超える応募があり、実際に物理医学士の道を歩み始めた物理博士は10名を超える。今後さらに医学物理学会など、医療分野との連携をとり、国家認定制度を確立させるために物理学会も役割の一端を担っていく必要があろう。

教育分野への人材活用の道も重要である。最近の国際学力調査(PISA)で、日本は特に理数系のレベルが凋落し関係者にショックを与えた。資源がなく科学技術立国を謳う日本にとって人材育成こそが国の将来を決める。特に理数系教育は、人格形成にも重要な役割を果たす。明治の日本で、「究理学(物理学)」が、インテリ形成の骨格として位置づけられ、論理的科学的な思考力をもつことが、筋を通した生き方につながり人格形成の一部だという気風があった。昨今、教育分野でいじめ対策や管理だけが重要視され、科学的精神を培う気風が薄れているが、理数教育の充実こそ、筋の通った教員の姿勢につながる。楽しく面白く教えてこそ子供たちも理科が好きになる。

折も折、教員免許更新講習会が実施されることになった。全国の教員数はおよそ100万人、年間約10万人の規模の講習会は、教員のレベルアップの機会ではないか。小学校教員のほとんどがいわゆる文系に属し理科が苦手だ。日進月歩する現代の科学技術の真髄に触れ、壮大な宇宙の構造や極微の世界で起こる現象が、日常の現象とつながっているロマンや、統一的な理解を可能にする科学のロマンを知ってもらい、理科好きの先生になる機会を提供できる機会を免許状更新で増やしてはどうか。

免許状更新講習会を真に有効に「行うためには、新しい教育機器やメディアを活用しネットワーク配信による効果的なe-ラーニングプログラムが必須である。重要なのは、この際、質の高い講師団(メンター制度)を確立することである。「知る喜びを知っているからこそ、科学の面白さを伝えられる」、これが今、博士たちへのキャリアセンターのメッセージである。

企画を進める中で、教育に情熱をもつ若手が自ら組織し、科学教育若手研究会を立ち上げ、パワフルに活動を開始している。すでに、教育分野への道を歩みだしたPDも出てきた。若手組織と連動して、定年退職後の学会員がその経験を伝授する仕組みも準備中である。このパワーを1つにして、e-ラーニングの教材作りや理科実験機器開発を全国展開で推進したいと計画中だ。教員免許状更新自身にはさまざまな問題点も指摘されているが、何はともあれ、この機会を教員のレベルアップのためのジャンピングボードにするくらいの意気込みが必要でないか。

「教育にルネッサンスを」とスローガンを掲げ、今、学会は動き出そうとしている。始まったばかりの、職業領域を広げ、かつ学問領域を広げるロマンの香り高い取り組みを実りあるものにするためには、学会員が狭い専門にとどまらず、高く翔く気風が必要である。若手だけでなく全学会員が、「自分の時間の20%ぐらいは専門を少し離れ冒険する時間を持ち、視野を深め広げてみては」という提案をしたい。これを「20%ルール」という言葉で表してみたのである。

20世紀は個別の学問領域の進化の時代であった。21世紀はこれらを統合し、環境・いのち、くらしといった広く社会のさまざまな問題に科学が挑戦することが望まれる。ここでは、2つの典型例を紹介したが、ロマンのある挑戦で、21世紀型の科学をさらに豊富にしていきたいという夢を抱いている。物理学会がどのような変容を遂げるか見守っていただきたい。

 

日本物理学会 キャリア支援センター長 坂東昌子 氏
坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)

坂東昌子(ばんどう まさこ)氏のプロフィール
1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。研究者、父母、保育者が勉強しながらよりよい保育所を作り上げる実践活動で、京都大学保育所は全国の保育理論のリーダー的存在になる。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。

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