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コラム - オピニオン -

スタチン開発から学んだこと

バイオファーム研究所長 遠藤 章 氏

掲載日:2007年10月24日

バイオファーム研究所長 遠藤 章 氏

遠藤 章 氏

 

米国に留学していた1960年代後半、彼の地では冠動脈疾患が死亡者数の断トツ1位だった。日本はがんと脳卒中が1位と2位を占めていたが、食生活の欧米化が進めば冠動脈疾患の患者が増えると考えられた。同疾患の重要危険因子は血中コレステロール濃度が高まる高コレステロール血症だが、有効な治療法はなかった。私は血中コレステロール濃度を下げる薬の開発に興味を持つようになり、帰国後の1971年に研究を始めた。

コレステロールは肝臓で合成され、合成速度をつかさどるHMG-CoA還元酵素が知られるようになっていた。この酵素の働きを阻害すればコレステロール合成が抑制され、血中コレステロール濃度の低下が期待できる。こうした働きを持つHMG-CoA還元酵素の阻害剤、いわゆるスタチンはコレステロール低下剤の有力候補になる。私は研究テーマをスタチン探索に定めた。

通常、新薬は天然物質や合成化合物などの中から候補物質を探す。私は天然物質、特にカビとキノコに絞って探索に乗り出した。それにはいくつか理由があった。欧米の研究者も同じ理屈からスタチン探索に乗り出すことが十分考えられ、だとすれば、合成化合物をターゲットにする可能性が高く、彼らと競合したのでは勝ち目がないと思ったのが理由のひとつだ。

一方、私は少年時代からカビとキノコに親しんでいたのに加え、大学では我が国が得意とする応用微生物学(例えば醸造学)を学び、留学前の数年間はカビとキノコの酵素を研究していた。スタチン探索でも、日本の得意技と自らの経験を大事にすべきと考えた。カビのような微生物から候補物質を探す泥臭い研究に欧米の研究者が手を染める可能性はほとんどないと考えられた。

当初、スタチンを発見できる保証はなく、発見できても薬になる見通しもなかったので2年探して駄目なら引き上げる覚悟だった。当時の私は30代半ば。2年ぐらい棒に振っても後で取り返せるだろうから大きなテーマに挑戦してみたいとの思いもあった。

1973年、最初のスタチン、コンパクチンを青カビから発見した。試験管実験では効果が確認されたが、ラットの実験ではコレステロール値が下がらず、毒性も判明した。これらは解決できたが、発がん性があるとする誤判断がもとで、商業化には至らなかった。

1987年には2番目のスタチン、ロバスタチンが米国で上市され、その後さらに6種のスタチンが商業化された。1990年代半ば以降、欧米の大規模臨床試験でスタチンが冠動脈疾患と脳卒中の予防に有効なことが立証され、現在毎日3000万人以上の患者に投与されている。後日談だが、ほぼ同時期に米国でもスタチンを目指して多数の化合物が合成されたが、動物実験で薬効が認められるものはひとつもなかった。

コンパクチンを発見した時期は予定の2年を少し過ぎた頃だった。結果がよかったこともあるが、30代は研究者がリスクを恐れず大きなことに挑戦する最適の年代であることに後になって気づいた。素質があっても経験が浅い20代は早すぎ、自らの限界に気づく40代では遅すぎるのだ。自身の経験から得たこの教訓を若い研究者に訴えるとともに、行政関係者などは30代の研究者がのびのび挑戦できる環境の整備に一層の配慮をすべきだと思う。

スタチンの開発後も、私は自らの得意技と地の利を生かしたテーマ選びと戦法を優先して研究を進めてきた。その経験から学んだことのひとつは、新薬開発に限らず、我が国が欧米の後追いではない、独創性のある科学・技術を進めていくためには、自分たちの文化と長所を見失ってはいけないということである。

本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2007年11月号から転載

 

バイオファーム研究所長 遠藤 章 氏
遠藤章 氏
(えんどう あきら)

遠藤章(えんどう あきら)氏のプロフィール
1933年生まれ、57年東北大学農学部卒業、三共株式会社入社、66年東北大学農学博士、75年三共株式会杜発酵研究所研究第3室長、79年東京農工大学農学部農芸化学科助教授、86年同教授、97年株式会社バイオファーム研究所代表取締役所長。2006年スタチンの発見と開発の業績で日本国際賞受賞。

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