オピニオン

日本の技術者は使い捨て(引野 肇 氏 / 東京新聞・中日新聞 科学部長)

2006.11.27

引野 肇 氏 / 東京新聞・中日新聞 科学部長

東京新聞・中日新聞 科学部長 引野 肇 氏
引野 肇 氏

 わたしは大手機械メーカーで10年間、エンジニアとして働いた後、新聞記者になった。正確にいうと、フランス留学の1年半を除いた8年半ほど、ディーゼルエンジンの設計に携わった。

 エンジニアをやめた理由は、日本という国が技術者を大切にしない国だと知ったからだ。小さなころから数学や物理、化学、生物学が大好きで、「技術立国日本の礎」になりたいと大学で工学を学び、一日も早く設計がしたいと、大学院には進まずメーカーに就職した。

 しかし、世の中に出て目撃したのは、若いうちは夜遅くまでコンピューター相手にサービス残業でこき使われ、歳を取ると中間管理職として使い捨てにされる、くたびれ果てたエリート技術者の姿だった。

 中村修二・カリフォルニア大教授が、もといた日本のメーカーを相手に裁判を起こしたとき、「冷遇される日本の技術者を“奴隷解放”する」と宣言した。わたしがメーカーに就職した30年前から今まで、そんな技術者冷遇の状況はほとんど変わっていない。

 転職する時の日本人とフランス人の反応の違いが面白かった。フランス人の友人は「どうしてエンジニアをやめてジャーナリストになるの。日本ではジャーナリストの方が給料が高いの?」と、全く理解に苦しむと言わんばかりに聞かれた。わたしはその時、「そうか、フランスではエンジニアの方が高給でいい職業と思われているのか」と思った。

 一方、メーカーの同僚からは「いいねえ。マスコミは給料がいいっていうからねえ」とうらやましがられた。

 この技術者冷遇の社会構造は、最近、いっそう悪化しているように思える。わたしが工学を目指した1960年代はまだ、「科学技術は正義の味方」だった。科学者という言葉に憧れを感じた時代だった。科学技術の進歩が、飢えや病気、貧しさを解決してくれるとみな信じていた。

 ところがいまはどうだ。化学物質という言葉を聞けば国民は何だか体に悪そうだと思う、農薬といえばいかにも食品の敵扱いだし、原子力といったら怖いと感じる。おかげで、大学の理工系入学希望者が年々減っているとか。こんな状態では、「科学技術立国日本」の看板を下ろす日も近い。では、日本は金融立国になるのか、それとも農業立国か、はたまた観光立国なのか・・・・。

 わたしが新聞記者になった理由は二つある。一つは「面白そうな仕事だな」と思ったからである。これは確かにそうだった。いまでも転職してよかったと思っている。

 もう一つは「日本の子どもたちに科学の面白さ、技術の面白さを伝えたい。少しでも科学者、技術者の社会的地位を向上させたい」ということだ。エンジニアの道を捨てた私の罪滅ぼしでもある。でも、一人の記者ができることなどたかがしれている。最近「若者の理工系離れ」が声高に叫ばれるようになり、やっと危機感が生まれつつあるが、それでも技術者使い捨ての社会風土はそう簡単に変わるものではない。

 時々、高校や大学の同窓会が開かれる。わたしの同期には、技術系の道を選んだ人が多い。しかし彼らの子どもの進路を聞くと、父親と同じ技術系の道を選んだという話はほとんど聞かない。父親のような道は選びたくないということなのだろう。

 この科学技術立国日本の凋落を食い止めるには、どうしたらいいのか。総理大臣や大臣、事務次官に理工系出身者を、画期的な発見・発明をした人に相応な報酬を、企業や研究所の理工系職種の待遇改善を…など言いたいことはたくさんあるが、どれもこれも簡単ではない。

 イチローや松井が野球の面白さを子どもたちに教えてくれたように、一記者としてせめて、こどもたちが夢見るような研究者・技術者のスーパースターを日本で育てるお手伝いができないか、といつも思っている。

東京新聞・中日新聞 科学部長 引野 肇 氏
引野 肇 氏
(ひきの はじめ)

引野 肇(ひきの はじめ)氏のプロフィール
1976年 東京大学工学部航空学科卒業、同年 大手機械メーカーに入社、ディーゼルエンジンの設計に従事 79年から81年 フランス留学、86年 中日新聞社入社、科学部、社会部、宇都宮支局長を経て現職。

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