コラム - ネクストブレイク -

[シリーズ]ImPACT 未来開拓者の系譜
第4回「スピントロニクスで拓く究極のエコIT機器社会」(1/2)

ImPACTプログラム・マネージャー(PM) 、東北大学名誉教授、リサーチプロフェッサー 佐橋政司 氏

掲載日:2016年2月15日

超伝導マグネットを冷却する画期的な磁性蓄冷材を開発し、世界初の「GMRヘッド搭載HDD」の開発でプロジェクトを指揮。数々の成功体験を重ねてきた佐橋政司PMが、世界が注目するスピントロニクス技術を結集させて無充電で長期間使用できる究極のエコIT機器の実現に挑む。

好きな教科は数学 大学院で化合物磁性の研究へ

佐橋政司 氏
佐橋政司 氏

佐橋PMは岐阜県多治見市に生まれ、愛知県立明和高等学校へと進学する。

「子供の頃から特に科学に興味があったというわけではありません。ただ教科では特に算数、数学が好きで、得意でした。数学の論理的な考え方が気に入っていて、同時に理科の物理と化学に興味を持ちはじめました。高校では、硬式野球をやっていた頃は運動と勉強のバランスが取れていて、成績もトップクラスでした。勉強だけというのはやはり良くないですね」

名古屋大学工学部 金属・鉄鋼工学科に入学したが、第一希望ではなかったという。

「浪人することも考えたが、本多光太郎(ほんだ こうたろう)先生の孫弟子で、東北大学の理学部物理学科出身の安達健五(あだち けんご)先生の金属の電子論に感銘し、踏みとどまりました。そして後に安達先生の物性物理学講座(研究室)を選び、化合物磁性の研究に取り組みました」

大学院修士課程に進学し、鉄鋼工学専攻で修士課程を修了。博士課程に進むことも考えたが、物理でやって行く自信が持てずあきらめた。

「当時は博士課程に進む人はあまりいなかったし、何より物理で博士号を取るのはかなり難しいと考えた。また、博士課程を終えても就職できずにいるオーバードクターをたくさん見ていたので、将来のことも考えて就職することにしました」

東芝の総合研究所で 画期的な磁性蓄冷材を発明

1974年に東芝に入社した佐橋PMは総合研究所に配属され、研究者生活がスタートする。

「2003年に退社するまでの29年間、多くの人と出会うことができ、良い研究ができたのではないかと思います」

佐橋PMは、希土類̶遷移金属間化合物の研究に従事し、磁性蓄冷材で大きな成果を上げている。

「MRI検査装置やリニアモーターカーで使われている超伝導マグネットは、液体ヘリウムを使って4K(ケルビン)の極低温に冷却する必要があります。液体ヘリウムは取り扱いが難しいので、GM冷凍機などの小型冷凍機を用いて簡便に冷却する方法はないかと考えましたが、これだと15Kまでしか冷却できず、液体ヘリウム温度までは冷却できないのが当時の現状でした。ところが希土類金属のある特殊な金属間化合物を使うと極低温まで冷却できる可能性があることを示唆する論文が、当時フィリップス社の研究所にいたBuschow博士から1975年に発表されました。しかし実際にやってみるとうまく温度が下がらない」

佐橋PMはこの希土類金属から成る磁性蓄冷材の研究に取り組み、1990年に現在3Kまで冷却可能なGM冷凍機で用いられている磁性蓄冷材「エルビウム3ニッケル(Er3Ni)」の開発に成功した。

「この磁性蓄冷材を使うことで、液体ヘリウムを用いることなく、気体ヘリウムだけで3Kまで冷却することが可能になりました。Er3Niの発見で、Buschowの論文が発表されてから15年目にして初めて磁性蓄冷材の効果が実証された瞬間だったわけです」

東芝はこの磁性蓄冷材の特許で、冷凍機やMRIなどのシステムも含めて、世界を独占。この業績で、佐橋PMは「エネルギーおよび環境に関する優れた技術開発」に対して贈られる岩谷直治記念賞を受賞している。

当時の佐橋氏(右)。アイオア州立大学のエイムズ研究所の室温磁気冷凍研究者とともに
写真.当時の佐橋氏(右)。アイオア州立大学のエイムズ研究所の室温磁気冷凍研究者とともに

パソコン普及前夜に ハードディスクの未来を予測

「主任研究員になると、社内的には課長クラスになるので、自分の好きな研究ができるようになります。私も35歳の時に主任研究員になって、さあこれからだと思っていたところ、グループ長に任命され、その後企画グループの管理課長になるようにとの辞令を受け てしまいます。この部署は研究所内から将来の幹部候補生と期待される人材が集められていたようですが、研究ができなくなるので、最初は困ったことになったと思いました。

当時の総合研究所は全体で2500人くらいの研究者が在籍していて、機械、エネルギー、情報、通信、半導体、化学材料、金属・セラミック材料など、ありとあらゆる分野の研究を行っていたので、各部門からやってきた研究者たちと交流を持つことになりました。私は磁性体の研究が専門でしたが、他の分野の研究者と議論していると、研究テーマの設定の仕方など考え方の幅が広がり、勉強になることが多かった。結局、2年間在籍しましたが、今から思うと、私にとっての転機になった時期でした」

1991年、IBMが世界で始めて磁気抵抗効果(MR)を活用した読み取りヘッドを採用し、1平方インチあたり1Gビット(1Gbit/in2)の壁を越えるハードディスクを発表した。当時IBMは、ハードディスク(HDD)開発では世界のトップを走っており、東芝のHDD事業もIBMを追随する状況だった。

「当時はHDDの記録密度が頭打ちで、これ以上の大容量化は無理だろうと言われていました。ところがIBMがMRヘッドでその壁を越えてみせた。さらに1987年に発見された巨大磁気抵抗効果(GMR)を活用すれば、さらなる大容量化が可能になると考えられていました。また1993年には、マイクロソフトのWindows3.1がリリースされ、パーソナルコンピュータが普及し始めようとしていました」

パソコンが普及すれば、扱うデータ量も飛躍的に大きくなっていくだろうし、大容量HDDの需要も大きく伸びるに違いない。佐橋PMは「時代の大きな変化」を感じ取り、東芝でも何か手を打たなければならないと考えた。

東北大学退職記念パーティーに集まったGMRヘッド開発プロジェクトの仲間たち
写真.東北大学退職記念パーティーに集まったGMRヘッド開発プロジェクトの仲間たち

世界初の「GMRヘッド搭載HDD」の 開発プロジェクトを指揮する

「ところが社内には何の計画もありませんでした。これではまずいと総合研究所の所長のところに幾度となく通って、GMRヘッドの開発プロジェクトを認めてくれるよう直訴しました」

しかし研究所内に具体的な研究成果があるわけではなかったので、なかなか所長からGOサインが出ない。一年以上通い続けて、ようやく開発チームを立ち上げる許可が下りた。

「最初は7人からのスタートでした。7人の侍ですね。私はそのリーダーとして、開発現場を指揮する立場でした。ゼロから仲間を集めて、今までなかったようなことを実現していくことに醍醐味を感じていました」

GMRヘッドの開発には、多くの部署、とりわけ事業部の協力も必要だったが、当時の研究所と事業部の間には良好な連携関係がなく、最初は冷ややかな目で見られていたという。

「世の中が大きく動こうとしていることから説明し、この波に乗らなければHDD事業の将来もないと訴えました。会社のトップだけではなく、開発現場を統括する技師長に直接掛け合って話を進めることもやりました。事業部と一体にならなければ、プロジェクトの成功はあり得ませんでしたから。かなりの反発もありましたが、これをきっかけに、研究所と事業部ががっちりと協力する体制が社内にできあがったと思います」

7人から始めた小規模のプロジェクトだったが、毎年設備投資を申請し、最終的には10億円を超える規模になり、全社プロジェクトになってからは、研究スタッフも40~50人規模にまで増員することができた。製品化には東芝だけではなく他社との連携も必要となり、佐橋PMはTDKとのアライアンス契約をまとめ上げた。

「東芝がTDKに技術を提供することでGMRヘッドを生産してもらい、東芝の事業部がそれをいち早く購入するという仕組みを作りました」

そして1997年、東芝は世界初のGMRヘッドを搭載したHDDを発表。すぐにIBMも同じ製品を投入してきたが、十分な性能を持つものではなく、東芝・TDK連合がデファクトスタンダードを勝ち取った。GMRヘッドの登場によって、HDDの容量は飛躍的に伸び続け、現在のIT社会を支える基盤となっている。

「東芝もTDKも、若い研究者の集まりでした。こんな経験はめったにできるものじゃないと。おかげで若くて優秀な人材を多く育成することができたと思います。若い人の意識を変える一番の薬は成功体験だと思います。大成功とまではいかなくても、何かを突破したという感覚を持てば、その後の行動様式も変わってきます。GMRヘッドの開発に参加した研究者で、後にベンチャーを起業した者もいます」

GMRヘッドの開発によって、佐橋PMは日経BP技術賞大賞、全国発明表彰恩賜発明賞、紫綬褒章など多くの賞を受賞している。

東北大学に移り より深い研究に挑戦する

2003年、佐橋PMは東芝を退社し、東北大学大学院・工学研究科電子工学専攻の教授に就任する。

「まさか私が大学の教授になるとは思ってもいませんでした。東北大学の高橋研(たかはし みがく)教授からお話があったから、決断しました」

大学では超微細電子工学講座(研究室)の教授として教壇に立ちながら、ナノ接点系スピントロニクスデバイスの研究をスタートさせた。

「企業の場合、研究成果を製品化へと、どんどんビジネスとして進めていく必要があるので、ひとつの研究をとことんまで詰め切ることはできません。せっかく大学に来たのだから、今までできなかった研究の深掘りをすることをやってみようと思いました」

大学で多くの学生を育てる一方で、大学内で「未来戦略懇親会」を立ち上げ、企業フォーラムなどを開催。韓国高麗大学校との間でナノマグネティックスについての共同ワークショップや、東北大学メディカルバイオエレクトロニクス教育拠点の国際シンポジウムなどを開催している。

University at Bu¬ffalo, State University of New
YorkのChopra先生夫妻と一緒に[Chopra宅にて]
写真.University at Bu¬ffalo, State University of New YorkのChopra先生夫妻と一緒に[Chopra宅にて]
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