コラム - ネクストブレイク -

ImPACT 未来開拓者の系譜
第3回「超小型『X線自由電子レーザー』が、いつでも、どこでも自由に使える時代」(1/2)

ImPACTプログラム・マネージャー(PM) 、株式会社東芝 電力・社会システム技術開発センター技監 佐野雄二 氏

掲載日:2015年11月5日

X線とレーザーの両方の特徴を併せ持つ「X線自由電子レーザー(XFEL)」は、 物質中の原子や分子の動きをリアルタイムに解析できる「夢の光」。 日本が世界をリードしている技術を、多くの研究者が自由に使えるようにするために メーカーで長年にわたってレーザーの研究を続けてきた佐野雄二PMが、 レーザー、プラズマ、加速器の技術を融合させて、XFELの超小型化に挑む。

佐野雄二 氏
佐野雄二 氏

目覚まし時計と大阪万博、そして卓球に熱中した青春時代

「私は東京都大田区生まれですが、当時は今と違って家の周囲は畑や田んぼが広がるのどかな場所でした。外で遊ぶのが大好きで、毎日昆虫を追いかけていたような気がします」

そんな佐野PMが科学に関心を持つようになったのは、家にあった目覚まし時計やラジオの存在だった。

「ラジオや時計の仕組みがどうなっているのかに興味を持つようになりました。なぜ音が聞こえるのだろう、なぜ正確に時間が分かるのだろう。そこで小学校低学年のころ、目覚まし時計を分解して確かめようとしたことがありました」

しかし時計の仕組みは分からず、元に組み立て直すこともできなかったため、母親からは大目玉をくらうことになったそうだ。

大阪で日本万国博覧会(1970年)が開催された時、佐野PMは高校3年生。1週間ほど会場に通いつめたそうで、アメリカやソ連の巨大なパビリオンに圧倒され、当時最新の科学技術の展示に「未来」を感じた。

一方、中学校から大学までは卓球部に所属し、勉強とスポーツの両方に打ち込んだ青春時代を過ごしたようだ。

大学院で核融合研究に打ち込み、就職後、高速増殖炉の設計に関わる

東京工業大学の物理学科を経て、大学院の修士課程では原子核工学を専攻する。 「物理学で理論を積み重ねていくことは好きでしたが、どうせなら現実の世界とつながるようなことがしたかった。そこで大学院では、核融合の研究を選びました」

当時、日本は中東産油国の石油戦略をきっかけとするオイルショックのただ中にあった。戦後、右肩上がりで進んできた日本の経済成長にも急ブレーキがかかり、石油一辺倒だった日本のエネルギー戦略も転換を余儀なくされ、核融合研究に関心が集まっていた。

修士課程を終えた佐野PMは、そのまま博士課程に進むつもりだったが、所属していた研究室の教授がアメリカへ行ってしまったために、進学をあきらめ、東芝に就職する。東芝では社内の研究所に配属され、佐野PMは研究者として働き始めた。

「大学院で原子核工学を専攻していましたので、エネルギー関連の研究を志望しました。当時社内では、高速増殖炉『もんじゅ』の設計が進められていたので、私は設計のためのさまざまなデータを集める仕事を担当するようになりました」

最先端の研究に関わっていると思うと「仕事は楽しかった」という。アメリカでも高速増殖炉の研究が進んでおり、佐野PMは入社した年にGE社との国際共同研究の実質的なリーダーにも抜擢される。

「インターネットがある今とは違って、手紙を書いて送っても、返事が来るのが早くて一週間後という時代です。社内に外国人の方もほとんどいなくて、海外の情報は国際会議を通じて得たり、海外に出張した人から聞いたりしていました」

レーザーピーニングの開発で原子炉の補修を実現させる

佐野PMが進めるImPACTのプログラムにもつながるレーザーの研究を行うようになったのは、1994年ごろ。

「そのころ、東芝では国の重要プロジェクトであるレーザーウラン濃縮技術の研究に大きく関わっていて、大出力のパルスレーザーの開発に成功していました。ところが冷戦の終了によって、解体された核兵器のウランが国際市場に流れるようになり、レーザーウラン濃縮技術が宙に浮いた形となってしまいました。しかし多額の予算を投じて開発した独自のレーザー技術ですので、何かに応用できないかという話になり、それを私が担当することになったのです」

さまざまな応用を検討する中で、実用化に至ったのが高出力のパルスレーザーを使って、原子炉内部の応力腐食割れ(ひび割れ)を防ぐ「レーザーピーニング」という技術だった。

「ピーニングとは金属の表面をハンマーで叩いて強くする技術のことで、ショットピーニングという小さな球を打ち付けて金属を強化する技術が既にありました。しかし原子炉内部でショットピーニングを用いるのは難しいので、レーザーを使ってみようと考えました」

佐野PMはレーザーピーニングの責任者として、自ら顧客のところへ足を運び、直接ニーズを聞きながら研究開発を進めるようになった。

「私はメーカーで育った人間ですから、最終的に製品を使える形で完成させることにこだわりたい。開発者がいくらすごい技術だと思っていても、それがユーザーに満足してもらえないものなら、意味がないのです。日本の大学には優れた技術がたくさんあるけれど、産業化になかなか結びつかないのは、コストを含め、ユーザー側のニーズとのギャップがあるからかもしれませんね」

レーザーピーニングの実用化の最終段階で、予期せぬ問題に出くわしたときも、最後まであきらめない覚悟で改良に取り組んだ。

「複雑な構造の原子炉内を、パイプと光を反射させる鏡を使って、40メートルもの距離を隔てた目標地点まで、正確にレーザーを飛ばす装置を組み上げました。ところがレーザーによってパイプ内の空気や、途中の水が温められることでゆらぎが生まれてしまい、正確にレーザーを照射できないことが分かりました。実規模の実験を行うまでは想像もしなかったトラブルでした」

原因の究明と解決に多くの時間を要したものの、レーザーピーニングは最終的に実際の原子炉で使用できる技術として完成。平成20年度の「科学技術分野の文部科学大臣表彰」を受賞している。その後は原子炉の補修以外の分野、例えば航空機の金属疲労の予防などに応用するための研究が進められている。

エアバスの英国工場にて。2009年6月
写真.エアバスの英国工場にて。2009年6月

X線自由電子レーザーを誰もが使えるように小型化する

2008年、佐野PMは文部科学省「最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム(フォトン・フロンティア・ネットワーク)」のプログラムオフィサー(関東拠点担当)に就任する。これにより佐野PMは、最先端の光科学技術の研究者とのネットワークを築くことになる。

「例えば東京大学、理化学研究所、大阪大学、京都大学などが、どんな研究を行っているのかが把握できるようになりました。これはImPACTを始める上で非常に有益でしたね」 しかし佐野PMは、当初ImPACTにPMとして応募するつもりはなかったという。

「その当時は、フォトン・フロンティア・ネットワークを成功させることに集中していましたので、ImPACTについて関心が高まりませんでした。しかし2014年になって、PMの公募が近づいてくると、東芝の社内や、交流のある大学の先生からも、『佐野さんのライフワークである光科学技術を発展させる良い機会なので検討してみてはどうか』という話があり、『夢の光』を実現するために真剣に考え始めました」

そしてImPACTに応募し、見事採択された佐野PMのプログラムは、レーザープラズマ加速を用いて、X線自由電子レーザー(X-ray Free Electron Laser: XFEL)を超小型化し、誰でもどこでも自由に使えるようにしようという壮大な計画だった。

「XFELは原子や分子の瞬間的な動きを観察できる、まさしく『夢の光』とも呼ばれるもので、それを使える施設は、現在アメリカと日本に2カ所しかありません。兵庫県の理化学研究所放射光科学総合研究センターにある「SACLA(SPring-8 Angstrom Compact Free ElectronLaser)」は、いわば全長700メートルの超巨大顕微鏡であり、日本の国家基幹技術に指定されています」

2012年から供用が開始されたSACLAを使った実験により、環境・エネルギー、素材・基礎物性、情報・デバイス、健康・長寿など様々な分野で革新的な研究が進められており、日本の科学技術を飛躍的に発展させるものと期待されている。

「私もレーザーピーニングが起きるメカニズムを探ろうと、SACLAで何度か実験する機会があり、非常に良い結果を得ることができました。しかし現状では利用許可を得るための審査も厳しく、実験に使える日数も短い。全ての研究者が自由に使えるわけではありません。SACLAは世界最高性能のXFELですが、EU、スイス、韓国などでも建設が進められており、日本の優位性をいつまで保てるかは分かりません。だからこそ、XFELをより多くの研究者が使えるようにすることで、幅広い分野で利活用が進み、その結果、安全・安心で快適な生活を送るための新技術・新産業の創出につながると思います」

SPring8で還暦を迎える。2012年5月
写真.SPring8で還暦を迎える。2012年5月
SACLAでの実験のメンバーと。2012年11月
写真.SACLAでの実験のメンバーと。2012年11月
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