コラム - インタビュー -

「模型が教える 巨大津波からの身の守り方」
第2回「賞金稼ぎで、運営費を賄う」

岩手県立宮古工業高校 機械科実習教諭 山野目弘 氏

掲載日:2016年3月10日

東日本大震災からまる5年になる。巨大津波災害に度々遭遇してきた東北・三陸海岸の一角、岩手県宮古市の県立宮古工業高校が独自の精巧な津波模型を手作りし、これまで100回を超える各地の実演会や学校への出前授業を実施してきた。いずれも評判が良く、震災前にこの授業を受けた児童・生徒の津波犠牲者は1人も出さなかったという。日本水大賞、防災コンクールなどでの輝かしい受賞歴も多い。南海地震が想定される四国・徳島県や関西方面からも実演依頼の熱い声がかかる。巨大津波の痛ましい経験の記憶をどう伝え、次にどう備えることができるのか。指導に当たった機械科実習教諭の山野目弘氏に話を聞いた。

-ところで今回の震災でこちらの高校はどんな被害を受けましたか。

山野目弘 氏
山野目弘 氏

本校校舎の1階部分がほとんど水没しました。県下でも2番目に低い土地に建てられたため、津波は8.5メートルの防潮堤を乗り越えて突っ込んできました。1階の校長室や職員室、事務室、保健室などに海水が浸入して、パソコンなどが使用不能になったのです。2階に保管していた津波模型2基は無事でしたが、宮古市全域の模型(1万1,000分の1)1基は1階にあったため水をかぶってしまいました。

翌日以降は、海から押し寄せられたゴミとヘドロの山が玄関の周囲にうず高く残されていました。入学試験が終わって3日後だったため、在校生は自宅学習中で影響は少なかったものの、学校で部活動中の約60人は校舎3階に上がってどうにか難を逃れたのです。近所で浸水した住民も学校に避難し、わずかな備蓄の食料で2日間過ごしていました。

津波で壊れ、沈下して、修復が進められている田老地区の巨大堤防の一部(奥の白いコンクリート部分)
写真.津波で壊れ、沈下して、修復が進められている田老地区の巨大堤防の一部(奥の白いコンクリート部分)
ヘドロとごみの山が押し寄せた宮古工業高校の正面(同校提供)
写真.ヘドロとごみの山が押し寄せた宮古工業高校の正面(同校提供)

-その時、先生はどちらに。

ちょうど宮古市の中心部に用事があって出かけていました。最初の大きな地震の揺れを感じて、「これは明治三陸津波よりも大きな津波が来るな」と直感したのです。

明治三陸津波は、弱い地震(震度2~3)が5分くらい続いたと伝えられています。東日本大震災では約170秒続き、揺れも大きかったので、「震度5以上は間違いない」と判断しました。

ある講演会で、防災専門家で関西大学の河田惠昭(かわた よしあき)教授が「1分以上の地震が続くと津波が押し寄せる可能性が高い」と警告していたのを思い出しました。津波模型を作り始めて5年目ですから、機械が専門の私でも、地震や津波の知識がかなり増えていました。

-地震と津波の情報はどこから収集しましたか。

ほとんどが自家用車のカーラジオです。大船渡で津波を観測したとのニュースが入りました。これは宮古にも大津波が来るのは間違いないと予測しました。こんな時はラジオが一番頼りになるものです。

10キロほど離れた自宅に戻ると、同居中の母親と息子がジッとしていたので、急ぎ車で裏山の高台に連れて行きました。また戻って近所の人を3、4人乗せて避難させたのですが、その直後、あっという間に自宅が押し流されてしまいました。

同じ高校職員で被災したのは3人ですが、自宅が流されてしまったのは私だけです。また当時の津波模型班の3年生5人のうち2人の自宅が流されましたから、みんなの取り組みは文字通り必死でした。

-津波模型作りは、たくさんのご苦労があったことと思いますが。

生徒たちはベニヤ板を丹念に切り刻み、細かい作業を根気よくやっています。その後は紙粘土の扱いが厄介なのです。夏場は乾燥が早く、手早くやらないとこびり付いてしまうため、みんな悪戦苦闘しながら作業しています。何か問題が生じた時には、自分たちで解決策を考え、探し出すように仕向けています。

教育効果からいえば生徒たちには集中力と忍耐力がつきます。これは就職してからのモノづくりに非常に役立っているようです。毎年、完成模型は3年生の手を離れ、後輩に引き継がれて実演会が行われますが、苦労して完成させた達成感は格別です。

実は、それより大変なのは、出来上がった模型を各地へ運ぶための運搬費や旅費、宿泊費です。何しろ小さい模型でも80キログラムもあります。評判が伝わって、全国から作り方を教えてほしいとの声が数多くかかってきますが、それに応えるのが大変です。

-実演会は、どんな地域に行かれましたか。

徳島県から埼玉県、宮城県などです。他に大阪府の大学にも行きました。それぞれの地域の地形に合わせた津波模型を、手間と時間をかけて製作したのです。持ち込んだ模型はそのまま現地の高校に寄贈したものもあります。

-大変なボランティア活動ですね。

関西地方まで出かけると、80キロの津波模型の運送費や生徒たちの交通費、宿泊費などで百万円以上はかかってしまいますが、全て持ち出しです。こうした費用はどこからも出してもらえません。本校に迷惑をかけるわけにはいきませんので、聞こえは良くないようですが、やむを得ず"賞金稼ぎ"でやりくりしているのです。

-賞金稼ぎとは?

防災関連のコンテストと聞けばどこにでも積極的に応募しました。グランプリや優秀賞を狙って副賞の賞金をいただくのです。これまでに27回の受賞歴があります。かといってそれで充足したわけではありませんが、その副賞を軍資金にして、なんとか各地への運搬費、旅費などをやりくりしてきました。でもいつもうまくいくとは限りませんから。

-具体的にどんなコンテストですか。

昨年7月の「日本水大賞」は最も大きな賞で、ここで大賞を受賞しました。「2013年 防災功労者・内閣総理大臣表彰」、「岩手ものづくりコンテスト」で銅賞、「岩手ユネスコ賞」で震災特別賞、「とうほく地域を守る防災コンテスト」で最優秀賞のほか、「全国工業高等学校長協会」と「岩手県教育長」から教職員表彰されました。

「ぼうさい甲子園」では大賞受賞が3回で、他に優秀賞と奨励賞が4回の計7回も受賞しました。「アイデアロボット全国大会」にも6年連続出場しています。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(続く)

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山野目弘 氏

山野目弘(やまのめ・ひろし)氏プロフィール
1952年生まれ。71年岩手県立釜石工業高卒。静岡県や岩手県の民間造船所で船体造りや設計を担当。86年県立宮古工業高の実習教諭に。

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