コラム - インタビュー -

「進歩目覚ましいDNA型鑑定 犯罪捜査で威力の一方問題も」
第1回「問われる裁判所、検察・警察の科学リテラシー」

日本大学名誉教授 押田茂實 氏

掲載日:2016年2月16日

1月12日、福岡高裁宮崎支部で冤罪(えんざい)に関心のある人々にとっては見逃せない判決(注1)が出た。強姦(ごうかん)罪に問われ鹿児島地裁で懲役4年の実刑判決を受けた男性が逆転無罪となったのだ。半月後、検察側が上告を断念し、男性の名誉はようやく回復した。この裁判では、DNA型鑑定の急速な進歩が明らかになった一方、警察の科学捜査のあり方も関心を集めた。さらに、科学リテラシーを備えた裁判官と、警察・検察の非科学的主張・行為を見逃さない良心的マスメディアの存在がないと、いったん有罪の判決が下された後で逆転無罪判決を得るのは困難という現実もまた…。逆転無罪判決に大きな役割を果たした法医学者、押田茂實(おしだ しげみ)日本大学名誉教授に、DNA型鑑定の効力とDNA型鑑定に関わる日本の科学捜査の問題点を聞いた。

押田茂實 氏
押田茂實 氏

‐先生は、足利事件(注2)として知られる幼女殺害の犯人として最高裁で無期懲役が確定した方に再審の道を開き、最終的に無罪判決を得るきっかけとなるDNA型鑑定をされました。この事件は26年前に起き、逮捕から無罪確定まで19年もかかっています。今回は、逮捕から無罪確定まで3年数カ月ですから足利事件よりはましとはいえ、どうして同じようなことが繰り返されたのでしょうか。

足利事件をはじめとしてこれまで長い間、多くの裁判に関わりましたが、私の鑑定結果を取り上げなかった裁判官がほとんどでした。しかし、今回の裁判長は大変立派な人だったことが、このような結果になった大きな理由といえます。足利事件の時に有罪の決め手とされたのは、警察庁科学警察研究所が事件当時に実施したDNA型鑑定の結果でした。被害者の下着から採取された精液のDNA型が、有罪とされた男性の型と一致したというものです。

当時、警察、検察は、1,000人に1.2人しか同じDNA型の人間はいないから、同一人のDNAとみなせると主張していました。しかし、その後の研究で、その鑑定法では1,000人に6.23人同じ型の人がいる、つまり事件のあった足利市の成人男性だけでも、同じDNA型と判定される人が多数いるという計算になることが分かってきました。にもかかわらずこうしたDNA型鑑定のずさんさを明確に指摘した私の鑑定を最高裁は黙殺し、検察側の主張を認めてしまったのです。

その後、DNA型鑑定技術の進歩は目覚しく、普通の技術を持つ都道府県警察本部の科学捜査研究所で検査すれば、一卵性双生児以外には世界中に全く同じDNA型はいないという高精度の検査結果が容易に得られるまで向上しています。鹿児島県警は、被害者女性の体内から検出された精液が微量だったためDNA型鑑定はできなかった、と主張し、裁判でもDNA型鑑定結果を提出していません。しかし、一方で提出された資料には精子は検出されたという記述があったのです。精子が検出できたのにDNA型鑑定が不能というのは今の技術ではあり得ません。

裁判長が立派だったのは、おかしいと気付いて、私に再鑑定を依頼したことです。同じ再鑑定でも弁護側から依頼された場合と、裁判所から依頼された鑑定結果とでは、裁判官の受け止め方が違います。鹿児島県警に出向き、検察官立ち会いの下で保存されていた綿棒3本の試料を受け取り、鹿児島空港では放射線を通す手荷物検査を免除してもらうなど細心の注意を払って東京に持ち帰りました。

鹿児島県警は鑑定不能と主張していたけれども、2010年から顧問をしている材料科学技術振興財団(MST)鑑定科学技術センターで、まずは通常の方法でやってみよう、と1本の綿棒に付着していた試料で検査してみました。なんと簡単にDNA型が判定できたのです。よく調べてみると、驚いたことにそのDNA型は4年の実刑判決を受けて服役中の男性とは別人の型でした。鹿児島県警の科学捜査研究所では、別の担当者が被害者女性の着衣について別の検査をしており、実はショートパンツからは犯人とされた方とは別のDNA型が得られていました。起訴する際、こちらの検査結果は無視したわけですが、私の鑑定で得られたDNA型とショートパンツから得られたDNA型が同じだったので、二度びっくりしたというわけです。

‐お話を聞いていると、良い裁判官に当たらないと、冤罪の被害者が救われる道も閉じたままになるのでは、と心配になりますが。

検査が終わり鑑定書を提出したのは2015年2月ですが、鹿児島県警から試料を早く返してほしいという電話があり、4月に返しました。ところが渡した翌日に大阪での再鑑定の依頼をしていたことが、後で判明しました。高裁の裁判官も弁護士も知らないところで、検察官が勝手に再鑑定を行うのは大問題です。このあたりから、裁判も急展開をみせたように思えます。6月の鑑定証人尋問で、鹿児島県警がDNA型鑑定はできなかったと主張していることについて私は、「こういうことは考えたくはないのですが」という前置きを述べて、次のように証言しました。

「一つの可能性としては、技術が未熟だったこと。二つ目の可能性は、最後まで検査はしたが、別人のDNA型が出て、これでは起訴できないからと鑑定不能ということにしたのではないか」。こうした証言をした理由としては、検査を途中でやめたと主張している一方、機器の使用記録を見ると検査を最後までやったとしか読めない記載があったことがあります。そもそも、鹿児島県警では、例えば精子の検査で記録や写真もつけていないというずさんな作業をしていました。鑑定経過を記したメモも廃棄したというのは、とても科学とはいえません。

今年1月の無罪判決では、鹿児島県警のずさんな検査の可能性についても触れ、実際には別人のDNA型が出たにもかかわらずそれを伏せた可能性も「否定できない」とまで言及した内容になっています。裁判官にそこまで鑑定証人の証言を信用してもらったのは、長い経験で初めてのことです。ここまで踏み込んだ判決内容を見て、検察側も上告を断念せざるを得なかったのではないでしょうか。

-足利事件では、宇都宮地裁の再審請求棄却決定を経て、その後東京高裁の裁判長がDNA型再鑑定を行う決定をし、これが2010年3月の宇都宮地裁の再審無罪判決につながりました。今回の福岡高裁宮崎支部の無罪判決との共通点を探すと、DNA型鑑定の正しい利用に加え、見識のある裁判官の存在が大きいと感じます。さらにもう一つの要因が気になりますが、いかがでしょう。マスメディアの果たした役割です。

私は、マスコミもあればマスゴミもあるとよく言っています。警察、検察、裁判所の言い分をそのまま垂れ流しているのは、マスコミでなくマスゴミだ、と(笑い)。足利事件では、宇都宮地裁が再審請求を棄却した2008年2月13日の6日後、テレビ朝日が「拝啓 裁判長 異議あり」という番組を放送しました。この報道の意味は大きかったと思います。最高裁が黙殺した私の鑑定結果がいい加減なものではない、と報道してくれたおかげで、他のマスメディアの人たちも目を覚ましてくれた、と評価しています。

再審請求を棄却した宇都宮地裁の決定で「押田報告書の証拠能力は極めて乏しい」とされたので、有罪判決を受けた方と協力が得られた実兄のDNA型を比較し、鑑定した毛髪は兄弟である可能性が高いという2回目の鑑定を行った結果を、その年の11月に東京高裁に提出しました。そのころから裁判所がDNAの再鑑定に踏み切るのではないかという報道がされるようになり、その年の12月24日に再鑑定実施が決定されました。検察、弁護側からそれぞれ依頼された大阪医科大学と筑波大学の教授による鑑定結果で、有罪の証拠とされたDNA型鑑定で、犯人の残したとみられるDNA型と無期懲役の有罪判決を受けた方のDNA型が一致しないことが証明され、ようやく無罪判決となったのです。

今回の裁判も昨年12月まで全国紙が全く報じない中、テレビ朝日だけがずっと取材を続けていました。多くの人が関心を持つようになったのは、12月30日に毎日新聞が大きく取り上げてからだと思います。たまたま足利事件の取材経験もありDNA型鑑定にも詳しい毎日新聞の記者が福岡にいたのが幸いでした。

-福岡高検が上告を断念し、無罪が確定された直後に、警察庁が「性犯罪などの重要な証拠についてDNA型鑑定の経過を適正に記録したり、試料が微量でも鑑定を実施したりするよう」全国の警察に指示したという報道がありました。今回の無罪判決を機に、今後は適正なDNA型鑑定が全国の警察で行われると期待してよいでしょうか。

そう簡単ではありません。警察庁は表向きそんな指示を出したと言っているかもしれませんが、本当に反省しているかは疑問です。検察も同様です。そもそも足利事件発生当時のDNA型鑑定が不正確だったことははっきりしているのに、当時の鑑定結果を証拠に有罪とされたままになっているケースは、まだほかにもたくさんあるのです。1月29日の毎日新聞朝刊に載った青野由利(あおの ゆり)専門編集委員のコラムが、本質を突いています。

青野氏は、鑑定の記録が不明確で、手順や内容をたどれず、鑑定経過を書いたメモも廃棄し、さらに判決でデータ隠しまで疑われては、学問の世界では完全にアウトだ、と鹿児島県警科学捜査研究所の専門家たちを批判しています。また、関係学会がDNA型鑑定の指針作りを進めていたのに、警察関係者が難色を示したことで再鑑定を保証する記述が指針に盛り込めなかった、という20年近く前の自身の取材経験も明らかにしています。これが、重要なことなのです。

関係学会というのは、日本DNA多型学会のことで、「DNA型鑑定についての指針」を1997年12月にまとめ公表しています。この指針を作る議論の過程で「第三者が再鑑定しない限り、科学的な鑑定とは言えない」と検討委員会の委員だった法医学者たちが主張したのですが、警察側の委員が大反対し、再鑑定を保証する記述がない指針となってしまいました(日本弁護士連合会人権擁護委員会編:DNA鑑定と刑事弁護、現代人文社、228-245ページ、1998年)。この指針は2012年に改定されていますが、「原則的に再鑑定可能な量を残す」と記載されているものの必須とはしていません。警察は、自分たちの鑑定結果を第三者が再鑑定するのを義務づけられるのはなんとしても避けたい、ということです。

さらにDNA型鑑定自体を重要視していない警察本部もあります。例えば2004年から一度もDNA型鑑定書を作成していない、と裁判で証言した県警もあるほどです。警察庁のDNA型鑑定に関する指示が出たから、犯罪捜査でDNA型鑑定がきちんと行われ、犯人の特定や、冤罪被害者の軽減につながると期待するのは早計だと思います。

(注1)2012年10月7日、鹿児島市の繁華街の路上で17歳の女性を強姦したとして23歳の男性が逮捕、起訴され、否認したものの鹿児島地裁で懲役4年の実刑判決を受ける。検察側は、女性の体内から精子が検出されたものの微量のためDNA型は特定できなかったが、女性の胸の付着物が男性のDNA型と一致したという鹿児島県警科学捜査研究所の検査結果を証拠として提出した。男性は控訴、福岡高裁宮崎支部の無罪判決が出る前の昨年3月、押田茂實氏の鑑定結果が出た後に釈放されている。

(注2)1997年3月19日、東京都渋谷区のアパート空き室で東京電力女性社員の殺害死体が発見された。2003年10月最高裁は無罪を主張していたネパール人を無期懲役とした東京高裁の判決を支持した。検察官依頼のDNA型鑑定の結果、被害者の遺体や衣類などからネパール人以外にDNA型が多数検出されたことから再審決定となり、2012年11月に東京高裁で無罪が確定した。東京高裁の岡田雄一裁判長は検察側に物証の開示と鑑定を強く求め、これが無罪確定の決め手となる検察側依頼のDNA型鑑定結果につながった。弁護側の依頼で押田茂實氏は、当初の証拠とされたネパール人が便所に残した精液の古さを特定し、犯行推定日と合わないとする鑑定結果を最高裁に提出したが、最高裁はこれを無視し、無期懲役決定文では全く触れていない。

(小岩井忠道)

(続く)

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押田茂實 氏

押田茂實(おしだ しげみ)氏プロフィール
埼玉県立熊谷高校卒。1967年東北大学医学部卒。同大学医学部助手、同医学部助教授を経て、85年日本大学医学部教授(法医学)。2008年定年で研究所教授に。10年MST鑑定科学技術センター顧問、11年日本大学名誉教授。12年神楽坂法医学研究所長。数多くの犯罪事件に関わる法医解剖、DNA型鑑定、薬毒物分析のほか、日航機御巣鷹山墜落事故、中華航空機墜落事故、阪神・淡路大震災など大事故・大災害現場での遺体身元確認作業などで重要な役割を果たす。編著書に「法医学者が見た再審無罪の真相」(祥伝社新書)、「Q&A見てわかるDNA型鑑定(DVD付)(GENJIN刑事弁護シリーズ13)」(押田茂實・岡部保男編著、現代人文社)、「法医学現場の真相-今だから語れる『事件・事故』の裏側」(祥伝社新書)、「医療事故:知っておきたい実情と問題点」(祥伝社新書)など。医療事故の解析もライフワークとしており、「実例に学ぶ-医療事故」(ビデオパックニッポン)などのビデオシリーズやDVDもある。

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