インタビュー

第4回「科学者が法的責任を問われる時代」(永野 博 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー)

2014.02.10

永野 博 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー

「ドイツや欧州の科学政策をもっと参考に」

永野 博 氏
永野 博 氏

米国立衛生研究所(NIH)を参考にした「日本医療研究開発機構」(仮称)が2015年度にも設立され、米国防総省・国防高等研究計画局(DARPA)の研究スタイルを導入した「革新的研究開発推進プログラム」が14年度から動き出す。過去の流れを見ても、日本の科学政策はアメリカ型の模倣から抜け切れていない。ところが最近、欧州の科学政策にも関心が寄せられるようになってきた。総合科学技術会議や経団連でもドイツについての議論が行われ、あるいは日本のビジネス雑誌がドイツの強さを特集するなど、新たな動きが出ている。いまなぜドイツが注目されるのか。当地の事情通である前政策研究大学院大学教授の永野 博・JST研究開発センター特任フェロー、研究主幹に聞いた。

―永野さんは、経済協力開発機構(OECD)で「グローバル・サイエンス・フォーラム(GSF)」の議長を務めています。地味な組織だけにあまり耳にすることはありませんが、どんな活動をしているのですか。

 いま、最も熱く議論されているテーマは「科学者の助言と法的責任」です。
2009年に発生したイタリア中部、ラクイラ地震では約300人もの犠牲者を出しました。かなり頻繁に起きていた地震を背景に、大地震の発生を唱えていた学者もいたようですが、政府や公的機関の地震研究者が市民の不安と混乱を抑えようと「安全宣言」を出したことが、逆に被害を拡大したとして、地震学者と政府担当者が訴追され、地方裁判所で禁固6年の有罪判決を受けてしまいました。

 科学者が有罪になったのはまさに驚きでして、この裁判結果は各方面にショックを与えました。科学者の科学的判断に基づいた予測が社会的な影響を与えた事例は、これまでにもなくはなかったのですが、これほど表面化して争われたということは他に知りません。ましてや有罪になろうとは誰も考えませんでした。

 この判決後、イタリアの科学者からGSFに対して、「(有罪になった)科学者を支援する声明を出してほしい」との要請がありました。しかし、GSFは各国政府の代表団によって構成されているので、イタリアの判決に直接介入することはできません。

 GSFの本会議で検討した結果、「科学者の助言のありかたと法的責任」を取り上げ、議論しようとの提案が出されました。その結果、「法的責任」についてはドイツとイタリアが、「より良い助言システム」については日本とオランダが中心となって取り組むことになりました。

 昨年10月には東京でキックオフとなるワークショップを開き、その後は各々電話などで遠隔会議や打ち合わせを進めています。「法的責任」グループは今月末にもベルリンでワークショップを開く予定です。

 地味な組織ですが、このように抜き差しならない問題と真剣に取り組んでいるのですよ。

―福島原発事故は世界に大きな衝撃を与えました。長期避難生活を余儀なくされたことによる震災関連死者が1600人以上も出ています。ここでも原発の安全対策や避難方法、科学者の責任ある助言について、何らの対応もとれなかったという点では、決して他人事ではありませんね。

 そうです。科学と社会とのかかわりがますます深くなっているだけに、科学者は自分の研究だけに打ち込んでいればすむ時代ではありません。こうした問題は今後も増えてくると思います。そこで各国の政策担当者が勉強し合い、どんな問題が起きているのか、どうしたらいいか、科学者の的確な助言とは何かを、お互いに学び合おうということになったのです。科学者も“孤高の人”というだけでは、もはややっていけない時代です。

―他のトピックスにはどんなものがありますか。

 最近、各国が強い関心を持って議論したのが新薬開発での「治験制度」のありかたです。

 治験の規制のありかたについては、特にドイツが熱心ですね。というのも、ドイツをはじめとしたヨーロッパは、日本やアメリカと比べるとかなり厳しい治験制度を維持してきたからです。

 ヨーロッパでは、ある特定の疾患に対して効能があるとして販売されている薬が別の疾患に効きそうだということが分かっても、完全な新薬の場合とはリスクの程度が異なるにもかかわらず、その薬を全く最初から治験し直していたために、膨大な費用と時間がかかっていました。

 これに対して、米国ではリスクの程度を考慮し扱いを変えています。また、日本では、病院内で医師の主導する治験というものがあります。そこでGSFでは、現用の薬剤を承認されている範囲内で別の使い方をするような場合には「低リスク」とし、新しく開発する新薬は「高リスク」とし、その間に「中間リスク」を入れて、治験の規制を3段階に分けたらどうかという報告書をまとめました。こうした考え方にヨーロッパ各国が強い関心を持っているのです。この報告は、OECDの最高意思決定機関である理事会の勧告として採択されています。

―山中伸弥さんのiPS細胞(人工多能性幹細胞)や、理化学研究所の小保方(おぼかた)晴子さんのSTAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)などの独創的な研究成果が相次いで登場しています。これらを臨床応用しようにも、治験という大きなハードルを乗り越えて安全性が確保されなければ、患者さんの役には立ちません。

◇追記
 「STAP細胞」を発見したとする成果につき、理化学研究所の調査委員会が2014年3月と12月、研究不正があったと認定しています。論文は同年7月に取り下げられました。

 安全には十二分の配慮が欠かせませんが、その実用化や臨床応用がいつまでも進まなくては、どんな成果も期待外れに終わってしまいます。新しい医療技術や新薬を待ち焦がれている患者さんもたくさんいます。基礎研究の進歩と技術開発の進展に合わせた規制の見直しが求められてきているのですね。

―さて、科学と社会に関わる機微な問題を扱っているGSFとは、いったいどんな組織であり、これまでどんな活動をしてきたのですか。

 OECDの中の1つに「科学技術政策委員会」という組織があります。科学技術分野に関する各国間の協力や、様々な経験と情報の交換を進め、雇用創出や持続的発展、新たな人類の知識の開拓を目指しています。GSFはこの委員会の下に儲けられた小委員会の1つです。

 1990年代にアメリカで超伝導超大型粒子加速器(SSC)が、ヨーロッパでは欧州原子核研究機構(CERN)に大型ハドロン加速器(LHC)の建設計画が出て競合し、場所や巨費を巡って国際的に様々な駆け引きや混乱が生じました。結果的にSSC計画は中止になりLHCが実現しましたが、こうした基礎科学の国際協力にあたっての意思疎通をよくするために、各国の政策担当者が定期的に情報交換や議論をしようと1992年に作られた「メガサイエンス・フォーラム」が前身です。

 私は、7年間議長を務めたドイツ連邦教育科学省出身のヘルマン・ワーグナーさんの後任で、2011年に4代目の議長に就任しました。その前にも5年間副議長を務めていましたから、たくさんの知友がいます。

―他にどんな成果がありますか。

 地球環境、防災、感染症対策など世界共通の課題に対して国際協力を進め、知識の共有を図るべきだというのが常識になり始めています。

 日本の主導で実現したものとして「科学的公正の向上と研究不正行為の防止」があります。2006年に大学で研究費の不正使用などが発覚し、日本学術会議、文部科学省が研究不正行為の防止の指針をまとめました。日本としては、この指針が国際的にみて妥当なものか、妥当であれば多くの国で共同歩調を取るべきではないのかと考えたわけです。

 翌年、日本の提案でGSFは東京で初めてのワークショップを開き、論文のねつ造、盗用、改ざんなどの研究不正に対する効果的な対策や研究不正の起きにくい研究環境とは何かを話しあい、指針にまとめました。これはその後、国際的なガイドラインに発展しています。

―ビッグサイエンスについてはどんな取り組みをしていますか。

 科学研究の高度化に伴い、世界には多くのビッグサイエンスのためのプロジェクトがあります。大型加速器、宇宙ステーション、中性子科学、各種の望遠鏡、核融合、最近では日本が中心に進めている超伝導技術を使った「国際リニアコライダー(ILC)計画」などが次々に提案されたり、実施されたりしています。いずれも膨大な資金がかかるので、早い段階から各国のすすめたい計画や要望を議論し、支障のないように協力して取り組めるようにしないと計画自体に支障が出てきます。

 国際熱核融合実験炉(ITER)は1985年、当時のレーガン大統領とゴルバチョフ書記長による米ソ首脳会談(ジュネーブ)をきっかけとして開始されました。1992年以降、ITERの工学設計活動(EDA)に入り、技術開発は日本・EU・ロシア・米国が分担して行いました。2000年代に入り、具体的な建設が始まりました。

 ITERは、当時としては極めて珍しい世界的な国際協力による大型施設の建設だったのです。どんな機構を作るのか、役員はどのように決めるのか、資金分担、立地調整、職員の構成、外国での長期生活など、担当者にとっては苦労の連続でした。

 そこでGSFでは、これらのビッグプロジェクトにかかわった関係者にインタビューをして「大規模国際研究施設建設に関する報告(課題と選択肢)」をまとめました。これさえ読めばというわけにはいかないかもしれませんが、これには今後の国際協力による大型科学施設の建設を担当する職員にとっての心強いノウハウが詰まっています。

―GSFの勧告文や報告書などには法的な拘束力があるのですか。

 基本的には法的な拘束力はありませんが、公的な国際協議で決まったものですから、それぞれの国で「尊重」してもらう必要があります。OECDの最高意思決定機関である理事会の勧告となった場合は、新たにOECDに加盟を希望している国との間で、加盟にあたっての協議の中で「(法律や政策に)取り入れなければならない」という約束がとりかわされるようなことがおこれば拘束力がでてきます。

 GSFでは昨年、「治験」にかかわる問題を扱いOECDとしての勧告文書を出しました。この20年間で勧告は初めてのことであり、GSFの活動にも弾みがつきそうです。

―最後に、GSFの議長の苦労とはどんなことですか。

 メンバーの出身国がみな違うので、共通の英語ですら通じにくいことでしょうか。事務局にも助けてもらっています。

 またどんなテーマを取り上げて議論するかで議論が分かれることがありますが、時間をかけて議論をしていくと自然とまとまってくるのです。例えば福島原発事故等の場合は、OECD傘下の国際機関として「原子力機関(NEA)」という専門組織があるのでGSFで取り上げなくともそちらでできるわけです。テーマ毎に他の機関とも連携を取り合っています。

―科学技術の進歩と共に、様々な問題や対応に苦労も増えています。1国だけでは解決しにくいことも、こうして各国代表が知恵を出し合って指針をまとめるのは大事なことですね。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

(完)

永野 博 氏
(ながの ひろし)
永野 博 氏
(ながの ひろし)

永野 博(ながの ひろし) 氏 プロフィール
慶應義塾高校卒。1971年慶應義塾大学工学部卒、73年同大学法学部卒、科学技術庁入庁。在ドイツ日本大使館一等書記官、文部科学省国際統括官、日本ユネスコ国内委員会事務総長、文部科学省科学技術政策研究所長などを経て、2005年科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェロー、06年科学技術振興機構理事、07年政策研究大学院大学教授、科学技術振興機構研究開発戦略センター特任フェロー。経済協力開発機構(OECD)では06年から科学技術政策委員会(CSTP)グローバル・サイエンス・フォーラム(GSF)副議長、11年1月から議長。専門は科学技術政策、若手研究者支援、科学技術国際関係など。公益財団法人日本オペラ振興会理事なども兼務。近著に『世界が競う次世代リーダーの養成』(近代科学社)など。

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