インタビュー

第3回「110年前の医師ベルツの指摘を思い起こす」(永野 博 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー)

2014.02.04

永野 博 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー

「ドイツや欧州の科学政策をもっと参考に」

永野 博 氏
永野 博 氏

米国立衛生研究所(NIH)を参考にした「日本医療研究開発機構」(仮称)が2015年度にも設立され、米国防総省・国防高等研究計画局(DARPA)の研究スタイルを導入した「革新的研究開発推進プログラム」が14年度から動き出す。過去の流れを見ても、日本の科学政策はアメリカ型の模倣から抜け切れていない。ところが最近、欧州の科学政策にも関心が寄せられるようになってきた。総合科学技術会議や経団連でもドイツについての議論が行われ、あるいは日本のビジネス雑誌がドイツの強さを特集するなど、新たな動きが出ている。いまなぜドイツが注目されるのか。当地の事情通である前政策研究大学院大学教授の永野 博・JST研究開発センター特任フェロー、研究主幹に聞いた。

―前回は、日本の科学者の社会的信頼や地位が、ドイツと比べて総体的に低いとの話が出ました。科学者の社会参加や社会的課題へのコミットと共に、安全や環境など社会性の強いプロジェクトにはもっと社会科学系の研究者の参画を促す必要がありますね。10%から20%くらい入れるように数値目標を設定してもよさそうですが。

 2000年頃からナノテクの安全性などで様々な議論が始まりました。これには社会科学系の研究者にも予算が出るようになりました。つまり「考えること」についてやっと予算が付くようになったのですが、まだまだ絶対的に少ない状態です。

 日本のナノテク予算は各研究者の研究活動のためのものが中心で、共同利用施設での研究や社会における安全面の研究などに付きにくいのです。こうした点の改善を田中一宣先生(前JST・CRDS上席フェロー)が一生懸命に主張しています。欧米ではそういう種類の研究にも積極的に予算が付いているのですが。

 もう一つは、日本の人文社会科学系の研究者の多くが国際競争にさらされてこなかったという問題もありますね。理系の研究者と一緒になってどんな社会的課題の研究を進めるべきかということに、社会科学系の研究者の興味や問題意識が少なかったようです。

 先ずは予算を付けて、必要であれば外国人研究者にも活躍してもらい、日本の若手人材を育てていくべきでしょう。以前の科学技術会議とは異なり、2001年に発足した総合科学技術会議は人文社会科学も扱えるので、もっと積極的にこの問題に取り組むべきです。

―工学アカデミーは、なぜ実現に100年もかかったのですか。

 欧州は基本的にサイエンスを重視する傾向が強く、産業の強いドイツでも工学を学問とみなさないような風潮が昔から強かったようです。時代と共に工学が学問としてしっかりと認知されるようになったということでしょう。

 不思議なことにフランスでは、1794年にナポレオンが理工科エリート養成の高等教育機関「エコール・ポリテクニック」(理工科大学校)を作り、現在に至っていることは有名です。これは国防省傘下の機関で、入学後の1か月は軍事教練があり、その後に軍隊、警察、消防、官庁などに派遣されて、6か月間の体験研修を受けるという特殊な仕組みになっています。

 エコール・ポリテクニックからはジィスカール・デスタンなどの歴代の大統領や、有名な数学者ポアンカレ、物理学者ベクレル、最近ではルノー・日産のゴーン社長・CEOなど錚々たる卒業生が出ています。

 ドイツでは工学は実学として経済と一体になって動いています。例えば大学工学部の教授は、博士号を取得後、例外なく民間企業に5年から10年くらい勤め、それから大学に戻るというキャリアパスが必須になっています。

 つまり産業界と大学工学部は一体の土俵を構成しています。だから産学連携といっても、どこかの大学と企業をお見合いのようにくっつけてよかれとするものではありません。取り組みの内容や歴史が深く長いので、同じような真似をしようとしても簡単にはできません。

―ナノテクの安全性については、物質・材料研究機構エコマテリアル研究センターの原田幸明センター長が中心になって『ナノテクノロジーの倫理・社会的影響に関する調査研究』をまとめています。平成17年度の科学技術振興調整費で実施したもので、これには薬学、食品、農業、環境や行政学、安全保障論、防衛政策論などの幅広い専門家が関わり、たいへん優れた報告がなされています。他のケースについても、もっと外から問題提起をして、必要性を訴えてほしいですね。

 よい報告書があればもっと宣伝してその内容を広めていくべきです。医療でも臨床研究の予算はついても、研究成果をとりまとめていくためには統計学などの知識が不可欠ですが、日本ではそのような人材がかなり不足しています。大相撲ではないですが、国際的な競争ができるような環境をつくらないと、レベルは高まらないようです。

―東京電力・福島原発の事故もそうですが、日本の失敗を整理し体系づけて、その中から安全文化を確立し、情報や教訓を国際的に発信すべきなのですが。

 日本の科学技術の原点はもともと西洋です。それでも本気になって考えたものなら、どこが悪かったのかを後でも吟味できますが、余り考えずに真似しただけでしたら真の反省にはつながりません。

 福島原発の事故後、「まずかったな」とか「科学者の信頼が落ちている」程度のことは誰でも感じているのでしょうが、本質を考えるという大事な点で“逃げ”ていたら大変です。
それで思い出しましたが、明治政府のお雇い外国人医師で、日本の近代医学の父と呼ばれたドイツ人のエルヴィン・フォン・ベルツが書いた『ベルツの日記』には興味深いことが書かれていますね。

―どんなことが指摘されているのですか。

 私は、とても気に入った箇所があるので、その一部をコピーしていつも持ち歩き、講演会などでも引用しながら話すことにしています。そこでは最初から「西洋の科学の起源と本質に関して、日本ではしばしば間違った見解が行われている」とズバリ指摘しています。少々長くなりますが、そのポイントを紹介しておきましょう。

 「西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体である。有機体に必要な西洋の精神的大気も、自然の探求、世界のなぞの究明を目指して幾多の傑出した人々が数千年にわたって努力した結果である」、「それは苦難の道であり、高潔な人々がおびただしい汗で示した道であり、血を流しあるいは身を焼かれて示した道である」、「西欧各国が日本に送った教師は、熱心にこの精神を日本に植え付け、日本国民自身のものにしようとしたが誤解された」、「(西洋の教師は)科学の樹を育てる人たるべきで、そうなろうとしたのに、彼らは科学の果実を切り売りする人として取り扱われたのです」、「日本では今の科学の「成果」のみを彼らから受け取ろうとして、成果をもたらした精神を学ぼうとはしなかった」

 実に重要なことを指摘しています。110年ほど前の指摘が、現在の日本の科学技術の現状にもつながっているようです。特に「科学の樹を植えようとしたのに果実ばかりを求めた」との指摘は耳に痛いことですね。今も変わっていないとしたら大変です。

―ところで、理化学研究所の30歳のチームリーダー、小保方(おぼかた)晴子さんらが、第3の万能細胞「STAP細胞」の開発に成功し、世界の科学界を驚愕させたニュースでもちきりになっています。科学誌「ネイチャー」(1月30日)に掲載されましたが、2年前の投稿ではネイチャー誌の査読者から「細胞生物学を愚弄するのか」と却下されたほど独創的な研究でした。こんな自由な発想は若手にしかできません。それにしても理研はこうした若手研究者を優遇していたことで、研究所としての評価をおおいに上げましたね。

◇追記
 「STAP細胞」を発見したとする成果につき、理化学研究所の調査委員会が2014年3月と12月、研究不正があったと認定しています。論文は同年7月に取り下げられました。

 久々のヒットで、私も興奮しています。理研は以前からポスドク研究者に自由に研究をさせる制度を作るなど、若手を活躍させる伝統があります。特にほかの大学や研究所では取り組みにくいような学際的な研究などをよくやっています。こうした雰囲気のある研究場所が、理研だけではなく大学にもなければ、若手の芽は伸ばせません。

 STAPのような型破りな研究は若手でないと生まれない発想でしょう。普通は、年齢を重ねるほど考え方が枠にはまるか、権威主義的になりがちなものですから。小保方さんの場合は、斬新な発想と共に人並み外れた努力があり、また周囲の素晴らしい先輩研究者の若手を伸ばそうという温かい支援に恵まれたのがよかったようですね。

―若手研究者への支援は実際、どんな効果があるのでしょうか。

 2010年にノーベル物理学賞を受賞した英国在住のロシア人物理学者、コンスタンチン・ノボセロフ博士は、当時、まだ英国王立協会のポスドクフェローシップを受けていた研究者でした。彼は、原子1層分の厚さのシート状の炭素素材、グラフェンの発見と特異な電気的性質を解明し、36歳で受賞しました。私は、そのようなフェローシップを受けている最中の研究者がノーベル賞を獲ったということをもっと報道してほしかったですね。

 これまでの最年少受賞者は、高感度の磁場計測などに使われるジョセフソン効果を発見した、英国の物理学者ジョセフソンが33歳で獲っています。多くのノーベル賞受賞者が、受賞につながった発想や発見は20歳代にあったと語っています。

 そんなこともあり、若手研究者への積極的な支援や優遇策はいまや世界の常識です。日本は冷遇しすぎているのです。ですから優遇するというわけではなく、世界と同レベルにもっていくことを先ず急ぐべきなのです。それがなかなかできないのですね。

―永野さんは昨年、著書『世界が競う次世代リーダーの養成』を出版されました。ここで、優れた若手研究者が自在に活躍できるように、国はもっと積極的に支援すべきだと訴えています。タイムリーな著書ですね。

 21世紀に発展するための日本の原動力は、何といっても若手の知的活動なのです。小保方さんも30歳のチームリーダーです。卓越した研究能力を持つ若手研究者を支援してチーム統率能力も備えさせ、将来のリーダーを養成しようとする制度が、欧米のほか日本以外のアジアでも生まれています。ところが日本では、欧米に匹敵するような若手助成制度が存在せず、世界とは全く逆の動きをしてきました。

 ドイツには、ドイツ研究振興協会の「エミー・ネーター・プログラム」や、フンボルト財団の「ソフィア・コヴァレフスカヤ賞」があります。いずれも早期に研究者として独立させる環境作りを目指したものです。

 前者は主として外国にいるドイツ人のポスドク研究者(博士号取得後2年〜4年)を呼び戻そうとするものであり、後者は特に優秀な外国人、または外国にいるドイツ人の若手研究者(同じく6年以内)を招聘する制度です。後者は人数こそ少ないのですが、6年間で最高165万ユーロ(約2億4000万円)も支給されます。

 日本のファンディングには、海外で活躍している優秀な日本人研究者を呼び戻そうというグラントが無いのは変だと思いませんか。

―欧州では、どんな考え方にもとづいて若い人を支援しているのですか。

 元ドイツ研究振興協会会長のヴィナカー氏は、若手研究者支援に必要なこととして、(1)早く独り立ちさせて責任を持たせる、(2)研究環境を整え、大学院生やポスドクとチームを組ませて刺激を与える、(3)透明性のある職員採用システム等を挙げています。

 研究のパフォーマンスが世界的によいオランダやスイスにも積極的な支援制度があります。オランダの場合、博士号取得後の期間によって3段階に別れていますが、3年以内の取得者は、3年間、最大25万ユーロ(約3500万円)、308年以内は5年間、80万ユーロ(1億1000万円)、8015年以内は5年間、150万ユーロ(2億1000万円)の支援があり、キャリアメイキングと一体になったグラントの設計がされています。

 これらの経験を踏まえて2007年にはEUの中に欧州研究会議(ERC)が発足し、若手とシニアの研究者を大規模に支援することになりました。ドイツ出身のヴィナカ—氏が初代事務総長に就き、極めてオープンでフレキシブルな制度を作ったのです。

 欧州の大学はERCの研究資金を獲得した研究者を積極的に受け入れています。助成金を受けた研究者は研究場所を自由に選べるので、結果として、欧州では国を超えた大学、研究機関等の間の競争が起こっています。

 たとえば、若手研究助成金(博士号取得後2〜12年を対象として年間500人弱採用。5年間で150万ユーロ、約2億4000万円を支給)を獲得した研究者を受け入れた大学のトップはケンブリッジ大学で44人、オックスフォード大学(38人)、エルサレム・ヘブライ大学(28人)、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(27人)と続きます(2007年〜2011年の累計)。

 シンガポールにも同様な優れた特別研究員制度があり、昨年は発表された16人の中に日本人研究者が3人(契約したのは2人)も入っていたのを見て驚きました。アメリカで研究中のポスドクが、現地から直接応募したようです。活力ある日本の若手研究者が海外で活躍しているのは頼もしいかぎりですが、これが若手研究者によるジャパン・パッシング(頭越し)だとしたら、皮肉なことであり、憂うるべきことですね。

―日本でも、かつては「さきがけ研究21」のような卓越した若手研究者支援制度がありましたね。これはどうなったのですか。

 そうです。ここで長々と列挙した各国の若手支援制度には、1991年に日本が始めた「さきがけ研究21」が大きな影響を与えているのです。

 「さきがけ研究21」は主として30歳代の若手研究者を対象に、どの分野の研究者でも応募でき、給与と年間1000万円以上の研究費を3年間支援する制度でした。

 その8年後に、ポスドクや大学院生を雇えるという拡大した形でドイツとスイスが追随し、オランダ、スウェーデン、シンガポールなどが続々と同じような制度を作ったのです。近年は、韓国、インド、中国にまで広がりました。

 ところが先行していたはずの「さきがけ研究21」は、2001年に戦略的創造研究推進事業におけるひとつの研究タイプとしての「さきがけ」事業になり、名称はほとんど同じですが、戦略的な特定分野の支援に切り替わってしまいました。

 また科研費でも大型の若手研究者支援であった「若手研究(S)」(5年間支援)が事業仕分けで廃止されてしまいました。結果として、ドイツを起点として欧州、アジアに広まってきた新しい形の「若手支援」プログラムが、“生みの親”である日本ではなくなってしまったのです。世界と逆行しているのが日本の現状です。

 今回の小保方さんの大ヒットが、日本の若手研究者に対する評価や信頼、期待につながるように、国などの支援の見直しや欧州との本格的連携を進めてほしいですね。イスラエルやトルコのように、EU以外の日本がERCに入ることはできないのでしょうか。

―シンポジウム等でよく若手の研究者から愚痴が聞かれます。有名国立大学のある研究室では、若手の独立なんて認めようとしないそうです。研究室の優れた実験装置がないと研究継続もできず、半ば“飼い殺し”状態にされている研究者もかなりいるようですね。若手の活躍を支援し、身分と生活を保障できるようなしっかりした制度を作り直さないと、科学技術立国の将来は期待できません。

 今でもそんな状況があるということは数周遅れの環境であり、悲しいことですね。しかしこの問題は単に大型の若手支援プログラムを作れば済むという問題ではなく、大学における評価、昇任制度、さらに深く考えると、社会や経済界が求める博士を大学が生み出すことができるのか、国際関係が急激に変化する中で日本の大学が存続していけるのか、という大きな問題の一環なのです。

 その解決を大学だけでやるのはもちろん不可能ですが、海外における大学院教育の内容、卒業生の進路状況についての情報を持つのは大学関係者であり、政府や企業ではありません。ですから大学関係者が率先して改革に動くこと、あるいは、政府がそのような場を作りやすくする努力が必要です。

 その際に、ポスドク問題に明瞭に表れているように、これまでの被害者は若者だという認識を強く持って取り組む必要があります。

―ベルツの言葉に戻りますが、人づくりについても、長い時間をかけて“樹”となるべきものをじっくりと育てるべきです。“果実”なるものだけを切り売りしていたのでは、将来性はありませんね。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

(続く)

永野 博 氏
(ながの ひろし)
永野 博 氏
(ながの ひろし)

永野 博(ながの ひろし) 氏 プロフィール
慶應義塾高校卒。1971年慶應義塾大学工学部卒、73年同大学法学部卒、科学技術庁入庁。在ドイツ日本大使館一等書記官、文部科学省国際統括官、日本ユネスコ国内委員会事務総長、文部科学省科学技術政策研究所長などを経て、2005年科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェロー、06年科学技術振興機構理事、07年政策研究大学院大学教授、科学技術振興機構研究開発戦略センター特任フェロー。経済協力開発機構(OECD)では06年から科学技術政策委員会(CSTP)グローバル・サイエンス・フォーラム(GSF)副議長、11年1月から議長。専門は科学技術政策、若手研究者支援、科学技術国際関係など。公益財団法人日本オペラ振興会理事なども兼務。近著に『世界が競う次世代リーダーの養成』(近代科学社)など。

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