インタビュー

第1回「異分野のつなぎ役は『翻訳理論』」(野原佳代子 氏 / 東京工業大学 教授)

2013.10.07

野原佳代子 氏 / 東京工業大学 教授

「あすのダ・ビンチを目指せ」

野原佳代子 氏
野原佳代子 氏

理系の思考法と芸術系のセンスを結び、融合させる中から新たな創造的人材を生み出そうとの挑戦が、東京工業大学と武蔵野美術大学の連携研究・教育として本格的に始まった。今年6月には両大学学長による正式調印にこぎつけた。「モノづくり」から「コトづくり」へ、そして大きな「社会デザイン」までを可能にするために、豊かな表現力を備え、異分野の相手を理解し、幅広い調整役をこなせる次世代リーダーやプロデューサーづくりを目指す。ひと呼んで和製「ダ・ビンチ作戦」に、早くも企業などから熱い眼差しが注がれている。東京工業大学・野原佳代子教授(第1、2回)と、武蔵野美術大学・井口(いのくち)博美教授(第3、4回)に、順次その狙いや展望を聞いた。

―まずサイエンスとアートとのつながりは、どこから始まったのですか。

 理工系人材育成の要として、2005年あたりからサイエンスコミュニケーションを担える研究者を育てる動きがありました。東工大でも、学生が専門分野として向き合っている科学技術を、現実社会の中でとらえ直すきっかけになればと、サイエンスコミュニケーションの講義やインターンシップ派遣、サイエンスカフェ実践授業などを実施してきました。

 しかし次第にどこか行き詰まり感を持つようになったのです。科学技術情報をわかりやすく伝えることは、準備をすれば学生にもできます。でも、その価値を問い直す議論は、付け焼刃の練習ではできません。日々何を読み、何を考えているかが問われます。カフェが“科学ショー“のようになり、議論に深みが出ないことがしばしばありました。

 集まってくださる一般参加者についても、学びたいという姿勢を持っている方たちだけでなく、もっといろいろな立場の方と議論をしてほしいと思いました。新しい形態を模索する上でも、何とかここを乗り越えたい、この国で機能する新しいサイエンスコミュニケーションを作り出したいとの焦りがあったのです。

 もう一つは、地球環境問題が深刻化するなか、人として研究者としてそれにどうかかわるかという問題です。私は人文系、とくに言語学やコミュニケーションを分析する研究者ですから、温暖化の予測や予防・対策の研究で貢献できるわけではありません。しかし科学技術情報を社会にどのように持ち込み、どう社会に浸透させるかという問題提起には関与することができます。

 そこで、キーワードとして「アート(デザイン)」を持ち込み、科学技術と社会をつなぎ、両者に反応を起こさせるための媒介にできないかと考えたのです。環境問題をモチーフに、質の高い関連アートを媒体に議論をし、そこから現実社会の問題を浮かび上がらせていくようなサイエンス&アートカフェの可能性を探りました。

 当初はアートもデザインも一緒にして「アート」とくくり、「東工大サイエンス&アートラボCreative Flow」の名前でプロジェクトを開始しました。今では参加者数も数百人単位に増えイベントも多岐にわたるようになり、通称「クリフロ」と呼ばれています。

―東工大と武蔵野美術大との縁組は何がきっかけですか。

 4年前から続けているこのカフェが建築シリーズを手がけたおりに、協力者の武蔵野美術大(美大)卒業生のデザイナーが骨を折って繋いでくれました。

 最初は「デザイン情報学科」に話が持ちかけられ、共同研究が始まりました。あとから聞いた話ですが、教育機関での「科学技術とデザイン」の組み合わせは昔から試行されていましたが、何度も失敗、破談の繰り返しだったそうです。それで美大側には、「またエンジニアたちと?」「どうせ破断するなら最初からやりたくない」との敬遠気分も一部では出ていたようです。

 クセの強い者同士ですから、難しいのは当然でしょう。エンジニアは確実に作れるモノにこだわり、デザイナーは作りたいイメージにこだわるものなのです。

―4年がかりとはいえ、ここまでうまくいった理由はなんでしょう。

 そのキーになったのが、私の専門分野の「翻訳理論」だと思っています。「サイエンス」も「エンジニアリング」も「デザイン」も、お互いに壁の高い異質な領域であり、個性や自己主張が強い分野ですが、双方を橋渡しするために、敢えて「翻訳」の概念を導入してみたのです。

―翻訳の概念とはどんなことでしょうか。

 「翻訳」は単なることばの置き換えではありません。現実社会や人間同士の関係を映し出す鏡でもあります。文化も生活習慣も使命も異なる人と人とが交流する上で、翻訳行為は不可欠なものです。

 日本学術会議における議論でも、「『訳す』という実践は、自らの言語と文化を省察しながら異なる文化を体験し複眼的思考を獲得することであり、世界の多様性を認識する」手だてとなることが指摘されています。

 翻訳には3種類あります。まず「言語間翻訳」は日本語から英語への翻訳です。次に「言語内翻訳」は日本語の科学技術の専門用語を一般的な用語に言い換えたり、学術論文の内容を子供新聞の記事で紹介したりするものです。最後の「記号間翻訳」は最も広義な翻訳で「メディア変換」とも言い換えられます。科学情報をポピュラーサイエンス、たとえばドキュメンタリー映画に変換するとか、テクノロジーをアートで表現するなどの例があります。

 あるコンテンツを別のメディアで表現すると、受け手の枠が広がります。本来関わるはずのない層の人々がその情報に触れることになり、思いがけない発想が生まれたりします。

 今回は、東工大生が持つサイエンスのコンテンツ(中身)と、美大生の持つデザインのスキル(技術)とを融合させるために、彼らの議論によってコミュニケーションを促し、意識的に「翻訳」作業をさせました。言語習慣や価値観の違う相手にアイデアが伝わるよう、言葉を別の記号に変換することを心がけてもらっているのです。

―これまでのサイエンス&アート活動はどんな形式でやったのですか。

 大きく分けると、議論中心とモノつくり中心の活動とに分かれますね。前者は、市民を巻き込んだディスカッションでカフェを定期的に開きました。後者は、議論の末になにかしらモノを制作します。オブジェや映像作品、コラージュ写真であり、時には小演劇を作ってパフォーマンスを見せたこともありました。中でも、東工大と美大の学生によるワークショップが大きな軸になっています。

 カフェではテーマはつねに科学とアートをセットにしています。「持続可能性」「太陽光発電」「建築」「ファッション」「概数」など、多様なトピックを取り上げました。東日本大震災後の節電で社会から光が消えたことをきっかけに、日常生活における「光」のあり方を議論したこともありました。

 ネットの口コミの影響でしょうか、驚いたことにこのカフェには漫画家やグラフィック・デザイナー、ウエブ・デザイナー、彫刻家などのクリエーターが毎回かなり集まりました。最先端の科学の話を期待する一般的な参加者も少なくはないのですが、それ以前のカフェとは雰囲気が違ってきました。情報出しでは終わらず、その意味するところや周辺の話題など、しばしばデザイン業界の専門的な議論など思わぬ方向に発展し、考えさせられてしまったのです。

 小器用なだけの自己主張やきれいごと、批判で終始するとフラストレーションが残ります。そこで、生まれたアイデアを、モノを作ることによって表現してみてはどうかと思いつきました。 学生たちが社会に出たとき、口先だけのあいまいな意見ではすぐに底が割れてしまいます。真の議論や批判に耐えうる主張をし、何をどう設計(デザイン)してどんなモノを作り、どんなコトを実現させたかで評価されるわけです。その必要性から、ワークショップに比重を置くようになり、プロジェクトが進化していきました。

―そのワークショップはどんな内容ですか。

 春や夏の学期の終わりに5日間の集中形式で開きます。両大学の学生が毎回10人程度参加します。与えたテーマをもとに、チーム毎に議論し、コンセプトをまとめ、造形物に仕立て上げ、最後に発表会で作品とアイデアを、企業等からのビジター相手に説明し、質疑応答を行う一連の作業です。

 創造性のあるモノづくりを、機能性とデザイン両面から考案し、グループワークを通して現実化するトレーニングです。知識・技術力は高いが表現力・コミュニケーション力が弱い学生、あるいは発想力はあるが論理構成が苦手な学生など、両校の学生には異なる弱みが指摘されますが、各自の弱点に気づき補完し合いながら、グループとして成果を出すことが求められます。この8月に開催したテーマは「オトナとコドモをつなぐもの」でした。

 新しいコンセプトを生み出す議論のプロセスは見ていて非常におもしろいものです。大きめのスケッチブックを用意しておくのですが、だんだん話が煮詰まっていくと、絵を描いたり、ハサミで何か切り始めたり、動きがダイナミックに変わっていきます。数人が額を寄せ合い、スケッチブック上で筆談をしていることもあります。大学毎に面白い特徴が見てとれますね。

 言葉での議論に行き詰ったら、「ツールを変え、翻訳しながらコミュニケーションを」とアドバイスをしています。東工大生は紙面いっぱいに文章を書きこむことがあります。理論的ですが言葉以外へのメディア変換がなかなかできないため、イメージが進まずに立ち往生してしまう場面もみうけられます。

 一方、美大生チームは、ひらめきを基に次から次へと紙面からはみ出すほどに絵や図を描き、時には落書きで埋めるなどの奔放な動きの中に、多彩な発想が見られます。演劇仕立てにするなど、プレゼンでの突飛な表現力にも驚かされました。作業は、東工大ものつくりセンターで、発泡スチロールなどの素材をカッターやニクロム線で切断するなどして、それぞれのコンセプトを表現するものに仕上げます。

 与えられたテーマからモノつくりするために、学生たちは試行錯誤をしながら知恵を絞って物語性を生み出そうとしています。つまり、それぞれに性格や専門性も異なり、初めて出会った学生同士ですが、短時間にお互いへの「翻訳行為」を実践するわけです。

 翻訳を駆使してコミュニケーションが機能したときは、異文化がうまく結合し創造性を発揮することがあるという新たな気づきも得られています。

―面白そうですね。その光景が目に浮かぶようです。

野原佳代子 氏
(のはら かよこ)
野原佳代子 氏
(のはら かよこ)

野原佳代子(のはら かよこ) 氏 プロフィール
東京都生まれ。田園調布雙葉高校卒。学習院大学大学院人文科学研究科で修士(日本語学)。オックスフォード大学マートン・コレッジで修士(歴史学)、同大クイーンズ・コレッジ東洋研究科で博士(翻訳理論)。オックスフォード大学東洋研究科講師、学習院大学文学部助手、ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)翻訳・コミュニケーション・文化研究センター ポスドク国際研究員。東京工業大学 准教授を経て2012年から同大教授。

『科学技術コミュニケーション入門』(共著、培風館)、「Top Class Nihongo 1・2巻」(共著、多楽園)。研究テーマは、ポピュラー文学の翻訳文体、サイエンスカフェやワークショップにおける議論展開、理工系デザイン教育、占領下における理科教育改革と科学リテラシーなど。

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