インタビュー

第4回「もっと学界を信用する国に」(河田惠昭 氏 / 関西大学社会安全学部長、防災対策推進検討会議委員)

2012.08.24

河田惠昭 氏 / 関西大学社会安全学部長、防災対策推進検討会議委員

「復興は徹底した話し合いから」

河田惠昭 氏
河田惠昭 氏

東日本大震災を機に防災、特に自然災害対策に多くの人々の関心が高まっている。新聞やテレビを介した地震学者をはじめ防災研究者の発信量も急に多くなった。一方、6月に閣議決定された科学技術白書は、大震災を機に科学者・技術者に対する信頼感が低下したことを指摘している。科学者・技術者がそれぞれ個人の立場で発信する意見の中に、責任ある立場にある指導的科学者・技術者の見解が埋もれてしまっていると感じる人も多いのではないだろうか。中央防災会議「防災対策推進検討会議」は7月31日、「災害対策のあらゆる分野で「減災」の考え方を徹底することが大事だ」とする最終報告書を公表した。「防災対策推進検討会議」の有識者委員をはじめ複数の中央防災会議専門委員会で座長も務める河田惠昭・関西大学社会安全学部長に「今、急がれる論議」と「やるべきことは何か」を聞いた。

―結局、避難が大事、そのためには地域ごとにどのように対応するか、決める必要があるということかと理解しました。このような地域の作業というのは着実に進んでいるのでしょうか。

行政がやっています。大阪市や神戸市といった市町村単位で進んでいます。大阪府や兵庫県はその基準を示すという形で…。兵庫県ですと、カラーのハザードマップがホームページに載っています。住民の方の関心も強く、私もいろいろなところで講演しますが、会場に入りきれないほど人が集まることもしばしばです。

これまでは、シンポジウムやセミナーで災害について学ぶのは、比較的時間の余裕がある高齢者が多かったのです。しかし、東日本大震災を機に、お子さんを持つ若い世代も関心を持つようになりました。避難所に指定されていた宮城県石巻市の大川小学校で教職員、生徒が逃げ遅れて大勢犠牲になったことなどが影響していると思われます。ですから、PTAがとてもよく動くようになっています。これからの防災・減災を考えるという意味では、東日本大震災も決して無駄になってはいないと言えると思います。

―安全に深く関係することについては、一般の人々もきちんと考えているということでしょうか。

日本人の一人一人はとても賢いのです。ところが、集団になった途端に考え方が安易になってしまうところがあります。欧州の場合、民主主義が実現したのは一人一人の血と汗の結晶とも言えますよね。4月から5月にかけ決選投票で決着がついたフランスの大統領選挙などをみても、国民の関心というのがとても高いことがよく分かります。1、2回とも投票率は約80%という高率でした。

日本の民主主義はある意味で敗戦によってもらったため、民主主義が身近な問題だという意識が薄いのです。自分たち自身がやらなければならないという意識が、西欧先進国に比べるとまだ定着していないところがあります。一人一人に冷静に話をすると分かってくれるのですが、集団になるとその中での自分の役割がなかなか見いだせず、迎合的なポピュリズムに陥ってしまうようなところがあります。

しかし、今回のような自分たちの命の問題になってくると、そうはいかないとなったのでしょう。原子力発電所再稼働の問題でも政府は、まさに今までとは異なるパターンで意見を集約せざる得なくなっています。意思決定の方法を、はっきり変えなければならない時代に来ているということです。

これは私個人の考え方ですが、安全神話が壊れて、原子力発電所が事故を起こさないということはあり得ないのだとなった時に、まず必要なことは「私たちの社会にとってそれは危険だ」という認識です。ただし現状では急にゼロにはできない。しかし、「ゆくゆくは再生エネルギーや自然エネルギーのようにコストがかかっても、安全なエネルギーに頼る方向に持っていかなければいけないから、30年かけて原子力発電所はゼロにする」といった目標を明示すべきだと私は思います。

そうすると、その危ない原子力発電所を30年間事故のないように動かさなければいけません。そのための科学を発展させる必要があるわけです。すなわち今度は条件付きで30年間に事故に遭遇する確率はどれくらいあるのか、という評価から堤防の高さなどを決めなければいけないのです。10メートルの堤防を造ったら絶対大丈夫だなどと言える時代ではないのです。確率は小さくても、リスクはあるわけですから。

ですから、そういう中で何年間、付き合っていかなければいけないとなったら、否が応でも、どこかで線を引かなければいけないのです。そのときに科学的なデータをベースに使うということです。それが1万年に1回起こる確率で、みんながいいと言うのであれば、それで行けるでしょう。10万年でも、100万年に1回でも駄目だと言ったら実行はできないのです。

―そこで科学的なデータというものが重要になりますね。今の日本社会は、各府省がつくった審議会、原子力の場合は原子力安全委員会や原子力委員会ですが、この人選が問題かと思います。結局のところ行政府が選んだ人たちだから、一般の国民からすると「何を言おうと信じられない」という事態になっているかと思います。少なくとも米国の科学アカデミーのように「政府から独立した」と国民から見なされている機関が、科学的なデータを出すような仕組みづくりに科学者、研究者の側も動く必要があるのではないでしょうか。

だから、私は学会が頑張らなければいけないと思うのです。そういう、きちっとした科学的根拠をベースに話し合う場が学会ではないですか。学会が「こうすべきだ」というガイドラインを出して、それに対して政府や、経済界が意見を言う形にすべきです。そういう形にしない限り、御用学者のような方はいいけれど、反対意見の人は政府も委員会に入れたくない、となってしまうでしょう。

―それはそうです。時間がかかってしょうがない、と考えるでしょうから。

だから、賛成意見の人を入れますよね。それが今回のような事故につながっているのです。社会の成熟度にも関係するのですが、やはり学会の役割が重要です。東南アジアの諸国を見ても、多方面の学会がちゃんとあるのは日本だけです。中国本土にも台湾にも、例えば土木学会一つないのです。社会の成熟度というのは、学会がどれだけ充実しているかに依存しているのです。

私たちはずっと前から、土木学会のようなものをフィリピンやインドネシアに作っていただいて、そこと協定を結んでいろいろな協力をしようとしていたのですが、ないのです。研究者は皆、政府にぶら下がっているのです。

なぜかというと、例えば土木事業などは、政府開発援助(ODA)でお金が行くでしょう。だから、政府がお金を持っているわけです。要請主義といって、例えば、タイ政府がこういうことをやってほしいということについて、日本政府はお金を出します。そうするとタイ政府は、この事業を推進するために必要な学者を集めるのです。だから、政府にとっては、研究者たちの横のつながりなんて一切いらないわけです。利用できる人を集めればいいわけですから。

特に研究費に関しては、米国や欧州の先進国が持っていますから、大きなプロジェクトであれば、例えばエジプトの学者は、自分が米国の大学でPh.Dを取っているというつながりで、お金が来るのです。ということは、そのエジプトの研究者がやっている課題は、エジプトで問題になっているというよりも、むしろ米国で問題になっており、米国が求めている課題について先進的にやっているということになりがちなわけです。

―自分の国のためになっているかどうかが二の次になっているということですと、その国のためになっているかどうか、あやしくなりますね。

だから、耐震設計でピカイチの研究者が途上国にいるというようなことが起こり得るわけです。その途上国ではレンガ造りの家がガシャッとつぶれて、たくさんの方が亡くなっているというのにです。つまり、研究費の流れで、研究者の構造ができているのです。だから、途上国ではなかなか学会というものが育たないのです。トルコだって土木学会はありません。研究者の組織化はせいぜい大学単位になってしまっており、同じ分野の研究者が横につながっているということが、途上国ではほとんどないのです。途上国か先進国かを判断する一番簡単な方法は、各分野ごとに科学アカデミーがあるかどうかを見ること、といってもよいでしょう。

日本でまず必要なことは、もっと「学界」を信用していただくことです。原子力発電だって原子力学会があるじゃないですか。そこできちっとした評価をやっていただくことが第一で、それしかないと私は思うのです。

(続く)

河田惠昭 氏
(かわた よしあき)
河田惠昭 氏
(かわた よしあき)

河田惠昭(かわた よしあき) 氏のプロフィール
大阪市生まれ。大阪府立大手前高校卒。1969年京都大学工学部土木工学科卒、74年京都大学大学院工学研究科博士課程土木工学専攻修了、京都大学助手。93年京都大学地域防災システムセンター教授。巨大災害研究センター長、人と防災未来センター長を経て2005年京都大学防災研究所長。09年京都大学退職、関西大学環境都市工学部教授。10年から現職。中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」、「地方都市等における地震防災のあり方に関する専門調査会」の座長を務めるほか昨年10月に設けられた「防災対策推進検討会議」の委員も。

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