インタビュー

第1回「急がば回れ」(河田惠昭 氏 / 関西大学社会安全学部長、防災対策推進検討会議委員)

2012.08.03

河田惠昭 氏 / 関西大学社会安全学部長、防災対策推進検討会議委員

「復興は徹底した話し合いから」

河田惠昭 氏
河田惠昭 氏

東日本大震災を機に防災、特に自然災害対策に多くの人々の関心が高まっている。新聞やテレビを介した地震学者をはじめ防災研究者の発信量も急に多くなった。一方、6月に閣議決定された科学技術白書は、大震災を機に科学者・技術者に対する信頼感が低下したことを指摘している。科学者・技術者がそれぞれ個人の立場で発信する意見の中に、責任ある立場にある指導的科学者・技術者の見解が埋もれてしまっていると感じる人も多いのではないだろうか。中央防災会議「防災対策推進検討会議」は7月31日、「災害対策のあらゆる分野で「減災」の考え方を徹底することが大事だ」とする最終報告書を公表した。「防災対策推進検討会議」の有識者委員をはじめ複数の中央防災会議専門委員会で座長も務める河田惠昭・関西大学社会安全学部長に「今、急がれる論議」と「やるべきことは何か」を聞いた。

―先生は今回の中央防災会議「防災対策推進検討会議」最終報告書に先だって、昨年9月に公表された中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会報告書」を座長としてまとめられました。さらにこの7月には、「南海トラフ巨大地震について」(中間報告)を、南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ主査としてまとめ、公表されています。いずれも、最大クラスの津波に対しては被害の最小化を主眼とする減災という考え方を提言し、海岸保全施設などのハード対策で津波被害をできるだけ軽減するとともに、それを超える津波に対しては、防災教育の徹底やハザードマップの整備など避難を中心とするソフト対策の重視で対応することを強調されています。実際に「だれが、どういうところから手を付けた方がよいのか」伺います。

東日本大震災の被災地は、3月末までに一応の復興計画を策定しました。全被災市町村がこれから「まちづくり」を始めるわけですが、復興計画は被災者全員の合意を得たものではありません。ですから、それぞれの地区で計画の具体化について話し合いをしていただく必要があるわけです。

日本は歴史の長い国ですから、それぞれの文化があります。今回のような未曾有の津波災害を被った後で安全対策をどうするかということと、それぞれの文化がそう簡単に折り合うはずはありません。どこに折り合う接点を見つけるのかという議論をまずきちんとやっていただく必要があるわけです。いきなり「危ないから、防波堤を造った方がよい」と言えるほど、日本の社会は単純ではないのです。

関係者がそれぞれどのような考えを持っているか、話し合いの機会を何度も持っていただき、そこにいる人たちの相互の信頼関係をまずつくらないことには、新しいことなんてできないからです。利益が絡んでいますから、本音をぶつけ合う話し合いを何度も重ねないと、信頼感の醸成などできません。

今回の大震災に遭う前に、自分の家が流されるなどという事態を考えた人などまずいないでしょう。そういう悲しい現実を突き付けられてすぐに、どのようにしてまちを復興しようかなど、頭を切り替えられるでしょうか。人々が思うところを出し合いそれをまとめていくプロセスがまず必要なのです。

―確かに、すぐに頭を切り替えるのは無理でしょうね。

無理です。だから私は「急がなければいけないけれども、あせって結論を求めるようなものではない」と言っているのです。それぞれの思いを聞いて、「こんなのがいいのではないのか」というものをつくっていくプロセスがどうしても必要です。そういう時間を経て、突きつけられた現実をやっと受け入れられるのですから。

自分の子どもが亡くなったとか、お父さんが亡くなった、おばあちゃんが亡くなったという現実を受け止めるというのはとても時間がかかるし、勇気がいることです。場合によっては、絶望的になって「家なんかどうでもいいや」となってしまいます。地域をどうするかということを考えられるまでには、少し時間をかけてやらなければいけないわけです。

中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」で私たちはいろいろ議論をし、いろいろな提案をさせていただいています。ただし、「これでやってください」と言っているわけではないのです。

ただ、考え方の基本というのはきちんと示しています。三陸沖ですと明治三陸沖地震(1896年、死者・行方不明者21,959人)、昭和三陸沖地震(1933年、死者・行方不明者3,062人)のようにマグニチュード(M)8前後の地震による津波が50年に1度くらい襲って来ます。また、今回のように貞観地震(869年、M8.3-8.6)のようなタイプの巨大津波にも見舞われています。千年に1度ほどしか来ない今回のような津波にどう対応するかについては、別の考え方が必要です。「50年程度に1回来るような津波に対しては、技術でできるだけ被害が出ないようにする」。こうした対策が基本になりますが、それを超えるものがあるという想定が必要です。1つに絞った対策だけでなく、町全体で被害の発生を抑える対策を取っていただかなければいけないのです。

例えば50年に1度の津波でも、岩手県大槌町では15メートルもの高さになりますし、隣の山田町は13メートルもの高さになります。それぞれ15メートル、13メートルの防波堤を造るとなったら、三陸の沿岸は北から南まで金太郎あめのような町ができてしまいます。海と街の間に巨大な防波堤がそそりたつ…。それで住民の方々が納得されるならいいですが、そうではありません。

日常の生活を考えれば防波堤は低くしたいとなるのが当然ですが、するとそれを越える津波が来ることも考えなければなりません。国道45号線、三陸リアス鉄道を盛土構造にして防波堤の役割も兼ねさせるといった対策が考えられます。通常、広い地域に一つ造られている高校は電車通学が多いので鉄道駅の近くに造るのが現実的です。そうであれば海岸に近いと危険ですから、駅はできるだけ山側に造るようにしようとなるはずです。また小学校は一番安全なところに造り、かつ防波堤の役割を果たす道路や鉄道が海側を通るようにするまちづくりを、といったように、地域の人たちの合意を得るような造り方をする必要があります。

公共事業をやろうとすると、関係する土地を全て一定期間までに買収できなければ困ります。まちづくりのマスタープランの段階でおおよそみんなが合意できないと、土地の売買が絡んできて、とても難しいことになるのです。「町にとっては、これから特に子どもが大切なのだから大事にしよう。だから、今回のような津波が起こったときに、子どもたちが真っ先に犠牲になるような所に学校を造るのはまずいのでは」と話を持っていき、みんなが「そうしよう」と同意してくれればしめたものです。

「これから病気になる高齢者が増えてくるのだから、病院もあまり危険なところに造るのはやめよう」といった話し合いも大事でしょう。被災者を中心に「どういう町をつくりたいか」を聞きだし、将来の災害に対し安全性を十分備えた町をつくる。こうした取り組みに、この報告書が活用されることを期待しています。

(続く)

河田惠昭 氏
(かわた よしあき)
河田惠昭 氏
(かわた よしあき)

河田惠昭(かわた よしあき) 氏のプロフィール
大阪市生まれ。大阪府立大手前高校卒。1969年京都大学工学部土木工学科卒、74年京都大学大学院工学研究科博士課程土木工学専攻修了、京都大学助手。93年京都大学地域防災システムセンター教授。巨大災害研究センター長、人と防災未来センター長を経て2005年京都大学防災研究所長。09年京都大学退職、関西大学環境都市工学部教授。10年から現職。中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」、「地方都市等における地震防災のあり方に関する専門調査会」の座長を務めるほか昨年10月に設けられた「防災対策推進検討会議」の委員も。

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