インタビュー

第1回「人間的なもの重視する先進医療」(斎藤加代子 氏 / 東京女子医科大学付属遺伝子医療センター所長)

2012.03.19

斎藤加代子 氏 / 東京女子医科大学付属遺伝子医療センター所長

「遺伝カウンセリング - 患者に最適な医療目指して」

斎藤加代子 氏
斎藤加代子 氏

ゲノム(遺伝子)研究の進展とデータ処理技術の急速な進歩によって医療の世界も大きな変化が起きつつある。効果がない薬にもかかわらず、服用を続けているといった無駄をなくし、患者の遺伝子を調べて患者に合った治療を実現しようとするオーダーメイドあるいはテーラーメイド医療の重要性が叫ばれている。また、疾患の確定診断、症状が出る前の発症前診断、さらに出生前診断など、多様なゲノム医療の進歩を臨床現場に応用する必要性が高まっている。こうした動きの最先端にあるといえるのが、遺伝カウンセリングという新しい医療分野だ。日本で初めて独立の遺伝子医療センターを開設した東京女子医科大学では、年々、訪れる患者が増えている。斎藤加代子・同大学遺伝子医療センター所長に、遺伝カウンセリングが患者にどのように役立っているか、普及の妨げになっている問題点は何か、を聞いた。斎藤所長は、「解析から応用へ、そして未来への飛躍」というテーマで今秋開かれる日本人類遺伝学会第57回大会の大会長を女性として初めて務めることも決まっている。

―東京女子医科大学は、関東地区で最も遺伝カウンセリングの実施件数の多い病院と聞いています。自分がある病気にかかりやすい遺伝子を持つかもしれないとい う不安をおして、あえてカウンセリングを受ける患者というのは、どのような気持ちからなのでしょうか。後で後悔するようなケースはないのでしょうか。まず 具体例を聞かせてください。

原因遺伝子が分かっているハンチントン病という病気があります。一例を挙げましょう。母、兄ともハンチントン病なので、自分もいずれ発病するのではないかと訪ねてきた50代の主婦の方がいました。もっと若いころに検査を受けたかったとのことですが、検査してもらえる機関が分からず、患者会に相談してここを紹介されたということでした。最初は1人で来られたのです。遺伝カウンセリングにおいて一番大事なことは、その人をサポートしてくれる人、その人が一番心から頼っている人はだれか、ということです。「夫です」ということでしたので、次にご夫婦で来ていただきました。ご主人は会社員です。「昔から妻はこの検査を受けたいと言っていたからお願いします。私は出張も多く、忙しくて…」などと気軽な感じで言われました。

そこで、発症前診断にどういう意味があるか、もし陽性だった場合のサポートや人生設計のことなどいろいろお話ししました。「知らないままでいる」という権利も尊重されなければなりません。奥様が例え知りたいと思われても、本当に知らせた方がよいかどうかは十分考える必要がある、ということもお話ししました。だんだんご主人が硬い表情になって、これは大変深刻な問題だと分かってくれたようです。まず、奥様がこの遺伝子変異を持つことが分かった場合に発病の前、発病の後を想定してどのように対応するか、レポートを書いてきてくださいと頼みました。

ハンチントン病の遺伝子を持つ家系に生まれ、自身、ハンチントン病の研究支援体制の構築に家族ぐるみで力を注いだナンシー・ウェクスラー、アリス・ウェクスラーという米国人姉妹がいます。このウェクスラー氏の書いた書物もお貸ししました。次にご主人が持ってきたレポートには、奥さんが発病したら自分が全面的にサポートしたい、そのためにも遺伝子変異があると分かったら何歳くらいで家をバリアフリーにする、どういう医療保障制度があるかも勉強したい、などということがA4判数枚にわたって書かれていました。参考にした本や論文も引用し、ウェクスラー氏の著書も読んだ上で書かれたレポートでした。

さらにソーシャルワーカーを紹介して、発病した場合に日本にどのようなサポートの体制があるかを知ってもらったところ、病院の近くに住んだ方がよいか、あるいは田舎に移り住むのがよいかなど人生設計をきちんと考えてくれるようになり、奥様の方が大変びっくりしてしまいました。

奥様もとにかく検査は受けたいということでしたので、学内の倫理委員会にご夫妻のレポートも付けて遺伝子検査の申請をしました。倫理委員長は「ご主人のレポートを読んで泣いてしまった」といわれ、申請は通りました。

遺伝子検査の結果は、陽性でした。私たちも非常に心配したのですが、検査結果が出た後、ご夫妻で来られ、やはり「2週間はものすごく落ち込んだ」とおっしゃっていました。しかし、その2週間ほどの間に、ご主人がインターネットで最新の治療、外国でどのような治験が行われているかなどの情報をたくさん探し出して奥様に見せてあげたりするうちに「仕方のないことだ」とも考えるようになったということでした。

私たちは、検査で陽性と出たらそこから本当の医療が始まると考えています。大学内の神経内科の先生も紹介いたしました。まだ発病されていませんが、今でも定期的に来ていただいています。親が発病した年齢から、自分も何歳くらいで発病するかもしれないということを想像されていると思いますが、精神的な乱れも見られず、健康管理のために休日にはご夫婦で出かけたりしているということです。

検査を受けて2年目くらいの時点でアンケートに答えていただきました。つらかったけれども、本当に受けてよかった。ご主人がこんなに思いやりのある人だとよく分かって、自分は本当に幸せだ、ということが書かれていました。

―遺伝カウンセリングを受けて初めて幸せと分かったことがある、ということですね。

そうです。ですから遺伝子の変異で発病するという深刻な問題も、やはり基本には家族の愛情といった素朴なところがあるのです。そうした家庭の幸せとか、夫婦の愛情といった人間的な面をベースに成り立つ先進医療といえます。

(続く)

斎藤加代子 氏
(さいとう かよこ)
斎藤加代子 氏
(さいとう かよこ)

斎藤加代子(さいとう かよこ)氏のプロフィール
福島県須賀川市生まれ。雙葉学園高校卒。1976年東京女子医科大学卒、80年同大学院医学研究科内科系小児科学修了。東京女子医科大学小児科助手、同講師、助教授などを経て99年小児科教授。2001年大学院先端生命医科学系専攻遺伝子医学分野教授、04年から同教授と兼務で現職。09年から男女共同参画推進局女性医師・研究者支援センター長、10年から統合医科学研究所副所長・研究部門長、11年から図書館長をそれぞれ兼任。専門は遺伝医学、遺伝子医療、小児科学、小児神経学。医師に必要とされる患者との接し方など人間関係教育や医学部卒前教育にも深く関わってきた。

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