インタビュー

第5回「人工光合成は次世代への責任」(沈 建仁 氏 / 岡山大学 教授)

2012.02.29

沈 建仁 氏 / 岡山大学 教授

「光合成、残された最大のナゾを解明」

約200年にわたって世界の科学者が追い続けてきた植物の光合成研究で、最後に残された最大のナゾを、沈(しん)建仁・岡山大学教授と神谷信夫・大阪市立大学教授のグループが突き止めた。太陽光と水から酸素を作り出すための要となるタンパク質「光化学系Ⅱ複合体」の結晶構造を解明したもので、米科学誌「サイエンス」は昨年の画期的な10大成果として、日本の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還などとともにこの成果を取り上げ、高く評価した。今後の人工光合成の実現にも大きな弾みがつくとみられる。この成果の意味や、研究の苦労、裏話などを2人に聞いた。

―また沈先生と神谷先生の話に戻りましょう。2月23日には、科学技術振興機構(JST)主催の特別シンポジウム『酸素を作り出す植物の仕組み+光合成の機能解明の現状と展望+』が開かれ、多数の参加者が沈先生、神谷先生などの講演に熱心に聞き入っていました。素晴らしい成果発表に、一般の人や企業関係者もおおいに関心を持ったようです。そこで、こうした成果を生み出すまでの先生方の共同研究に関心があります。20年間も淡々と続けてこられたのはなぜでしょうか。

神谷信夫 氏
神谷信夫 氏

神谷信夫 教授
お互いの専門分野が違っていたことが挙げられるでしょう。私は化学、沈先生は生物学で、「光化学系Ⅱ複合体」という研究対象に対する見方が違っていたからではないでしょうか。専門分野が同じであったり近すぎたりすると、議論が先鋭的になって長続きしないかもしれません。お互いの専門性をしっかり持った上で、相手を尊重しながらすみ分けすることがコツでしょうか。何よりも構成メンバーがそれぞれハッピーになっていることが重要です。

沈 建仁 氏
沈 建仁 氏

沈 建仁 教授
私が当初入った理化学研究所の上司である井上頼直先生から、神谷先生に共同研究を持ちかけました。良質な結晶のデータが採れた時に構造解析をお願いしました。結晶作りは私で、解析は神谷先生とお互いに相補的に協力し合ってきました。これほどの長期間、よく神谷先生が耐えてくださいました。

―沈先生は、2002年にJSTの戦略的創造研究推進事業「さきがけ」に採択されました。その後の研究にどんな影響を与えましたか。


私は理化学研究所の研究員でした。当時の「光合成科学」研究室の井上頼直主任研究員が定年を迎えるため、研究室の解散が迫っていました。研究テーマを光合成以外に変えるかどうか迷っていた時期で、非常に苦しい研究環境だっただけに、採択を知ったときは救われた思いです。もし採用されなかったら、ここまで息長く研究は続けられなかったかもしれません。郷(ごう)信広・研究総括の領域「生体光エネルギー変換の分子機構」は優秀な人が何人も集まっていて、その中で私は地味な仕事をやるタイプだったと思いますが、いろいろ勉強になりました。

―「さきがけ」の事後評価書を読むと、郷信広・研究総括が沈先生の研究姿勢を高く評価しています。「非常に困難で忍耐のいる仕事をきっちりと成し遂げた点、研究者としては感激的である。脚光を浴びる大成果ではないが、こういう粘り強い研究態度、姿勢がこの構造解析研究分野には必要であるという見本と評価している」と絶賛しました。


大変高く評価していただいたと感謝しています。同じ領域で、毎年「サイエンス」「ネイチャー」に論文を出されている研究者もいて、その中で私が取り組んでいる仕事を十分ご理解いただき、ご評価いただいたと思っています。郷先生は京都大学理学部などの教授を長く勤められたこともあってか、基礎研究や自然原理の解明の重要性を説いておられたと思います。その姿勢からも学ぶことは多くありました。

―「サイエンス」誌が昨年の科学の10大成果に選んだ日本の2つの研究、「光合成タンパク質の構造解析」と「小惑星探査機『はやぶさ』プロジェクト」には、研究の根っこのところでも共通した縁があるようですね。

神谷
キーワードは放射光研究施設「SPring-8」です。私たちはこの放射光のおかげで極微細で複雑な分子の構造を解明できました。「はやぶさ」も、宇宙から運んできたお土産の砂粒を精密に分析し小惑星の成分を解明できたのは放射光の成果で、これが共通点です。とても不思議な縁を感じます。

―光化学系Ⅱ複合体の中の酸素発生の要となる分子の構造に、「歪(ゆが)んだイス」とユニークな名前を付けました。オヤ、何だろうかと興味を引きつけられるネーミングです。

歪(ゆが)んだイス
歪(ゆが)んだイス


この名前は神谷先生が思いついたもので、なかなか良かったと思います。米国でも評判が高かったようで、知り合いの研究者がわざわざ“歪んだイス”(distorted chair)の写真をメールで送ってくれました。外国人はこのようなユーモアセンスに敏感に反応するのですね。サイエンスの研究には気の利いたネーミング力が欠かせないことも大いに勉強になりました。

―大阪市議会からも、人工光合成研究を促進してほしいとの要望書が出ていますね。

神谷
大阪市からは都市エネルギー問題の解決に向けた研究を進めるために、発足した大阪市大複合先端研究機構の施設作りなどに予算をつけていただきました。ここでは太陽光を効率よく集める人工アンテナの開発をはじめ、私たちが解明した「光化学系Ⅱ複合体」と同じような構造を持ち水から酸素を発生させる触媒や、二酸化炭素からメタノール燃料を合成する触媒を開発し、これら3つの要素をシステム化する研究を進めています。まだまだハードルは高いのですが、優秀な技術を蓄積した産業界と連携して、できるだけ早く人工光合成を実用化できるように努力していきたいですね。

―欧米では、人工光合成研究に政府が大きな予算をつけ、官民挙げて大々的に取り組んでいるようです。日本は光合成の基礎的な研究では世界トップに立ちましたが、応用面での対応が遅れていますね。

神谷
日本ではどういう訳か、太陽光パネルによる発電と人工光合成の違いについてまだ認識が十分でないようです。発電は文字通り電気を作ることで、化石燃料を燃やさずにエネルギーを取り出すことができます。しかし逆に、大気中の二酸化炭素を利用して化石燃料に変わる新たな燃料や化学工業原料を作り出して「炭素循環による持続可能な社会」を実現するものではありません。今回のインタビューで既に話題になったことですが、現在の地球上の豊かな生物界(有機物)とそれを支える栄養(食料)も化石燃料も、ほとんどすべて、地球誕生直後の大気に含まれていた二酸化炭素を原料として光合成が作り出したものです。荒っぽい言い方ですが、地球上の炭素は有限です。人類を含めて、今後の生物界が持続可能なものとなるかどうかは、ひとえに、効率の高い人工光合成を実現できるか否かにかかっていると言えるのではないでしょうか。

―沈先生や神谷先生を見出した、いわゆる“目利き”がいたとすれば、どなただとお考えですか。


私は東大で学位を取った後、仕事を探していた時に理研の研究室に採用してくださった井上頼直先生ですね。「光化学系Ⅱ複合体」の結晶を作ってみないかと言われたのも井上頼直先生です。その一言で20年かかりましたが(笑い)。

神谷
つくばのフォトンファクトリーでビームライン建設をやっていた私を研究員に採用して、「理研をタンパク質結晶解のメッカにせよ」と指示された岩崎準先生だと思います。「光化学系Ⅱ複合体」の結晶解析を担当することになったのも、井上先生と岩崎先生の相談の上でした。今になって思うのですが、「タンパク質結晶解析のメッカ」も「光化学系Ⅱ複合体の結晶解析」も、当時の理研の主任研究員の想像力は、ちょっと尋常ではないスケール感覚があり、先を見通す鋭い目を持っていました。私も、できればあやかりたいと思います(笑い)。

―最後になりますが、中学、高校の生物教科から「光合成」の単元が無くなったり減らされたりしたと聞きました。地球誕生以来の生命観を知ることも必要です し、人工光合成はこれからの人類のエネルギー問題の解決に不可欠で大事な研究です。それが学校教育から排除されているのはなぜでしょうか。


中学、高校の生物では遺伝子関連の内容が劇的に増えました。光合成はタンパク質が主役ですし、内容が複雑なものですから、敬遠されたのかもしれません。しかし、遺伝子が関わる現象の原理が多く解明されてくるにつれ、これからはタンパク質やエネルギー代謝が大事だということが再認識されてくると思います。中学、高校の生物教科で、光合成の内容が増えてくることを期待しています。

神谷
私は化学を教える立場なので、中学、高校の生物から光合成の項目が無くなったのを知りませんでした。自然科学はこれまでの数世紀にわたり「進歩」の代名詞のようにして発展してきたので、200年以上も研究されている光合成はもう古いと誤解したのかもしれません。しかし化学の立場から見ると、今回の成果を含めても、われわれはなお光合成のほんの一部を理解したにすぎず、現在の知識だけで人工光合成を実現するには、よほどの幸運が必要なように思えます。「持続可能な社会」の実現には若い人に頑張ってもらうしかありません。有限な炭素を無限の太陽光で循環させる人工光合成を実現させるために、中学、高校で光合成の教育をぜひとも復活させていただきたいものです。

―時代の風が大きく変化し始めたようです。人工光合成には、生物学、化学、物理学だけでなく、環境、農業、エネルギーから工学、生命科学、情報科学、社会科学にいたる幅広い学問を総動員して取り組む必要がありそうです。まずは国の研究プロジェクトで「人工光合成」を基幹テーマに掲げ、研究基盤を固めつつ応用研究を進めてもらいたいですね。さらに教科書で「光合成」や「人工光合成」の基礎知識をきちんと教えてほしいものです。

人工光合成は、未来の子どもたちに受け継ぐべき大事なエネルギー解決策の一つであり、私たち大人の世代の大きな責任でもあるからです。とても興味深い、大切な話をありがとうございました。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(完)

沈 建仁 氏
(しん けんじん)
沈 建仁 氏
(しん けんじん)

沈 建仁(しん けんじん) 氏のプロフィール
1961年、中国生まれ。杭州市第九中等学校(日本の高校に相当)卒。82年中国浙江農業大学農学部卒。90年東京大学大学院博士過程修了、理学博士。理化学研究所研究員を経て2003年から現職。専門は光合成、植物生理学など。02年にJST戦略的創造研究推進事業「さきがけ」の「生体分子の形と機能」(郷 信広・研究総括)に採択された。

神谷信夫 氏
(かみや のぶお)
神谷信夫 氏
(かみや のぶお)

神谷信夫(かみや のぶお) 氏のプロフィール
1953年、愛知県生まれ。愛知県立半田高校卒。75年名古屋大学理学部卒、80年同大大学院博士課程修了、理学博士。専門は結晶構造解析など。高エネルギー物理学研究所放射光実験施設客員研究員、理化学研究所副主任研究員として理研播磨研究所の大型放射光施設「SPring-8」の建設に関わり、のちに同「SPring-8」研究技術開発室長を経て、2005年から現職。

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