インタビュー

第4回「トップランナーだけが知る 汗と涙と喜び」(沈 建仁 氏 / 岡山大学 教授)

2012.02.21

沈 建仁 氏 / 岡山大学 教授

「光合成、残された最大のナゾを解明」

約200年にわたって世界の科学者が追い続けてきた植物の光合成研究で、最後に残された最大のナゾを、沈(しん)建仁・岡山大学教授と神谷信夫・大阪市立大学教授のグループが突き止めた。太陽光と水から酸素を作り出すための要となるタンパク質「光化学系Ⅱ複合体」の結晶構造を解明したもので、米科学誌「サイエンス」は昨年の画期的な10大成果として、日本の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還などとともにこの成果を取り上げ、高く評価した。今後の人工光合成の実現にも大きな弾みがつくとみられる。この成果の意味や、研究の苦労、裏話などを2人に聞いた。

今回は、昨年4月の「ネイチャー」論文の共同筆頭執筆者になった若手研究者の2人に登場してもらいます。元岡山大学で難しい膜タンパク質の結晶作りに取り 組み、現在は大阪市立大学複合先端研究機構に移った川上恵典特任准教授と、その結晶の精密な構造解析を直接担当された同機構の梅名泰史特任准教授です。

―まず、現場で一番苦労したことから話してください。

川上 恵典 特任准教授
「光化学系Ⅱ複合体」の結晶を作るには最古の光合成生物であるシアノバクテリアを使うのです。実験室で培養したものは、はじめはアオコのように濃緑色ですが次第に真っ黒に変色します。この細胞壁を外して結晶化した膜タンパク質からどの位水分を抜くか、最適な状態を見つけ出すのに数カ月から1年もかかりました。また、水に溶けにくい複合体を溶出するためにどんな界面活性剤を使うかにも苦労し、失敗の繰り返しが延々と続きました。

どちらかというと理屈よりも直感とかセンス、経験がものをいうような研究かもしれません。他大学で成功した方法やノウハウなどを聞き出してまねることもあります。逆に他の研究者がやっても駄目だったものが、自分流でやり直すとうまくいくこともある。相手が生き物だけになかなか一筋縄ではいかず、そこが苦労するところです。

手を抜かずに根気よく続けたとしても、いつになったら成果が出るのか、見通しがたたないところが実に苦しい。実際に外国のライバル研究所では、早々と見切りを付けて研究を諦めてしまいましたから。それだけに世界のトップに立てたときの喜びは一入(ひとしお)です。

―シアノバクテリアはどこから採取したものですか。

川上
僕たちが使っているシアノバクテリアは、元は和歌山県の湯峰温泉で採れたもので、紅藻は群馬県・草津温泉です。これは既に実験材料として定着していて、世界中に供給され研究に広く使われているようです。

―日本の温泉で採取された微生物が、光合成研究に役立っているなんてあまり知られていませんね。隠れた名物かもしれません。では、梅名さんはどんなところで苦労しましたか。

梅名 泰史 特任准教授
その膜タンパク質の結晶を受け取って分析する私たちの側も、扱いには手が焼けました。結晶は低温の窒素ガスで凍結された、大きさ1ミリほどの黒っぽい緑色の物質です。分子量が一般に構造解析されているタンパク質の20倍から30倍もの巨大な複合体で、その中に関連する分子が140個以上も付いているという超複雑なもの。さらにとても不安定な物質です。

タンパク質の微細構造は肉眼でも、電子顕微鏡でも見えません。そこでエックス線を当てて原子を周回する電子によって散乱される回折像を撮影し、この電子の分布から構造を推定する方法をとるのです。強力なエックス線を当てればシャープな構造が見えるはずですが、エックス線の持つエネルギーの影響で不安定な膜タンパク質の構造は壊れてしまいます。これでは自然の状態のタンパク質の構造とはいえません。これまでの測定経験と事前の分析で、少しずつ位置をずらしながらエックス線の影響をできるだけ抑えるという手間のかかる作業が必要でした。撮った回折像は約900枚に上ります。得られた新たな情報を入れて、コンピューター上で結晶モデルを作り上げて、新たな「光化学系II複合体」の結晶構造を決定したのです。

光合成タンパク質の最大のナゾを解明した梅名泰史さん(左)と川上恵典さん。
光合成タンパク質の最大のナゾを解明した梅名泰史さん(左)と川上恵典さん。

―良質の結晶ができた時の感激はいかがですか。

川上
岡山大学の4年生から始めて大学院博士課程までの6年間、この結晶作り一本にかかわってきました。結晶ができるたびに実験室にあるエックス線回折装置で試験的に調べます。それまでは分解能がせいぜい3.5オングストローム程度でした。簡単には改善しません。

今回の結晶が誕生したのは2009年8月18日でした。この日は実験が長引いてしまい、確か未明の2時か3時ころだったと思います。回折装置にかけたら「2.5オングストローム」が出たのです。たった1.0オングストロームの改善ですが、僕たちにとってはすごい進歩だったのです。興奮しましたね。早速1年後輩の仲間に電話して、寝ていたところをたたき起こし、呼びつけました。喜びを共有したかったからです。ところが駆けつけた後輩のひと言葉は、「測定器の故障ではないの…」。一瞬、喜びが冷めました。

―梅名さんは、複雑な結晶の構造を解明したときの感激はいかがですか。

梅名
「SPring-8」で分析し、だいたいの構造が決まってからも、何度も何度も確認作業や検証作業を重ねました。一段落した深夜に、世界で初めて酸素発生の活性中心の構造を見たときには、何ともいえず感激したことを覚えています。結晶構造を扱う者の最もうれしい瞬間です。さらに、どこから見ても問題がないようにと、何度も厳密さと精緻さを求め、議論を重ねました。苦労というよりも、むしろこれが科学の本来の実験手法なんだと身にしみて感じました。これは神谷先生一流の科学的な厳格さが大いに影響しています。

―光合成の研究テーマに学部学生の関心は薄いと聞きます。岡山大学はいかがですか。

川上
岡山大学では理学部生物学科で光合成の研究をしています。沈先生は2003年に着任されましたが、その翌年に僕は学部3年生で沈先生の研究室に入り、「光化学系Ⅱ複合体」と取り組んだ第1期生です。

最近の学生は動物の内分泌とか遺伝子組み換え方面に流れ、植物生理への関心は低いようですね。高校の授業で光合成の単元が削除されているのも影響しているようです。

沈先生は授業で盛んに光合成研究の必要性をアピールしていますが、学生の反応はまだまだです。「サイエンス」で評価された効果が今年こそ学生にプラスの影響を与えると良いのですが。

―神谷研究室では学生の反応はいかがですか。

梅名
研究室に入る学生は少ない時で1人、多い時で6人と、年によってまちまちです。物理化学は生化学とはかなりかけ離れています。解析理論や数式を用いた厳密さをあまり強調すると学生が敬遠してしまうので、そこが難しいところです。でも、昨年の「ネイチャー」や「サイエンス」に掲載されたニュースを知ってかどうか、現在の4年生は5人も入りました。やはり学生は著名な雑誌への掲載には敏感なのかもしれませんね。

―最後に、沈先生と神谷先生のエピソードをそれぞれ紹介してください。

川上
沈先生は日常会話も日本語の文章も堪能で、初めは中国からの研究者とは気がつきませんでした。物静かでほとんど自己主張することもありません。研究は自由にさせてもらっています。僕が博士課程に進むにつれ、自分流の考えで勝手に研究を進めてしまい、無駄な時間を費やしてしまったことがありましたが、その時は厳しく指摘されました。しっかりとしんの通った先生だと信頼しています。

梅名
神谷先生は化学が専門ですので、現象に対してはとても厳密に見ようとします。そこが光合成タンパク質を扱う植物生理学の一般的な研究者との違いでしょうか。原子1個1個の配置の誤差や動きも見逃さない厳密さです。今はコンピューターのパワーが上がっているので、通常なら構造解析は1カ月もあればできますが、1つ1つの分子の構造に丹念に議論を重ねていったので、今回は半年以上もかかりました。見た目の印象は豪放磊落(らいらく)そうでも、研究にはとても神経を使っています。

神谷先生は光合成タンパク質以外の研究でも忙しく飛び回っています。私はこれまで大阪大学、「SPring-8」(兵庫県)、大阪市立大学と異動していたので、お互いに顔を合わせる機会が少ないためメールで連絡し合っています。実はそのメールが怖いのです。この理論に基づいて解析をしてくれ、解析プログラムの精度はどうだとか、難しい指示が矢弾のように飛んできます。これに右から左へと応えていくのがとても大変なのです。

―世界のトップランナーに駆け上がった皆さんの汗と涙と喜びがよく分かりました。これからも世界の最先端で頑張ってください。

川上恵典(かわかみ けいすけ)氏のプロフィール
1982年岡山県赤磐市生まれ。私立関西高校卒。2005年 岡山大学理学部卒、10年 岡山大学院博士課程修了、理学博士。10年日本学術振興会特別研究員、11年7月から大阪市立大学特任准教授。

梅名泰史(うめな すふみ)氏のプロフィール
1977年、兵庫県西宮市生まれ。府立豊中高校卒。2002年 姫路工業大学(現兵庫県立大学)卒、07年大阪大学大学院博士課程修了、理学博士。大阪市立大学大学院理学研究科、大阪大学タンパク質研究所を経て11年10月から大阪市立大学特任准教授。同時に科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業「さきがけ」研究員。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(続く)

沈 建仁 氏
(しん けんじん)
沈 建仁 氏
(しん けんじん)

沈 建仁(しん けんじん)氏のプロフィール
1961年、中国生まれ。杭州市第九中等学校(日本の高校に相当)卒。82年中国浙江農業大学農学部卒。90年東京大学大学院博士過程修了、理学博士。理化学研究所研究員を経て2003年から現職。専門は光合成、植物生理学など。02年にJST戦略的創造研究推進事業「さきがけ」の「生体分子の形と機能」(郷 信広・研究総括)に採択された。

神谷信夫 氏
(かみや のぶお)
神谷信夫 氏
(かみや のぶお)

神谷信夫(かみや のぶお)氏のプロフィール
1953年、愛知県生まれ。愛知県立半田高校卒。75年名古屋大学理学部卒、80年同大大学院博士課程修了、理学博士。専門は結晶構造解析など。高エネルギー物理学研究所放射光実験施設客員研究員、理化学研究所副主任研究員として理研播磨研究所の大型放射光施設「SPring-8」の建設に関わり、のちに同「SPring-8」研究技術開発室長を経て、2005年から現職。

ページトップへ