インタビュー

第3回「画期的な発見は、最先端の実験装置から」(沈 建仁 氏 / 岡山大学 教授)

2012.02.14

沈 建仁 氏 / 岡山大学 教授

「光合成、残された最大のナゾを解明」

約200年にわたって世界の科学者が追い続けてきた植物の光合成研究で、最後に残された最大のナゾを、沈(しん)建仁・岡山大学教授と神谷信夫・大阪市立大学教授のグループが突き止めた。太陽光と水から酸素を作り出すための要となるタンパク質「光化学系Ⅱ複合体」の結晶構造を解明したもので、米科学誌「サイエンス」は昨年の画期的な10大成果として、日本の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還などとともにこの成果を取り上げ、高く評価した。今後の人工光合成の実現にも大きな弾みがつくとみられる。この成果の意味や、研究の苦労、裏話などを2人に聞いた。

―沈先生が「光化学系Ⅱ複合体」の良質な結晶作りで奮闘している間に、神谷先生は結晶の原子配列を解明するための新しいエックス線装置の開発に大変なご苦労をされたようですね。

神谷信夫 氏
神谷信夫 氏

神谷信夫 教授
沈先生とは、1990年に理化学研究所(埼玉県和光市)の「太陽エネルギー科学研究グループ」(井上頼直主任研究員)に入ってこられて一緒にコンビを組み、以来20年以上にもわたって研究協力が続いています。

生命現象の基礎的な仕組みを知るにはタンパク質の構造の解明は欠かせません。創薬などの産業応用にも多大な貢献が期待されます。しかし複雑で巨大な分子だけに、当時はなかなか手に負えないシロモノでした。3次元の立体構造と微妙な動きを原子レベルでつかむには、エックス線構造解析が不可欠です。

私はそのころ「結晶物理研究室」に所属していましたが、岩崎準主任研究員から理研に採用された当初から「理研をタンパク質解析のメッカにせよ」と大号令をかけられていました。そのためのエックス線源と装置は、茨城県つくば市の高エネルギー物理学研究所(現高エネルギー加速器研究機構)の放射光施設『フォトンファクトリー』が世界のトップでした。

放射光とは、光速に近い電子が進行方向を磁石で曲げられた時に放射されるエックス線などの光源です。指向性が高い強力な光源であることが特長で、半導体の物性研究や筋肉などの生体物質の解析、地球内部物質の解明に続々と成果を挙げていました。タンパク質解析にはもってこいです。

私は1984年から『フォトンファクトリー』でタンパク質解析装置の開発研究に携わっていたため、放射光利用には習熟していました。そのうち理研と日本原子力研究所が、兵庫県西播磨に大型放射光研究施設『SPring?8』を建設する計画が持ち上がり、放射光を実験装置に導くビームラインの設計、建設、運用に関わることになったのです。

―『SPring-8』は、あの和歌山毒入りカレー事件で亜ヒ酸の分析に使われて、事件解明の決め手になったことで知られるようになりましたね。

神谷
そうです。タンパク質解析のメッカには不可欠な実験装置でしたから、基礎研究をしばらく離れて『SPring-8』の建設に徹しました。この間、論文はほとんど書けませんでした。でもよく理研が許してくれたなと今更ながら感謝しています。

―光合成の研究を振り返ると、その時代時代の最先端の装置の登場がリードしてきたようですね。

神谷
例えば、ガリレオが月面のクレーターや木星の衛星を発見したのも望遠鏡があったからです。最先端の観測、実験装置を手に入れることは科学の進歩には極めて重要なのです。

そもそも光合成の研究とは、産業革命で石炭を無制限に燃やして空気を汚染していた時代に、植物が空気を浄化しているという自然の働きに気づいたのがきっかけです。まず『光学顕微鏡』の観察によって、光合成は植物の葉緑体のクロロフィルの働きであることを見つけました。さらに『電子顕微鏡』が発明され、クロロフィルは葉緑体の内部の袋状のチラコイド膜(脂質二重膜)だけにあることがわかりました。

その後、クロロフィルの化学構造が解明され、水に溶けにくい膜タンパク質複合体に取り囲まれていることが分かりました。「光化学系Ⅱ複合体」はこのような膜タンパク質のひとつであり、光合成で水を分解し酸素を作る「生物界の触媒」の働きをしています。さらに『エックス線構造解析装置』の登場で分子量の大きなタンパク質の観察も進みました。

―『SPring-8』による「光化学系Ⅱ複合体」の構造解析は順調に進んだのですか。

神谷
「光化学系Ⅱ複合体」のような疎水性と親水性物質が混じった複雑なものから純粋な結晶を取り出すのはとても難儀しました。私たちは20年もかかってしまいました。しかもいったん良い結晶ができたと思っても、環境による影響で構造がすぐに変わってしまうという繊細な物質だけに取り扱いが厄介でした。光合成の最初の過程の水分解、酸素発生反応に関わる「光化学系Ⅱ複合体」は、4個のマンガン原子と1個のカルシウム原子が、複数の酸素原子と結びついた「金属・酸素の集合体」とされていましたが、こうした難しさのために、正確な化学組成と詳細な原子配置はなかなか突き止められなかったのです。

沈先生が飛躍的に良質の結晶(分解能1・9オングストローム)を得ることに成功し、『SPring-8』のエックス線解析で調べました。これまで複数の原子が重なってボヤッとしか見えなかった原子構造が、ここで初めて明瞭に見えるようになったのです。原子間の距離や結びつきの強さなども正確に計算できるようになり、組成が「Mn4CaO5」と決まったのです。さらに全体として「歪んだイス」の形をしていたこと、1つのマンガンとカルシウムに2個の水分子が 結合していることが明らかになりました。

図は、神谷先生のグループが解明した酸素を発生させる触媒中心の分子構造。「歪んだイス」のような形をしている。
(O1~O5は酸素原子。腕の数字はAで表示した原子間距離)
図は、神谷先生のグループが解明した酸素を発生させる触媒中心の分子構造。「歪んだイス」のような形をしている。
(O1~O5は酸素原子。腕の数字はAで表示した原子間距離)

―得られた構造が、異質な「歪んだイス」の形状と知ったときは、どのように感じましたか。

神谷
まさしく酸素発生の触媒の中心になる設計図そのものだと直感しました。一般的にマンガン・酸素の集合体の多くはサイコロのような対称形になって、原子間の自由さがなく反応がしにくいのです。上図で、左中間にある「O5」周りの赤い腕に注目すると、標準より長く、カルシウムやマンガンとともにイスを歪める原因となっています。これは「O」の結合力が弱くて切れやすく、高い反応性を持っていると考えられます。つまり歪みが構造の柔軟性であると考えれば、水分解の触媒として働く可能性があるので、最も注目しているポイントです。

―このあと、どんな実験を予定していますか。

神谷
これで光合成の酸素発生に関わる基本的な化学構造は解明したのですが、全てが分かったわけではありません。沈先生とも話しているのですが、自然界の光合成反応では分子は活発に動き、変化しているので、その時々のダイナミックな構造を捕まえ、仕組みを解明する必要があります。ですから次は『Spring-8』に隣接して完成し、今年3月から動き出す理研のエックス線自由電子レーザー施設『SACLA(さくら)』を使って、刻々と動く光化学反応の様子を原子レベルで直接観察しようと意気込んでいます。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(続く)

沈 建仁 氏
(しん けんじん)
沈 建仁 氏
(しん けんじん)

沈 建仁(しん けんじん) 氏のプロフィール
1961年、中国生まれ。杭州市第九中等学校(日本の高校に相当)卒。82年中国浙江農業大学農学部卒。90年東京大学大学院博士過程修了、理学博士。理化学研究所研究員を経て2003年から現職。専門は光合成、植物生理学など。02年にJST戦略的創造研究推進事業「さきがけ」の「生体分子の形と機能」(郷 信広・研究総括)に採択された。

神谷信夫 氏
(かみや のぶお)
神谷信夫 氏
(かみや のぶお)

神谷信夫(かみや のぶお) 氏のプロフィール
1953年、愛知県生まれ。愛知県立半田高校卒。75年名古屋大学理学部卒、80年同大大学院博士課程修了、理学博士。専門は結晶構造解析など。高エネルギー物理学研究所放射光実験施設客員研究員、理化学研究所副主任研究員として理研播磨研究所の大型放射光施設「SPring-8」の建設に関わり、のちに同「SPring-8」研究技術開発室長を経て、2005年から現職。

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