インタビュー

第1回「有機化学の実績を生命領域に」(金井 求 氏 / ERATO「金井触媒分子生命プロジェクト」研究総括、東京大学大学院 薬学研究科 教授)

2011.10.04

金井 求 氏 / ERATO「金井触媒分子生命プロジェクト」研究総括、東京大学大学院 薬学研究科 教授

「目指すは第4の治療パラダイム」

金井 求 氏
金井 求 氏

欧米の基礎研究成果を専ら利用して工業国になったと言われていた日本が、自ら新たな科学技術を生み出す創造的な研究、特に基礎的研究に国費を投入し始めたのは古いことではない。科学技術の創造的な研究を充実させ、併せて国際的な貢献も果たしていくことを目標に創造科学技術推進事業(発足当時、現「戦略的創造研究推進事業・総括実施型研究(ERATO)」)が新設されてちょうど今年で30年になる。今年もそれぞれ挑戦的な課題解決を掲げた5つの研究プロジェクトが採択された。研究総括の強力なリーダーシップが不可欠とされるERATOの新しい研究総括に選ばれた5人のうちの1人、金井 求・東京大学大学院薬学研究科教授に「金井触媒分子生命プロジェクト」の目指すところ、挑戦的な研究課題にのぞむ思いを聞いた。

―科学はなかなか多くの日本人の心をつかめないような気がします。理由の一つは、結果ばかり報道されがちなところがあるからではないでしょうか。科学あるいは科学者がむしろどんな課題に直面し、あるいはどんな壁にぶち当たっているかについても、もっと説明した方が、科学の魅力が多くの人に理解されるように思えますが。

そうですね。私の専門分野である薬学と有機化学でどのような壁が立ちふさがっているかというところから始めましょうか。1929年にフレミングによって発見されたペニシリンが人間にいかに大きな恩恵を与えたかは、特に感染症の恐ろしさをよく分かっている年配の人なら多くの人が知っていると思います。私も人類最大の発見ではないか、と思います。ペニシリンというのは元々、天然の物質ですが比較的簡単な構造式で書き表せる低分子の有機物質です。最大の発見というのは、こうした低分子によって生命を守れることが分かったから、ということなのです。

体内外からの刺激を受け取るリセプター(受容体)の発見、あるいは刺激を受け取って反応する作用機構の解明などが、低分子の研究から発展しました。生命機構も低分子を基本にして分かってきたという経緯があります。さらに進んで病気も治せるということになってきました。昨年、ノーベル化学賞を受賞された鈴木章、根岸英一両先生が発見されたクロスカップリングと呼ばれる有機合成法が創薬にも広く使われているように、有機化学者が大活躍したわけです。しかし、21世紀になると大製薬会社が巨額な資金を投じて薬をつくる従来の方法が行き詰まりをみせてきました。つくれるものはほとんどできてしまい、難しいものばかり残った、というのが現状といえます。つまり低分子医薬の限界が見えてきているのです。

この限界を突破しようということで、生体のメカニズムを利用した方法が昔から試みられています。抗体やタンパクを用いる方法です。体の中にあるものを使うわけですから、毒性が少なく、治療効果も高くなる可能性があります。ただし、投与法が難しいという問題があって、期待通りの発展は見られていないというのが現実でしょう。山中伸弥先生がつくり出し、内外の研究者が研究分野に参入しているiPS細胞が持つ可能性は、さらにその先を行くものと言えます。細胞のメカニズムを使って治療できるのではないかということですから。このような第2、第3のパラダイムにおいて、低分子医薬で活躍した有機化学者はどういう役割を果たしたでしょうか。指をくわえて見ているような状況に置かれていた、といってよいかと思います。

生命科学という総合領域にとって学問の区分けは関係ないのではありますが、ここでもう一度、有機化学者、特に私たちのように薬学領域の中にいる有機化学者はどうすべきか。生命のすぐ隣にいるのだから、新たな挑戦をすべきではないか、と考えたわけです。生命というのは酵素を触媒とする化学反応がつながって維持されているわけですから、体の中に直接、人工の触媒を持っていけば体の機能を正常化する、つまり治療することが可能ではないだろうか。あるいはさらに進んで、人工のパラダイムを使った生命体というのも不可能ではないかもしれない。抗体やタンパクを用いるのが第2のパラダイム、iPS細胞のような研究を第3のパラダイムと呼べば、元々、生命が持つ触媒反応の場である細胞の中に人工触媒を、という私たちのプロジェクトは第4の治療パラダイムを目指すものといえるのではないか、と思っています。

有機化学の目指すものとしては、太陽電池のような材料があるのはもちろんですが、薬学の世界で育てられた私としては、生命から逃げたくないという思いが強いのです。多分、材料研究より若干ハードルが高いと覚悟していますが…。

―第4のパラダイムが挑戦的であることを理解するため、なぜ、これまでこのような試みがなされなかったのか、あるいは成功していないかを説明願えますか。

一つには、物質科学と生命科学を隔てる壁があり、有機合成というのは物質を作って生命を救っていく、という研究の流れがずっとあったのだと思います。余計な副産物ができてもとにかく作ってしまえばよいという、いわば物量作戦的な考え方がずっとあったように見えます。昨年ノーベル化学賞を受賞された鈴木章先生と根岸英一先生の研究成果は実に素晴らしく心から尊敬できるもので、応用範囲は薬の合成に限らず多方面にわたっています。ただ、お二人の反応でも、反応剤を活性化するために使われたホウ酸や亜鉛の残りかすが少しですが出てしまいます。生体の中で起きている反応でもこうしたゴミのようなものが全く出ないわけではありません。しかし、クリーンかつ選択的な有機合成を突き詰めようとするなら、生命の場である細胞というmelting pot(るつぼ)の中で特定の有機化学反応を人工的に行い、よりよく生きるという機能発現につなげていくことがこれからの一つの潮流となっておかしくないのではないか、と思っています。

今までどうしてできなかったかというと、有機合成では複雑な構造をした分子をつくることが非常に難しいことがまず挙げられます。しかし、それ以上に有機化学者が従来の考え方の枠からなかなか抜け出せなかったことがあるのではないでしょうか。とにかく有用な物質を作って人間社会を幸せにする。こうした従来の考え方から、地球を汚さないで幸せにするという方向に今、変わっている途中だから、ということではないでしょうか。

ですから、できなかったというよりは、まだ考えがまだ切り替わっていなかっただけであって、挑戦すれば必ずできる、と信じています。

(続く)

金井 求 氏
(かない もとむ)
金井 求 氏
(かない もとむ)

金井 求(かない もとむ) 氏のプロフィール
駒場東邦高校卒。1989年東京大学薬学部卒、92年東京大学大学院薬学系研究科博士課程を中退し、大阪大学産業科学研究所助手。1995年に理学博士号取得。米ウィスコンシン大学博士研究員を経て97年東京大学大学院薬学系研究科助手。講師、助教授、准教授を経て2010年教授。専門分野は有機合成化学、触媒、医薬科学など。新規不斉触媒の開発、触媒を活用した効果的な合成法の開発で多くの業績があり、抗アルツハイマー病作用を有する天然物ガルスベリンAを初めて全合成したほか、抗うつ作用を有する天然物ハイパーフォリンの触媒的不斉合成も初めて成し遂げている。

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