インタビュー

第4回「信用できないアンケート結果」(唐木英明 氏 / 日本学術会議 副会長、東京大学 名誉教授)

2011.01.21

唐木英明 氏 / 日本学術会議 副会長、東京大学 名誉教授

「誤解の恐ろしさ - 安全な食品とは」

唐木英明 氏
唐木英明 氏

安全に対する国民の関心は高い。食品の安全性から医療、交通機関、原子力施設などいったんミスが起きると、容赦ない社会的糾弾にさらされる時代といえそうだ。一方、効果が厳密に検証されていない健康食品を多くの人たちが信じるような現実もある。こうした安全に対する国民の対応の危うさに不安を感じる人々も多い。おとぎ話と科学の違いを明確に知ることの重要性について積極的に発言し、社会にはびこる誤解を是正する行動に力を入れている唐木英明・日本学術会議副会長に食品の安全性を中心に正しいリスクコミュニケーションのあり方について聞いた。

―「○○の常識は××の非常識」などとよく聞きますが、食品に関してはどうしてこのような非常識がまかり通ってしまうのでしょうか。

政府の食品安全委員会が実施したアンケートで食品に対する不安を聞くと、ほとんどの人が「不安。不安」というけれども、実はこれは非常におかしなデータなのですね。私がこうしたデータを信じないのは、例えば8割、9割の人が残留農薬が怖いというのであれば、8割、9割の人が無農薬野菜を買うはずです。でも実際、無農薬野菜を常時買っている人というのは、多分日本の消費者の1%いるかいないかでしょう。

日本農林規格協会(JAS)が認定した有機食品というのがあります。3年以上無農薬、有機肥料で栽培した非遺伝子組み換え食品という条件を満たしたものですが、これの2002年度の市場規模というのは2,895億円です。生鮮品消費15兆円の1.9%、加工品、外食まで含めた国内食品消費80兆円の0.36%にすぎません。

消費者がいろいろな食品を買ううちの0.36%しか無農薬野菜にお金をかけていないということは、ほとんど買っていないということです。みんな心配だというなら、これおかしいですよね。消費者団体の人に話をしたら、「私たち買いたいんだけど、ないから買えない」あるいは「あっても、値段が高いから買えない」と言います。そこで聞いてみました。「分かりました。ではおたくの消費者団体は政府に対して、野菜は全部無農薬にしろと大運動をやっているのですね」と。「いや、一切やっていません」というので、さらに「どうしてやらないのですか」と聞くと、「消費者からそういう要求がない」というのです(笑い)。

―怖いっていうけど、本心は全然怖がっていないということでしょうか。

まさに、そういうことです。買い物する時に何を見ますか。だれでも見るのは値段ですよね。その次は品質です。「添加物は怖い、怖い」と言いながら、どんな添加物が入っているのかを見る人は4人に1人しかいないのです。

この大きな落差をどうやって説明するかですが、私は「聞かれて出てくる不安」と言っているのです。商品を買うか買わないかを決めるのは、値段と品質の比較です。これはだれでもやっている当たり前のことです。でもアンケート用紙が来て「あなた、残留農薬怖いですか。添加物怖いですか」と聞かれると、これは知識を聞かれているのだと直感的に思っちゃうわけです。

残留農薬や添加物が怖いということを聞いたことがない人って、いないのですね。だから、「怖くない」と書くと、「え、あなたそんなこと知らないの」と言われるのではないか、と考えて「怖い」いうところに丸をつけるのです。

―なるほど。知識を問われたかのように思ってしまうわけですか。意外と皆、気づいていないことかもしれませんね。

えー。アンケートというのは、知識の調査なのです。これは、ほかのものにもほとんど当てはまると私は思っているのですけれど。例えば原子力やほかのものについても。

―確かに「原子力が不安でない」などと言うと「原子力の危険性も知らない能天気な人」とばかにされるのでは、と思う人は多そうですね。

そうそう。「不安だ」「怖い」と言った方がインテリジェンス(知性)があるとみられるのでは、と皆さん認識しているわけですよ。知らないのが一番ばかだということですから。 だからこういうアンケート結果を安易に信じないということが大事です。ですから、食品安全委員会のアンケートは私も関係しているので、改善する予定です。これまでのようなアンケートでは、結果を見て消費者の不安がとても大きいから対策をとらなくちゃいけない、と思ってしまうわけです。無駄なお金を対策にかけているのです。

では、なぜ人はそのような判断をするのかということです。それがヒューリスティクと呼ばれる思考形態なのです。直感的な判断をしないと命が助からなかったといった長い体験の中から知識と経験を総動員して、パッと答えを出す。そういうやり方を現実にはみんなやっているわけです。

そのヒューリスティクの特徴というものが幾つかあって、まず危険という情報は絶対に無視しないということです。利益情報も無視しません。両方とも無視したら命が危ないわけですから。その代わり安全情報は命が危ないかどうかという点では全く意味がないから、ほとんど無視することになるわけです。

そのほかに、信頼する人の言うことは、そのまま聞き入れるということもあります。信頼するのは、知識と経験がある人です。その人の言うとおりにすれば、自分に知識と経験がなくても命が助かるわけです。だから、知識と経験がない人はへたに考えない方がいいということになります。そういう思考の仕方がわれわれは身についてしまっているのですね。

それから、前例に従うというのもあります。前例というのは成功体験です。こうやったらうまくいったという。同じリスクが2回目に来たら、全く同じことをしなくちゃいけないのです。そこを妙に変えると命が危ないかもしれないと考えるわけです。言葉を換えると先入観です。先入観が変えられないのは、そのせいなのですね。それを普遍化すると、消費者が持っている誤解という先入観を変えるというのは、極めて難しいということにもなるわけです。しかしながら、そういう特徴をわれわれは持っているということで…。

『食べるな、危険!』という本は、その内容は科学的に見ると間違いだらけですが、23万部売れた。次の『食べたい、安全!』という本は5万部しか売れなかったという話があります。この23万部と5万部の差が「危険」という文字と「安全」という文字に対するわれわれの感情の動き方を表しているのでは、と私は思っています。

朝日新聞が「世論調査にどうやって答えますか」という非常に面白い調査をしたことがあります。「直感で答える」という人が多かったというのです。直感というのは、まさにヒューリスティクです。どこかで読んだことに影響される、ということです。どこかというと、要するにテレビと新聞です。信頼する人の言うことをわれわれはそのまま聞き入れる性格を持っているのだけれども、現在は信頼する人がメディアになっているということです。だからメディアがどう書くかということが世論を動かすのだというのが、この調査の結論ですけれども、まさにその通りですよね。

そうすると、メディアがどれだけきちんとしたことを書いてくれるのかが重要ということになります。しかし、食品安全についても間違いをいっぱい書いている。それがかなり問題です。

―『食べたい、安全!』ではなく『食べるな、危険!』でないと本は売れないというのは、テレビのドキュメント番組の視聴率なども同様ではないでしょうか。

そうですね。だから、「危ない」、「危険」と言ったり、書いたり言ったりしないと、皆さんの注目を絶対に浴びないのです。そう言いながら、私この間この本を出した時に『牛肉安全宣言』と出版社がつけたので、「これは絶対に売れない。『牛肉危険宣言』だったら10倍売れる」と言いました。「いや、先生、それはできません」と言われましたが、やはり売れていません(笑い)。そういうものなのですね。

実は、食品に対する不安と同じことが社会学でも起こっているという指摘があります。「犯罪が増加してわれわれの安全が脅かされている。だから、もっともっと罰則を強化して、特に若者の犯罪を厳しく処罰しろ」なんていう意見がものすごく強いという現実があります。ところが、社会学者がちゃんと調べると、犯罪はそれほど増えていないのです。

最も危険な時期ということになれば、やはり戦後の混乱期です。むしろ今は非常に安全な時代なのに、犯罪が増えているかのように思うようになったのは、なぜなのか。これはメディアのせいだというのです。日本のどこかで起こった、あるいは世界のどこかで起こった特異な犯罪を毎日、毎日ワイドショーで取り上げると、皆、自分の周りで起こっていると誤解してしまうのです。われわれの認識の範囲というのは、まだ狩猟採集生活のときの認識の範囲でしかないので、自分が歩いている範囲のニュースだけが入ってくると皆、思い込んでいるわけです。でも実は地球の裏側で起きていることも入ってくるわけです。それを目の前のことと思わないと自分の命が危ない、というように感じる本能をわれわれはまだ持っているのです。だから今の情報の進化に追いついていないのです。

これはだれを責めることもできないのですけれども、でもそういう現象があるということをわれわれちゃんと認識しないといけないという深刻な問題が、食品の安全問題以外にもあるのです。

(続く)

唐木英明 氏
(からき ひであき)
唐木英明 氏
(からき ひであき)

唐木英明(からき ひであき) 氏のプロフィール
東京都立日比谷高校卒。1964年東京大学農学部獣医学科卒、東京大学農学部助手、同助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員、東京大学農学部教授、東京大学アイソトープ総合センターセンター長などを経て2003年東京大学名誉教授。08年から日本学術会議副会長。食品安全委員会リスクコミュニケーション専門調査会の専門委員、世界健康リスクマネージメントセンター国際顧問を務めるとともに、任意団体「食品安全情報ネットワーク」代表としても、食と安全に関する誤解の是正と正しいリスクコミュニケーションの普及に力を入れている。著書に「牛肉安全宣言――BSE問題は終わった」(PHP研究所)など。農学博士。

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