インタビュー

第1回「大学改革の悪影響」(西村和雄 氏 / 京都大学 経済研究所長)

2010.03.04

西村和雄 氏 / 京都大学 経済研究所長

「基礎学力低下防ぐために」

西村和雄 氏
西村和雄 氏

10年前『分数ができない大学生』という本が社会に大きな衝撃を与えた。編著者でその後も基礎学力低下が招く深刻な影響に警鐘を鳴らし続けてきた西村和雄氏(現・京都大学経済研究所長)が、小学生の学力向上、モラル向上活動にも取り組んでいる。高校生、大学生への対応では手遅れと考えたのだろうか。1月に「京都からの提言 これからの社会のために-子どもを導く切り札」というシンポジウムを東京で開催した氏に現状と取り組みを聴いた。

―1999年に『分数のできない大学生』(注)を出されたのは、やむにやまれずと想像しますが、大学生の基礎学力低下に警鐘を発するに至った経緯をうかがいます。

米国の大学院を出て現地で1年教えた後、1978年に帰国しました。翌79年に共通一次試験が始まります。その年あたりから家庭内暴力とか、いじめ、校内暴力というのが盛んになってきました。その10年前には、東京都の学校群制度と内申書重視の高校入試が始まっています。その間、国立大学の授業料がどんどん上がりました。そういう状況の中で、特に子供たちのいじめや校内暴力、家庭内暴力ということに大変ショックを受けました。

行政の考えた対策が、共通一次試験導入以降の大学入試改革です。まず、1期校、2期校に分かれていた国立大学を一本化します。国立は1つしか受けられなくなったわけです。授業料が上がっているといってもまだだいぶ私立より安かったのですが、1回しか受験機会がなくなったということは、不合格だと国立大学に入るには1年待たなければなりません。当然、国立離れが起きます。

一方、それと並行して小学校、中学校、高校では、80、81、82年度にそれぞれゆとりの時間というものが設けられました。主要科目の授業時間が、1割ぐらい削減されます。90年代に入って、もう1回、指導要領が改訂されて、さらにゆとりが進みます。92年には理科と社会をなくして生活科が小学1、2年生に導入されました。理科は小学3年から学ぶようになったわけです。

―学力低下がこれらと結びつけられて言われるようになったのはいつごろからですか。

90年代の指導要領改訂が、子供たちの大幅な学力低下をもたらしているという現場の報告があります。もちろん80年代にも問題がありましたが、顕著になったのは90年代です。徐々に理科離れ、数学離れが進んでいきます。共通一次試験の導入で国立大学を一本化して以降、大学生の学力低下が並行して進んできます。それまでは国立と私立を併願していた受験生が多かったため多くの高校生が幅広い科目を勉強していたのに、国立を受けるグループと私立を受けるグループが分かれてきたことが大きく影響しています。前に述べたように国立だけを狙うメリットが低下してしまったためです。特に文科系では数学、理科を勉強しないという学生が増えてきました。大学生の基礎学力低下が始まってきたのです。

90年になって共通一次試験が大学入試センター試験と名前を変えて以来、国公立大学もセンター試験の科目を自由に変えられるようになり、実際に科目数を減らしてきたわけです。

―この科目数減というのは、本試験の科目ではなくセンター試験の科目ですか。

そうです。共通一次試験は1979年に始まりましたが、国立大学は試験科目を減らすことはできませんでした。国立を受ける人は共通一次の全科目をとらなければいけなかったのです。ただし、本試験はそれぞれの大学が独自に実施しますから、その時点で本試験の科目は減っていたのです。87年ごろだと思うんですけど、前期試験、後期試験に分けました。どうしてそうなったかというと、最初に国立を一本化し、その次の改革で国立を2つのグループに分け受験生は東大と京大の両方を受けることもできるようにしたのですが、その結果、京大の合格者のほとんどが東大へ流れたということが起きました。これじゃたまらないと、京大は学部によって試験を2つに分け京大だけで2回受けられるようにしたわけです。その時に、前期試験は共通一次試験を全科目受けた受験生に限ったのですが、後期試験は論文試験と面接で選別することにしたのです。こうした経過をたどるのですが、とにかく、90年になってから国立大学もセンター試験の科目を自由に減らせるようになりました。

もっとも、このころには既に学力低下はかなり進行しており、85年ぐらいから学力低下が進行しているということを大学教員は感じていたのです。90年になってから、それが加速されたということです。

一方、ゆとり教育が進行して、90年代の指導要領改訂によって、その前に主要科目の授業時間を1割減らしたのを、さらにまた1割という感じで削減が進みました。もともと入学試験科目の減少傾向、少数科目化で大学生の学力が低下してきていたということに加えて、ゆとり教育の影響が90年代に顕著に出てきたということです。

というのは、90年代の指導要領改訂は92年、93年にそれぞれ小学校、中学校で実施され、高校は94年の1年生から実施されました。つまり94年に導入された指導要領改訂の影響を受けた高校生たちが、3年後の97年から大学に入ってきたわけです。入試の科目数減にゆとり教育の影響も加わって大学入学者の学力が97年ぐらいから2000年代に入ってぐんと低下したということです。

その中で、なぜ分数ができない大学生が増えたかということですが、まず入学試験科目を減らすときに、基礎科目である数学を必修にしなかったことが挙げられます。大学入試にとって最も基本的な科目といえば、国語、数学、英語だと思います。数学を必修にしていないと、当然、数学を受けない子は数学ばかりか理科も勉強しません。理科を学ぶ母集団がそこで小さくなるわけです。基礎科目というものを必修にしていないことの影響は非常に大きいのです。

もう1つの要因があります。90年代に入ってから大学の教養部が廃止されたことです。教養部の廃止によって、大学1、2年生における必修科目というものがなくなってしまいました。それまでは大学に入ったからには、ある程度、自然科学系の科目もみんな勉強しなきゃいけなかったのです。

―それもなくなっちゃったのですか?

ええ。選択必修に変わったり、選択必修でもなくなったりし、科目が選択しやすいように細かく分かれ、耳ざわりのいいような科目で代用できるようになりました。昔の数学、物理、化学、生物をという分け方でそれらを全部、教養でパスしないと進学できないとなると、なかなか上がれないためです。結局、数学、理科離れに対しては大学に入ってからの歯止めもなくなってしまったわけです。

多くの大学で新しい学部をつくって教養部を廃止しました。東大の場合は教養学部を廃止しませんでしたが、教養学部における必修のあり方というのは、かなり柔軟になりました。だから、その点はどの大学も同じです。

このころから、理系の学生についても、以前だったら例えば当然、工学部の大学2年次に学んでいたはずの科目を学んでいない3年生、4年生がいるという現象が明らかになってきます。入学試験を2つに分けて論文入試を導入、広く勉強していない受験生でも入れるようなシステムになった結果、必修科目に合格せず進学できない学生が増えてくるという現象が目に付くようになったわけです。このころから理系についても、大学生、大学院生の学力が低下しているといわれるようになりました。

  • (注)
    『分数ができない大学生』(1999年、東洋経済新報社)。西村 氏と岡部恒治・埼玉大学経済学部教授、戸瀬信之・慶應義塾大学経済学部教授の3人が編者となり、執筆者の中には当時の日本数学会理事長や前理事長も含まれている。1)7/8-4/5= (2)1/6÷7/5= (3)8/9-1/5-2/3= (4)3×{5+(4-1)×2}-5×(6-4÷2)= (5)2÷0.25= ―の5問に対し私立最難関大学経済学部の1年生のうちすべて正解だった学生は78.3%(受験で数学を選択していない学生)、88.3%(受験で数学を選択した学生)にとどまった、という調査結果などが話題になった。

(続く)

西村和雄 氏
(にしむら かずお)
西村和雄 氏
(にしむら かずお)

西村和雄 (にしむら かずお)氏のプロフィール
札幌市立旭丘高校卒、1970年東京大学農学部卒、72年東京大学農学部大学院修士課程修了、76年ロチェスター大学大学院経済学研究科博士課程修了、ダルハウジー大学経済学部助教授、78年東京都立大学経済学部助教授。ニューヨーク州立大学経済学部客員助教授、南カリフォルニア大学経済学部客員准教授なども経て87年京都大学経済研究所 教授、2006年から現職。国際教育学会会長、日本経済学教育協会会長も。2000-2001年日本経済学会会長。NPO日本経済学協会会長、NPO Sustainable Fellowship International理事長、NPO これからの教育を考える会理事 。『学力低下と新指導要領』(岩波書店)『「本当の生きる力」を与える教育とは』(日本経済新聞社)、『ゆとりを奪った「ゆとり教育」』(日本経済新聞社)『学力低下が国を滅ぼす』(日本経済新聞社)『子どもの学力を回復する』(共著、数研出版)『学ぼう!算数』(共著、数研出版)など著書多数。

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