インタビュー

第3回「研究テーマとの出会い 研究テーマ選定秘話、そして留学へ…」(川島隆太 氏 / 東北大学 加齢医学研究所 教授)

2006.06.20

川島隆太 氏 / 東北大学 加齢医学研究所 教授

「道を拓く 脳のメカニズムに迫る」

川島隆太 氏
川島隆太 氏

脳の研究成果をもとにしたゲームの監修などでおなじみの川島隆太東北大学教授を迎え、脳のメカニズムに迫ります。

脳科学という研究テーマ選定のきっかけ。そして恩師の方々との出会い。スウェーデン・カロリンスカ留学時代のエピソードを交え、脳科学研究の先駆者として注目を浴びるまでの軌跡をお伺いします。

—なぜ、脳科学研究の道を選んだのですか?

私自身は、人はどこから来て、どこへ行くのかということを知りたくなったわけです。それを知るための自分なりの唯一の手段として、人類の最後をこの目で見れば、人がなぜそこに存在したかということがわかるだろう。
どうすればそれを知ることができるのか。
そこで私が考えたのは、私の脳をコンピュータの中に移植すれば、コンピュータの中で見ることができるだろう。そのためには脳を知ることが第一だと。

どうやら脳というものは、神経細胞という細胞があって、その中を電気が流れている電気回路らしい。だったらコンピュータにできるじゃないかと考えたわけです。

大学に入って何を志したかというと、一番興味を持ったのは大脳生理学です。脳というものの仕組みを生理学的に知ろうということに興味を持ちました。
東北大学というところは、実はポジトロンCTという装置があるんです。人間の脳の働きを画像化できるという装置を国立大学で最初に持っていたんですね。
どうもそれを使うと自分の脳がどう働くか、人間の脳がどう働くかということを知ることができるらしい。これはいいチャンスだと。
自分の脳の働きを見られるのであれば、それを細かく、細かく研究していけば、やがては自分の脳の回路というものを解明して、自分が自分だと思うためにはどういう電気回路を組んで、どこに、電気をどう流せば自分になるということを説明できるかということを考えていたわけです。

—恩師といえる方々は?その方々からどういう影響を?

私は大学院に入って、人間の脳の研究をしたい。ポジトロンCTという装置を使って、脳と心の働きを見つけ出したいと思ったわけです。
ところが、当時、ポジトロンCTという装置を使えば脳の働きは見えるらしい。でもどうやって使っていいか誰も知らないという時代だったんですね。
僕はどうしたらいいか全くわからない。

そうした中で僕が考えたのは、まず使い方を知るためには、先行して大きな成果を持っている大脳生理学の研究者たちが何を考えているのかを肌で掴もうと考えました。
そこで東北大学の丹治順教授にお願いして、東北大学内にいると雑用で使われちゃいますから、なるべく離れたところで、サルなどを使ったシステム神経科学ができる教室はないかということを聞いて、そこで京都大学霊長類研究所の久保田競教授を紹介していただきました。そこで1年間過ごしたんです。基礎の学者としてイロハのイから教わりました。

僕は臨床の教室にいたものですから基礎の学者を知らなかったんですが、そこで大きなカルチャーショックを受けて、基礎研究とは何かということを、そこで教わったと思っています。
そこでサルを使った学者たちが何を目指しているかということを、一緒に研究することができて東北大学に帰ってきたんですけれども、未だに使い方がよくわからない。

そのやりとりの中で、実は一つの論文に出会ったんですね。
これはスウェーデンのカロリンスカ研究所にいらっしゃったローランド教授の書いた論文で、思考すること、シンキングの脳活動をとらえたという論文だったんですね。『Journal of Neurophysiology』に。久保田先生から「こんなのが出ているよ、見てごらん」と言われたんですね。

まさにそれが、僕がやりたかったことなんですよ。
人間の精神活動をポジトロンCTという装置を使って画像化した論文を先に出されちゃった。すごいショックを受けて、それができた人がいたんだから、その人に師事をしたいと考えて、大学院卒業前にローランド先生に「研究させてください」と手紙を書いてポンと出したんですね。

ただ大学の先輩たちに「縁もゆかりもない人を採ってくれる可能性は0だよ」と言われたんですが、すごく幸運なことに、ローランド先生から「来てもいいよ」という手紙が返ってきて、僕は大学院を終えた後にカロリンスカに行って、ローランド先生のもとでポジトロンCTを使った脳研究の仕方を一から全部教わって、2年間研究して帰国したんです。

その時は、日本ではまだわからないが続いていましたので、スウェーデンのカロリンスカでやっていたシステムを日本に持ち返ってきて、いくつかの大学で使い方を教えたりして脳研究の仕方を広めることもしました。

—留学先カロリンスカ時代の想い出は

非常に幸せだったという思いがあります。
一番は日本の大学の中にいると、いろんな雑用があるんですけれども、客員研究員として行きましたから、研究だけができたことが一つ。それも自分がやりたい一番目指している研究をストレートにさせてもらえた。

同じカロリンスカに来ておられた方々でも、行ったはいいけれども、毎日、試験管を洗っていたという方もいらっしゃるんですが、僕が師事したローランド先生は非常にフェアな方だったので、僕自身に研究のテーマをくださって、僕が仕切って研究するチャンスをくださいました。 論文の書き方の指導までしてくれたということで、研究の計画を立てるところから論文にするまで一連の作業を全部お手伝いしていただきながら研究させてもらえた。これはもう何よりの財産だと思っています。

カロリンスカというところはノーベル賞の先生、医学、生理学賞を選考しているところで有名ですが、実際にノーベル賞を受賞された方が、カロリンスカでセミナーをされるんです。それは2年間の間に2回とも聴きにいって、これも自分にとってはものすごく刺激的なエネルギーになったと思っています。

—スウェーデンの印象は?

まず安全な国だったということは大きな魅力です。
それから平等な国なんですね。僕たちが外国人であることをあまり意識しないで暮らせたというのは非常に大きなことだと思います。

自然がものすごく豊かで、かつ何もないんですよ。何もないということの幸せを存分に噛みしめることができた。 たとえば夜中にお酒を飲みに行こうと思っても、お店なんか開いてないんですね。だから友だちと一緒に楽しんだり、家族と一緒に過ごしたりということしかできない。
でも実は、それがものすごく幸せな時間だったんだなということを、強く今、思っています。

—スウェーデン生活の2年間は充実していましたか?

帰国してから何度か、スウェーデンのカロリンスカに研究の残りを仕上げに行ったりというチャンスがあって、僕は「ストックホルムに帰る」という表現をしていました。
カロリンスカでの2年間がなかったら今の僕は確実に、ここにはいないと思っています。

—留学前後を比較して変化はありましたか?

研究というものに対する情熱、思い入れというものは格段の差があります。

留学に行く前は適当に楽しくやって、うまくいかなかったらお医者さんになったらいいやという気持ちが、まだまだどこかにありました。
ただ戻ってきてからは脳科学という研究で一生頑張っていこうという強い気持ちを持ちつつ、かつ日本はまだまだ発展途上にありましたから、引っ張っていかないといけないという責任感も芽生えていました。

僕が研究を始めた頃に東北大学の僕たちと、京都大学のチームと2ヶ所で脳機能イメージングを使った、人の脳研究が走り出したんですが、我々のチームと京都大学のチームが、日本の中でのパイオニアだろうなと思っています。

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