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次世代ロボットの未来へのビジョン

立命館大学 総合科学技術研究機構 先端ロボティクス研究センター チェアプロフェッサー 金岡克弥 氏

掲載日:2013年7月24日

東京都立産業技術研究センター主催「平成25年度 研究成果発表会」基調講演「次世代ロボットはどうあるべきであり、どうあるべきでないか-巨大人型ロボットによる人間の身体能力拡張への夢-」(2013年6月20日、会場:東京都立産業技術研究センター)から

立命館大学 総合科学技術研究機構 先端ロボティクス研究センター チェアプロフェッサー 金岡克弥 氏

金岡克弥 氏

 

■ 次世代ロボットの見せ方

〈スクリーン〉

小型の人型ロボットが国際宇宙ステーションで若田宇宙飛行士との会話実験に挑むプロジェクトの映像

今、見て頂いたのは「きぼうロボットプロジェクト」の予告映像である。まるで映画の予告編を見ているような夢にあふれた映像、文字通り希望にあふれるプロジェクトのように見える。だが、私はロボットを実際に研究し、開発する研究者、いわば当事者であり、その立場でこうした映像を見ると、どうしてもナナメから見てしまう。このような輝かしいビジョンの裏には、本当は何があるのだろうか。

〈スクリーン〉
人型ロボット「ASIMO(アシモ)」が、観衆へのデモンストレーションで階段を踏み外して転倒する映像

決してアシモが技術的に劣っていると言いたいのではない。そもそも二足歩行ロボットは転倒するものだし、人間だって転倒する。アシモの技術は、日本が世界に誇る優れた技術だ。問題にしたいのは技術の中身ではなく、その見せ方だ。

果たして、このような見せ方は適切なのだろうか。アシモが歩くデモンストレーションは、そのほとんどが上手く行っている。映像のような転倒が起こることは非常に珍しい。私は、むしろ、上手く行っている時の方がマズいのではないかと思っている。なぜなら、上手く行かなかった時にしか顕在化しない「欺瞞(ぎまん)」とも言えるものが、普段は上手に隠されているからだ。

映像ではアシモは転倒しても話し続けていた。研究者としては当然、ロボットが「自分の意思で」喋っていたわけではなく、あらかじめ録音しておいた合成音声を再生していることは分かる。しかし、研究者にとっては当たり前でも、それを、まるでアシモが「自分の意思で」喋っているように勘違いさせようとする演出は果たして適切なのだろうか。一般の人たち、特に子供たちに、そう思い込ませて良いのだろうか。フィクションとして、我々が目指すべき一つの未来のビジョンを表現する、ということなら良いのかもしれない。でもロボット工学が、あるいはもっと広く工学が近未来に目指すべき現実のビジョンが、果たして本当にこの方向なのかと考えると、このような見せ方が良いとは思えない。冒頭の「きぼうロボットプロジェクト」の見せ方も同じ。映像が上手く編集されているから、その欺瞞に気付かない。その方向に(無責任に)希望を持たせて良いのかと疑念を抱かざるを得ない。

本日の研究発表会では、優れた研究がたくさんあると聞いているが、その優れた研究を社会にどうやって役に立てるのか、技術に携わる人間は常に考えなければならない。私自身はロボット工学研究者なので、ロボット工学分野において考察してみたい。

例えば、優れた次世代ロボットについて。いわゆる「次世代ロボット」はなかなか実用化しない、という状況が何十年も続いている。よくメディアに露出する「次世代ロボット」の一つに、産業技術総合研究所などが進めてきた「ヒューマノイドロボットプロジェクト(HRP:Humanoid Robotics Project)」がある。これも技術そのものは素晴らしい。

〈スクリーン〉

女性型ヒューマノイドロボット「HRP-4C」が、4人のダンサーたちと舞台で一緒に踊る様子

ただ、やはりこのような見せ方が果たして良いのか。これが、我々がロボット工学分野で目指す未来のあるべき姿なのだろうか。

家事ロボットも「次世代ロボット」として取り上げられることが多い。第一次安倍内閣の「イノベーション25」では、高度な人工知能を備えた家事ロボットを2025年までに実現するという目標が掲げられた。現在の第二次安倍内閣でも基本的にこの路線を踏襲している。そこでは、庭の手入れ、病人介護、家事などを手伝うロボットが、今後十年以内の非常に近未来の目標として描かれている。一見すると素晴らしいと思うかもしれない。しかし、私は、このようなビジョンはグロテスクだと感じる。本当に、本当に、家事や子守りをロボットに任せますか。私にも小さい子どもがいるが、私は親として、とてもそんなことはさせられない。ロボットなんかに自分の子供の食事を作らせたくはない。ロボットなんかに自分の子供の教育を任せたくはない。

実際に、家事ロボットには予算が付いている。東京大学IRT研究機構ではホームアシスタントロボットが開発された。ヒューマノイドロボットがフロアモップで(綺麗な)部屋の掃除をしたり、洗濯機に洗濯物を入れ、ボタンを押してくれたりする。デモを作り込んだ努力は賞賛に値するが、この使い方は有効なのか。

あるいはパワーアシストロボット。一番有名なのは、筑波大学の山海嘉之先生が開発した「ロボットスーツHAL(ハル)」だ。リハビリや障碍者支援という意味では有効な技術だろう。

これらの「次世代ロボット」の多くは、技術的には素晴らしい。しかし、未だ爆発的な普及には至っていない。多大な税金を使ってきたにもかかわらずだ。「必ずしもそのロボット自体が実用化しなくても、関連する科学技術、派生技術が発展すればそれでいい」という意見もあるだろう。しかし、ロボットを研究開発しているからには、ロボットそのものが役に立たなければならないと私は考える。これらの「次世代ロボット」が実用化していないのは、何かが間違っているからではないだろうか。

解決の糸口はどこにあるか。例えば、企業の使命とは何か考えてみよう。ドラッカーは「企業の使命とは、利益の追求ではなく顧客・市場の創造である」と言った。その観点で言えば、次世代ロボットに市場がないのは当たり前である。「ロボットでイノベーションを起こそう」とよく言われるが、ロボットでイノベーションを起こすというのはおかしいのではないか。「ロボットで」ということが目的になったらおかしい。イノベーションを起こして社会の役に立つことが目的だ。ひいては、顧客や市場を創造するというのが目的であって、ロボットはその手段の一つに過ぎない。手段と割り切った上で、しなければならないのは「欲しいロボットを作ること」だ。それがイノベーションを起こす原動力になるに決まっていると私はあえて断定する。

 

■ 欲しいロボットとは?

私は、今のヒューマノイドロボットは欲しくない。あの見せ方では、本気で実用化を目指しているように思えないからだ。一般の人は、二足歩行ができるなら、さまざまなことができるのではないかと思うだろう。ヒューマノイドロボットに原発事故処理をさせれば良いと思うのは当然だ。でもロボット工学者は「まだそんなことはできない、素人は何も分かってない」と言う。しかし、一般の人がそう誤解するように仕向けているのは、他でもない、あのようなデモンストレーションをしているロボット開発者側なのだ。

私は、今の家事ロボットも欲しくない。ロボットだけを異常に高度化することが、とても不自然だからだ。先に紹介したホームアシスタントロボットは、ハイテクなヒューマノイドロボットが、ローテクなフロアモップで部屋を掃除していた。環境は古いまま、ロボットだけを異常に高度化して、それで全てを解決しようとしているように見える。それが果たしてロボットを社会に生かす上で適切なビジョンなのか。

私は、パワーアシストロボットも欲しくない。パワーアシストロボットでは、人体に取り付けたモータが人体を外部から動かす。たとえ人間の意思に基づいて動作指令が出ていたとしても、人体に取り付けたモータが人体を動かすことは本質的に危険である。この危険が回避不可能である事実から目を背けているように思えるからだ。安全を確保するにはモータの出力を弱くするしかない。パワーアシストロボットの技術は、パワーアシストと言いつつ「ロボットが人体を動かす」技術なのでアシストを強くできない。それでも、人体を動かすことが目的となるリハビリでは有効だろう。しかし、それ以上を期待することはできない。力持ちにはなれない。力持ちになれないパワーアシストロボットを欲しいとは思わない。私は「人体がロボットを動かす」技術が欲しいのであって、ロボットに自分の身体を動かして欲しいわけではない。

結局の所、紹介した「次世代ロボット」は、世間が考えるロボットの表層的なステレオタイプのイメージに形を与えたに過ぎないのではないか。形を与えた技術と努力は評価されても、そこに本当の意味での創造性はあるのか。

スマートフォンが無い時代に、欲しい携帯電話についてアンケートを取って、それを作ったとして、果たして爆発的なニーズを生み出せたのだろうか。ステレオタイプは真のニーズには結びつかない。アンケートなどという安易な手段で「あなたが本当に欲しいロボット」を知ることはできない。本人さえ自覚していない真のニーズを、潜在意識の底から引っ張り出さなければならないのだ。イノベータたるには、それを自分の底から絞り出さなければならない。

 

■ 真のニーズとは?

「ロボットが人の代わりに働くことで人の生活は楽になる」。産業用ロボットにおいては、それは確かに正しかった。しかし、その行き着く先は、人間が働かなくていい世界、人間が要らなくなる世界だ。我々人間の目的は「楽になること」なのか。もちろん苦痛は嫌だ。苦痛から逃れるために、技術を開発する。技術の恩恵を受け、現代の日本では、ほとんどの人が衣食住に困ることは無くなった。その一方で、失業率の増加が問題となっている。しかし,もしそれが「働かずに食える」状態なのだとしたら、むしろそれは我々が望んできたことではなかったのか。

そうではない。我々は単に楽をしたいのではない、と私は考える。私は「自己の能力を最大限に拡張し、活用すること」が人の根源的な欲望だと信じている。人は、人の役に立ちたいのだ。それこそが普遍的な真のニーズではないか。

改めて考えてみれば、普及しているデバイスは自己能力を拡張するためのものばかりだ。自動車は人の移動能力を拡張し、携帯電話は通信能力を拡張し、コンピュータは知的能力を拡張する。あと残されているのは、物理的・力学的な身体能力を拡張すること。それを実現できるのはロボット工学技術をおいて他にない。

〈スクリーン〉

金岡氏が研究開発したロボットアーム「パワーエフェクタ」。
スチール缶を瞬時につぶす様子や卵をつぶさずに優しくつかむ様子が映し出された

私は「マンマシンシナジーエフェクタ」という概念を提唱し、実際に試作機を研究開発している。これは、人間を物理的な身体能力の制約から解放して拡張し、人の想いを具現化する機械システムのことだ。機械が勝手にやってくれるのではなく、人が思い通りに、直感的に、自分の想いを、バーチャルではない現実世界に反映させるために機械を操る。強大であったり、精密であったり、高速であったり、そういう物理的に優れた特性を持つ機械システムを人が思い通りに、まるで脳に直結したかのように、でも脳に直結せず、あくまで力学的に操る。それが「マンマシンシナジーエフェクタ」が目指すビジョンだ。

私は、ロボットがステージで踊るようなデモンストレーションはしない。私のマンマシンシナジーエフェクタは、自律でないことが価値だからだ。人が直接操作する。ロボットスーツのように「着る」のではない。バイクや車のように「乗る」。そして、優しい小出力ではなく、暴力的な大出力が必要だ。暴力的な大出力を、人が繊細かつ緻密に乗りこなしてこそ価値がある。生身の人間にできるような小出力の仕事は人がやればいい。でも生身の人間にできないことをやるなら、大出力が望ましい。もちろんそこには先端ロボット制御工学が介在し、人知れず、人の乗りこなしを高度に支援する。そしてそれは、着るのではなく乗るからこそできることだ。

人の「何でもできる」汎用な身体的能力を拡張するためのマンマシンシナジーエフェクタの一つの理想は「人型」である。私が考える人型の意義は、人が人型をしているから、その能力を拡張するためのデバイスは人型が望ましいというビジョンだ。将来は、マンガのような、例えば「ガンダム」のような実現もありうるだろう。

人型マンマシンシナジーエフェクタにおける上半身のためのパワー増幅制御技術やマスタスレーブ制御技術については、独自の技術を既に我々は開発した。下半身の二足歩行制御技術も間もなく完成する。今のヒューマノイドロボットのような完全自律ではなく、人が操作し、人の歩行能力を拡張する。歩くという能力をもっと強力に、もっと精密に、もっと柔軟に、人の身体能力ではできないところまで拡張する。我々の持つ独自技術を組み合わせることで、ガンダムをはじめとするマンガの搭乗型の人型ロボットも、もはや夢ではない。これまで、ヒューマノイドロボットやパワーアシストロボットにかけた予算の10分の1もあれば、実証機レベルであれば既に実現可能だ。

ところで、大きなロボットを開発していると、決まって「もっと小型化すべきだ」と言われるが、小型化すればいいというものではない。なぜなら、ロボットの本質は、力学的な機能を外界に対して発揮することだからだ。自律とか知能とかコミュニケーションとかはロボットの本質ではない。力学的な機能を発揮するには大きい方が良い。微小になればまたメリットは生まれるが、人間サイズであれば人間ができるのだから、あまり価値は高くない。

ロボットで無人化するという観点は重要だが、ほぼやり尽くしてしまい、限界が見えてきた。トコトンまで無人化を突き詰めるのかどうかを含め、ロボットにさせるべきことは何かをきちんと考えておかなければならない。私の目標は、どこまでも人に楽をさせることではない。ロボットは、「あなたの能力を拡張して、あなたの能力を社会で発揮して人の役に立ち、他人を幸せにし、それによってあなたも幸せになってください」と言えるような、「人の可能性を拡張し、人の幸せを支援するツールを創造する」ことが私の目標だ。

「人間的な仕事は人間に」。人間が非人間的な仕事をさせられている現状に問題意識をもって、そういう問題を技術で解決していく。「非人間的な仕事こそロボットに」。人間の模倣をすることがロボット工学の目的ではない。

 

■ 日本のアドバンテージ

次世代ロボット工学は何のためにあるのか。もっと一般的に、工学は何のためにあるのか。目先の利益のためではない。ドラッカーの言う「顧客・市場を創造する」とは、「人の欲望を正しく解放する」ということだと私は解釈している。「正しく」というところが重要だ。表層的なニーズを掬い取るのではなく、潜在的なニーズを絞り出すこと。

人の能力を拡張することで、社会を豊かにするための強大な力が人に与えられる。人が働くことによって、人が社会を豊かにする。そのための力を作る。ロボットは手段であって目的ではない。

そのような社会において最後に問われるのは、人の「徳」である。人の能力を拡張すると、人の「善い思い」も「悪い思い」も共に拡張される。その力をどう使うべきかについては、ロボット工学から離れ、哲学や道徳、宗教の範囲になる。その意味で、日本人はアドバンテージを持っている。長い歴史に裏付けられた文化と発達したテクノロジーを両立している数少ない国なのだから。我々になら、できると信じている。

最後に、研究者へのメッセージ。「時流を追うな」。言い替えれば、人が表面的に欲しいと言うものを作るなということ。そして「時流を先導せよ」。潜在意識の底から絞り出した、あなたが本当に欲しいものを作って頂きたい。

立命館大学 総合科学技術研究機構 先端ロボティクス研究センター チェアプロフェッサー 金岡克弥 氏
金岡克弥 氏
(かなおか かつや)

金岡克弥(かなおか かつや)氏のプロフィール
1997年3月京都大学大学院工学研究科修了。2002年3月同大学院工学研究科博士後期課程研究指導認定退学。2003年4月立命館大学理工学部ロボティクス学科講師。2008年から同大学総合科学技術研究機構先端ロボティクス研究センターにてチェアプロフェッサーを務める。
2007年10月にはマンマシンシナジーエフェクタズ株式会社を設立。代表取締役社長に就任し起業家としての側面も持つ。マンマシンシナジーエフェクタとは「人間のみ、あるいは機械のみでは実現できない機能を、人間と機械の相乗効果(マンマシンシナジー)によって実現する効果器」を意味し、先端ロボット工学技術の創造と応用によって社会に役立つ製品の実用化を目指す。
日本ロボット学会次世代構想分科会委員(2012-2013年度)、第5回ロボット大賞審査・運営委員会委員(2012-2013年度)等も務める。博士(工学)。編著書に『あのスーパーロボットはどう動く スパロボで学ぶロボット制御工学』がある。

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