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博物館で取り組むバイオミメティクス – 生物学と工学の架け橋へ-(大原昌宏 氏 / 北海道大学総合博物館 教授)

2012.07.06

大原昌宏 氏 / 北海道大学総合博物館 教授

バイオミメティクス・市民セミナー「博物館に学ぶ:博物館の自然史研究とバイオミメティクス」(2012年5月5日、北海道大学総合博物館・バイオミメティクス研究会共催)から

北海道大学総合博物館 教授 大原昌宏 氏
大原昌宏 氏

 北海道大学総合博物館には、4つの使命がある。「研究、展示、教育と普及、資料の管理・保存」だが、一般の方々にとって、博物館を評価する一番の目安は「展示」ではないだろうか。「研究」と「資料の管理・保存」については、どんなことが行われているか、中がよく見えないと言われている。

 当博物館は、2011年10月からバイオミメティクス(生物模倣)研究会と共同でプロジェクトを立ち上げた。所蔵標本を資源に学際的な研究を推進し、一方、本日のような市民セミナーをシリーズで開催、バイオミメティクスの概要を知っていただく。特別展示も行う予定で、冒頭の4つの使命がより可視化され、博物館の新しい側面を切り開くものである。

 なぜバイオミメティクスなのか。1.北海道大学および当博物館が、この分野の工学研究者を触発する材料を豊富に持ち、その活用を図る上でも好適である。2.博物館が「トランス・サイエンス」という重要な役割を担う契機になりうる。というのは、バイオミメティクスは今後大きな発展が期待され、例えば原子力発電のように政治的な影響を受けないとも限らない。科学と政治の狭間で、社会に対するリスクコミュニケーションやコンセンサスが大切になる。当博物館は、この点にもきちんと関わって行きたい。

 北大の所蔵する学術標本は約400万点。中でも昆虫標本は、アジアを中心に世界各地のが、およそ200万点ある。これは1896年に松村松年先生(1872-1960年、北大名誉教授)が、北大の前身の札幌農学校に日本最初の昆虫学教室を開設して以来の、教官・学生による蓄積の賜物だ。松村先生は日本の昆虫学・昆虫分類学の土台を築き、国内の多くの昆虫に和名をつけた。植物標本は、農学部や植物園に相当数あり、海藻標本は日本で1番、アジアでもトップクラスだ。菌類や函館の水産学部が所蔵している魚類標本も充実している。

 大きな特徴は、「タイプ(模式) 標本」と呼ばれる、種の分類と学名決定の基準に用いる貴重な標本が約1万2千点含まれていること。国際的な調査研究にも寄与し、高い評価を受けている。

 これらの生物標本を収集作製、研究している生物学者は、標本の「重要性」を訴えてきた。分類・命名がなければ、個々の生物の識別や認識が出来ない。地球環境の維持には、生物多様性の理解が不可欠である。最近は標本からDNAと形態を読み取れる。いわゆる進化の道筋、系統関係まで分かるようになってきた。よその博物館の収蔵標本と照合すれば、種の分布図も描ける。

 しかし生物学のほか、岩石鉱物学や考古学などの標本を利用している研究者は、大学全体の2%に過ぎないといわれている。限られた予算で博物館を運営するのは厳しいが、標本は人類の財産である。もっといろいろな方々に有効に使って頂きたい。そこで当博物館はバイオミメティクスとの連携に動いた。

 バイオミメティックスは、生物の構造や機能に着想を得て、20世紀の後半から画期的な製品を生み出してきた。最近は、雨で汚れが落ちやすいカタツムリの殻を模した外壁や、カワセミのクチバシをデザインして、トンネル走行時の衝撃と振動を減らした500系新幹線の先端部分が有名である。蓮の葉の表面の超撥水性を応用した汚れのつきにくい素材(ロータス効果)は、ドイツのボン大学植物園の植物学研究者のアイデアが生かされた。

 また米国のサンディエゴ動物園では、バイオミメティクスの別名、「バイオミミクリー」の普及教育が盛んだ。ウェブサイトで講義の模様を視聴できる。その中にロボットが網の目の上をうまく進めなかったので、ゴキブリの脚の棘(とげ)を真似て改良を施し、成功した話があった。私は、ゴキブリの脚に棘があることを知っていたが、どんなところでもうまく歩くには、そういう棘が必要だと気づかされ、愕然(がくぜん)とした。

 私の専門は分類学で、長年エンマムシの研究をしている。エンマムシは、世界に約4,000種、日本に約120種いる甲虫で、カブトムシやカミキリムシと同じ仲間だ。ウジを捕食するので、鶏ガラを放置してウジを発生させ、わさっと集まったエンマムシを篩(ふるい)にかけて採集することもある。オーストラリアでは、牧場の牛糞にハエが大発生したとき、アフリカからエンマムシを入れて、バイオロジカルコントロールをしたことがあったそうだ。私はサハリンの生ゴミ捨て場やジャワ島、マレーシアでも野外調査をしてきた。熱帯雨林地域の昆虫は、日本のものよりカラフルで大きい。

 インドネシアのエンマムシについては、現地の博物館のほか、旧宗主国であるオランダのアムステルダムにも行ってあちこち博物館を回り、総合的な観点から研究発表をしている。捕れた虫はグループ分けして、1個体ずつ標本にする。エンマムシはお湯につけ、柔らかくするときれいな標本に仕上がる。ピンセットや筆、坩堝(るつぼ)、時計皿などの道具を使いながら解剖していく。とても細かな時間がかかる仕事だ。

 それでも写真撮影のデジタル化が進み、作業効率が格段に上がった。エンマムシは、頭の大きさが約1ミリメートルなので、複眼を観察するにも限界があった。ところが電子顕微鏡が発達して、甲虫の翅(はね)の大きさが肉眼ではホコリみたいな0.5ミリメートル程度でも、表面の状態を記録・発信できるようになった。農業害虫で知られるカイガラムシが、口を植物に刺して、ワックス(蝋、ろう)を体じゅうに吹き出している電子顕微鏡写真も沢山ある。

 バイオミメティクスでは、虫そのものよりも、特殊な構造や機能の謎の解明が主眼であるようだ。生物学の場合、昆虫をマイクロ、ナノスケールで見てきたのは一部の領域の研究者だった。工学を主とするバイオミメティクスの研究者に、当博物館の標本を、どのような形で提供するか、当博物館の課題である。まずは甲虫類に限定して、標本のデータベースづくりから始めた。1種類の個体につき光学顕微鏡と電子顕微鏡で数百枚、あらゆる部分を撮り、所定の資料項目を記載する。現在、北大の『自然史系学術標本リスト』のサイトで、約5,000枚の昆虫画像が公開されている。

 いま月に1度、生物学と工学の研究者が昆虫の電子顕微鏡写真を一緒に見ながら、画像検討会を開いている。共同研究に当たっては、お互いのバックグラウンドが違い、資料1つにも求める内容が異なる。話し合って調整しなければならない。そして2つの画像システムの開発が進んでいる。

 1つは、仮称「グルグル・インセクト(昆虫)」。グーグル・アースでは、ある地点をクリックするごとに、対象が拡大して絞られる。オプションボタンでレストランの名前が表示されたりする。私たちは、例えば一匹の虫をなめるように撮影する。関節のクローズアップや、各部位をぐるぐるズームインしていけば、生物学や形態学にとっても有用なサイトになる。

 もう1つは「連想型の画像検索」で、北大工学部メディアダイナミクス研究室の長谷山美紀教授にお願いしている。何万枚という電子顕微鏡の写真を全部コンピュータに入れると、自動的に似ている画像を抽出してくれる。仮に、同じ起源から水生と陸生に分かれた昆虫がいるとして、進化の過程の環境への適応により、起源が同一の体の部分が、別の構造になることはよく見られる。

 しかし起源は全く別な昆虫なのに、電子顕微鏡レベルで非常に良く似た体の構造を持っている場合は、その構造が、絶滅の危機からの回避のための機能の獲得と考えられ、そのメカニズムを知る可能性が広がる。それも私たちの共同プロジェクトの目的である。撮影する側も、より鮮明な画像に向けて、毛と棘だらけの虫から汚れを除く技術を向上させようと頑張っている。当面は構造データを集積し、将来的には昆虫たちの生息環境などの情報を増やして行きたい。

 それから当博物館は大学の施設であり、学内の講義はもちろん、社会教育の点でも人的資源が豊富で多彩なプログラムを企画してきた。中でも、21世紀COE「新・自然史科学創成」の一環の「パラタクソノミスト(準分類学者)養成講座」は、2004年から毎年開催している。生物学のほか、考古学、化石鉱物学を学べる。小学生も参加できる初級から中級、大学院生レベルの上級がある。

 生物に興味のある工学系の方は、ぜひ受講いただきたい。バイオミメティクスにおいて、生物標本を取り扱える、生物に詳しい工学研究者の存在は、生物学者の発想にも良い刺激を与えてくれる。生物系と工学系のより良いコミュニケーションで分野の縦割りが打破され、斬新なアイデアが研究の実用化につながることを期待している。

(SciencePortal特派員 成田優美)

北海道大学総合博物館 教授 大原昌宏 氏
大原昌宏 氏
(おおはら まさひろ)

大原 昌宏(おおはら まさひろ)氏のプロフィール
東京都立豊多摩高校卒、1985年鹿児島大学理学部卒、87年北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、日本学術振興会特別研究員を経て、91年北海道大学大学院農学研究科博士課程単位取得退学、91年-97年小樽市博物館学芸員、97年北海道大学農学部助手、2000年北海道大学総合博物館助教授、11年から現職。農学博士。専門分野はエンマムシ科に関係した生物学全搬、昆虫体系学。

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