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真の人間らしさを追求できる産業経済とは -生物学と哲学の役割-(針山孝彦 氏 / 浜松医科大学医学部 教授)

2012.04.26

針山孝彦 氏 / 浜松医科大学医学部 教授

バイオミメティクス・市民セミナー「タマムシに学ぶ:構造色と農業応用」(2012年3月31日、北海道大学総合博物館・バイオミメティクス研究会共催)から

浜松医科大学医学部 教授 針山孝彦 氏
針山孝彦 氏

 いま地球には知られているだけでも約175万種の生き物がいる。太陽エネルギーを元にした地球のエネルギー循環の中で生存競争を営んでいる。生物の始まりは、現在のバクテリアに似た原核生物だった。それらの主なものは嫌気性で、約20億年前に光合成をするシアノバクテリアが大発生し、大気中に酸素が充満したために衰退した。その後、より大きな好気性の真核生物が誕生し、多細胞生物化した。そこで自分以外の個体をエネルギーとして取り込む、すなわち餌とすることで生存を図る必要が生じた。約5億年前のカンブリア紀に、「食う・食われる」という相互関係が明瞭になった。

 長い進化の過程で、個体の相互関係になどによる淘汰などを経て、個体の遺伝子のバラエティーが増し、種独自の情報世界が生じる。つまり独自のコントローラ(神経系)が発達したのだ。神経というのは、お互いに連絡を取る細胞なので、ネットワークを作ることによって情報処理が多様化し、高度化する。動物がもつ「走性」や「反射」は光や匂いなどの刺激に対する単純な決まった行動だが、ヒトはそれらに加えて「知能・学習行動」までもができるようになった。

 ちなみに、ヒトの正しい学名は、分類学の父であるリンネが名づけた「ホモ・サピエンス」(Homo sapiens)である。「考えることがヒトの特徴」という意味をもっている。カタカナ表記の「ヒト」は、このラテン語の学名の標準和名であり、生物学的な意味で使われる。漢字の「人」は文化などを兼ね備えた広い範囲を示す。

 人類の祖先の一つは、約580万年前にエチオピアの森に生息していた「アルディピテクス属」である。学説によると、他者に餌を持ち運ぶために2本足で直立歩行し、戦いをしなくなったことで犬歯が縮小したらしい。このような血がわれわれの身体に一部流れていると思うと、嬉しくなる。

 原始時代、ヒトは狩猟や採集をして、食物連鎖を代表とする地球の自然均衡系の中にいた。しかし農耕の始まりは、家族や集団の定住生活を可能にした。文明の発展と共に、ヒトのための人工均衡系が築かれていく。近世の欧州ではルネサンスによる学問芸術が盛んになり、近代は自然科学が発達した。産業革命は人々の生活に恩恵をもたらしたが、やがて貧富の差が拡大した。ついには世界戦争が繰り返され、いま化石燃料や原子力などの巨大なエネルギー消費が問題になっている。しかも残念なことに、放射性物質を出す事態にも陥った。これまで作り上げてきた人工均衡系の「均衡」は破綻したと言わざるをえない。

 人類が利用している主たるエネルギーも、太陽が元である。3.11以降の私たちは、単にエネルギーを制御すれば良いだけではない。それぞれの生き物がもつ「環世界」(注1)を知り、自然均衡系を破壊せず、人工均衡系を保てるような環境設計ができればと思う。それで私は「バイオミメティクス」(生物模倣)に着目した。まずは自分たち「ヒト」というものを良く知り、自らをコントロールすることだ。

 ほとんどの生き物は子孫を残すと、種(集団)の中での役割を終え死ぬ。ヒトや類人猿は生殖可能な年齢を過ぎても寿命があり、特に現代人はおよそ40年もの時を過ごす。個々の遺伝子は「生殖」によって次世代に伝達される。ところがヒトが有形無形の外圧に適応していくには、さまざまな経験や学習を基盤にした「文化」という伝達手段が重要になる。文化を受け継ぐのは、親子から国家まで集団が意味を持つ。そして長く生きるには、健康を意識しなければならない。われわれ人間の本質が、ここにあるのではないか。

 通常の生き物は時間の経過とともに個体数が増えるが、ある空間(地域)で特定の種を維持できる最高のレベルに達すれば、その数は頭打ちになる。これは自然の摂理で、「環境収容力」(carrying capacity)という。ところが人間は頭を使い工夫する。例えばライオンに襲われたら、防ぐために槍を持つ。水が不足すると水源用ダムを建築する。環境収容力を常に大きくしようと努めてきたのだ。

 その結果ヒトは野生の中で生きられなくなり、自分自身を「家畜化」してしまった。そのために私は、自虐的に「ホモ ドメスティカス」(Homo domesticus)という言葉を2010年に造語した。これは「家畜化したことがヒトの特徴」という意味である。自然から切り離され、高度な物質・情報世界を築いてしまった「人類の責任」は果たせているのだろうか。生物多様性の維持、安易な少子化対策の再考と人口の抑制などと課題は多い。

 生物学は経済学や産業にもつながっている。人間の場合は、先に挙げた環世界に哲学をプラスした「哲環世界」がバックボーンになりうる。本来の人間の性(さが)を裏切らない産業構造をつくるべきだ。私も気概を持って研究で寄与したい。

 私は、生物の表面の色についての研究の初めにタマムシが手に入らず、スゲハムシを採集した。翅(はね)の金属的な光沢は、同じ種でも青から赤の連続的なカラーバリエーションを持つ。何のためにそれほど美しいのか、知りたかった。翅を割って、走査型電子顕微鏡や透過型電子顕微鏡で細部を観察した。表面の薄い層の反射スペクトルを丹念に測定して、一方で計算理論を組み立てたらうまく一致した。それは無色の洗剤でも、たくさんの層が重なると虹色に見えるシャボン玉と同じ原理だった。つまり層状構造による色彩「構造色」ということが分かった。

 構造色は何か信号としての役割をもつのだろうか。赤と緑の縞の光彩で知られるヤマトタマムシをつぶさに分析し、層状構造の仕組みを確認した。次に、ほかのタマムシがその反射に寄ってくるのか、大学の講義棟の上でおびき寄せる実験をした。長い棒の先にタマムシの鞘翅(しょうし)や好物の榎の葉、LED(発光ダイオード)などを取り付けた。

 鞘翅だけだと、飛んできて周りをぐるぐる偵察しながら近づき、アタックする。LEDには来ない。眼を薄く切って調べたが、「自分が反射している緑色と同じ色を、よくキャッチできる細胞がある」ということだけ分かった。「日本ペイント」にお願いして車の塗料、マジョーラで試した。角度によって、青から紫色に輝きが変化して見える。しかし、本物に似ているのに全く来ない。困ってしまった。

 「浜松フォトニクス」にタマムシと同じような反射構造を作ってもらい、少しずつ色の違うコントロール(対照実験)群も用意した。これで「いける」と思ったけれど全部ダメ、徒労の数年間だった。タマムシの反射の光学的異方性を見つけたのでフィルムに再現した。すると、形にかかわらずに多数飛んできて、昨年の夏やっと成功した。ある企業と多層膜を共同研究して、農業利用を目指している。赤外線や紫外線を通さずに可視光だけ、光合成に必要な光だけを透過させると、暑くない温室も設計できる

 光に対する昆虫の習性を解明して、害虫駆除にも応用したい。「飛んで火にいる夏の虫」といわれるが、光のパネルを使った飛翔軌跡や、翅を切ったカメムシが歩いた到達点を克明に記録した。虫は光に向かうものの光そのものではなく、明暗の境界部分(エッジ)に向かっていることが、この数年間の研究で分かった。20年位前ケニアで学術活動をしていたとき、「眠り病」を媒介するツエツエバエを捕獲する罠(わな)の実験で、現地の人たちにとても褒められた。当時は布を使ったが、やはりエッジの存在が大事で、最後に明るいところに集めて病気の蔓延を防ぐことができた。構造色のシートの方が効果は大きいようだ。

 モスアイ(蛾の眼)のような「ナノパイル構造」、いわゆる超撥水構造が虫を寄せつけないことが分かり、しかも電気を使わずエコロジカルなので、実用化に向けて進んでいる。ハムシの足の裏にはヤモリのような密集した毛の構造があり、いろいろなものにくっつくことができるが、小さな凸凹構造があるフィルムの上だとスルッと落ちてしまう。モスアイシートを日中にどこかに吊り下げ、下に水盤でも置く。水に強い虫には石鹸水を少し入れる。虫は本能で集まるから、いつも同じ方法を使える。アリやカメムシ、ナナホシテントウの仲間だけでなく、実験に用いた害虫(16目31種)がすべて落下した。今後は、種ごとの脚の形状と正確な落下角度をデータベース化していく。植物の表面構造と昆虫の脚との関連も再検討し、農学や建築などに幅広い用途を提案していきたい。

 いま日本には問題が山積みしている。大量消費を反省することは必要だが、その発想は「爪に火を灯(とも)す生活」になりかねない。爪火生活は、人を不幸にする。人と人とがコミュニケーションを取りやすい、笑顔になれる社会づくりを目指そう。人間は社会性動物であり、交流があってこそ幸せだという、動物としてのヒトの原点を見失ってはならない。

 現実として、日本にお金が落ちなければ国家として自立できない。バイオミメティクスでは躍進著しい欧米のレベルに追いつき、できれば世界をリードしたい。日本人は小さな虫にも魂を思う精神性を持っている。日本の自然観を織り込んだ研究で、よい意味での繁栄を目指したい。

(SciencePortal特派員 成田優美)

 注) 環世界:生き物は仲間同士で通じ合えばいいように進化しており、それぞれ種独自の情報世界が出来ている。ドイツのヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した概念だが、著書を翻訳した日高敏隆氏が環境問題と区別するため、「環世界」と表記して啓蒙に努めた。

浜松医科大学医学部 教授 針山孝彦 氏
針山孝彦 氏
(はりやま たかひこ)

針山孝彦(はりやま たかひこ)氏プロフィール
1952年、東京生まれ。91年東北大学応用情報学研究センター、98年同大学院情報科学研究科助手、2001年浜松医科大学医学部助教授、04年から現職。理学博士。専門分野は視覚生理学、光生物学、バイオミメティックス。著書は『生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い』(化学同人)、『環境生物学 -地球の環境を守るには-』(共立出版、共著)など、また『昆虫ミメティックス』(NTS社)、『研究者が教える動物飼育』(共立出版、本年5月中旬出版予定)などを監修。

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