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うれしい応用の広さ - 有機ホウ素化合物に引かれ(鈴木 章 氏 / 北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者)

2011.03.16

鈴木 章 氏 / 北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者

ノーベル賞受賞記念市民講演会(2011年2月28日、北海道大学 主催)から

2冊の本との出会い

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏

 子どものころから数学が好きだった私は、北海道大学(以下北大)でも数学を学びたいと思い入学しました。学部生の時に、米ハーバード大学ルイス・フィーザー先生の「Text Book of Organic Chemistry(有機化学)」という700ページ余りの本を教科書として使いました。1冊550円くらいだったと思います。数学に一番遠い領域分野の有機化学に興味を持つきっかけとなった本であり、この本に出会わなければ、有機化学の世界には進まなかったでしょう。大学院修了後、理学部で助手をしていました。当時日本では重化学工業に重点を置いており、北大でも工学部に合成化学工学科が設立され、助教授として異動しました。

 ある日書店の化学のコーナーで、赤と黒のツートンカラーの表紙の専門書らしくない本を見つけました。この本が、その後留学先となった米パデュー大学ハーバート・ブラウン先生が書かれた「Hydroboration(ハイドロボレーション)」だったのです。この本は、有機ホウ素化合物を簡単に作る方法が書かれた本でした。「これは、面白い本だなあ」と思い早速購入し、その夜にほとんど徹夜で読んだ記憶があります。ちょうどそのころ上司から、「海外で勉強して来ないか」と声を掛けられたので、せっかくならブラウン先生の下で勉強したいと思い、当時ドイツのハイデルベルグの招待教授をされていた先生に手紙を書きました。そして博士研究員としてパデュー大学に留学することになり、1963年の夏に渡米したのです。

 パデュー大学には、1年8カ月おりました。当時の給与は、北大の助教授としてもらっていた給与の4倍でした。しかも、ガソリンも食品も安い。米国と日本の国力の差が歴然としていて、第二次世界大戦後でベトナム戦争前の米国が最もパワーのある時代でした。非常にいい時代に米国に留学できたと思っています。

 ブラウン先生の元では、Hydroborationの仕事をしました。当時51,2歳だったブラウン先生が、非常にアクティブに活動されていた時代です。当時、研究室には30数人の共同研究者がおりました。地元米国の研究者も数人おりましたが、ほとんどは世界中から集まっていました。彼らの大半の考えは、「Hydroborationは面白い。興味のあるものである。しかし、有機ホウ素化合物は非常に安定しすぎていて反応しづらく、他の有機化合物には使えないだろう」というものでした。確かにそうですが、逆に「水に安定であり、毒性も少ない」という長所もあると、私は考えました。

鈴木カップリングの魅力

 1965年に北大に戻り、私は有機ホウ素化合物を使った新しい有機合成反応を発明したいと思っていました。当時、この分野はほとんど研究されておらず、米国のブラウン先生以外では、ドイツやロシアで行われているだけでした。私自身は、北大工学部でほぼ100%行なった研究になります。そこでは、いろいろな有機化合物ができました。ノーベル賞受賞の対象となったクロスカップリングは、全体の3分の1にあたる仕事で、一番後の方に行った仕事です。

 クロスカップリングは、炭素と炭素を結合させる反応です。炭素と炭素を結合させる反応は、非常に重要な反応ですが、実は非常に難しい反応でもあります。これまで、Li(リチウム)、Mg(マグネシウム)、Zn(亜鉛)、Sn(スズ)などの有機化合物はありますが、いずれも水や空気中で非常に不安定だったり、毒性が強かったりします。しかし、有機ホウ素化合物は、そのような欠点が少ないのです。そのため、鈴木クロスカップリングは、医薬品の合成にも使われています。私は年に一度の人間ドックで、少し血圧が高いということで薬を処方されました。この薬も「鈴木クロスカップリング」で作られた薬でした。日本で約350万人、世界では約2,200万人の人がこのような薬を利用しています。他にも、農薬や液晶、有機EL(エレクトロルミネッセンス)など、さまざまな製品が作られています。化学関係会社のみならず、いろいろな分野の産業に使われていることは、とてもうれしいことです。

 ノーベル賞は、毎年10月上旬に発表されます。毎年この時期になると、北大やマスコミ関係者から、「先生、10月上旬は、札幌を離れないでくださいね」と言われていました。「そんなこと当たりっこないから、心配することないよ」とよく笑って話していたものです。ノーベル賞候補は、自薦ではなく他薦で決まります。また1年や2年でもらえるものでもありません。2002年にパデュー大学で、ブラウン先生の90歳をお祝いする記念講演会がありました。妻と一緒に参加したのですが、その講演会前日の夕食の際に、直接先生から「Akiraをノーベル賞に推薦しようと思っている」と初めて言われました。驚いた私は、妻に「日本に帰っても絶対話すんじゃないよ」と伝えたほどです。先生は、2002年、2003年と推薦をしてくださいました。しかし、2004年に亡くなられたので候補になったのかどうか知ることはありませんでした。

 ノーベル賞受賞決定は、10月6日の夕方に直接自宅に電話で知らされました。最初妻が電話を取りましたが、英語が通じなかったのかすぐに切れてしまいました。私は、「アンビリーバブルなことが起こったかもしれないよ」と妻に話をしました。その後再度電話があり、初めて受賞を知りました。それからは、多忙な毎日が続いています。特にノーベルの命日である12月10日の授賞式前後のノーベルウイークは、印象深いものでした。コンサートホールで行われた授賞式は、非常に荘厳な式でしたし、1,370人が参加したノーベルバンケット(夕食会)も素晴らしいものでした。あれほど大きなバンケットに参加したのは初めてでしたし、翌日に行われた国王主催のバンケットにも参加しました。一生に一度のうれしい期間でした。

将来は自分で探すもの

 鈴木カップリングが実用に使われて一番うれしいものは、あえて言うならば医薬品の合成に使われていることです。化学研究者の目から見ると、医薬品の構造は非常に複雑で種類が豊富なので、それに利用されているのは、うれしいことです。また、若い人に向けてのメッセージとしては、自分は何が好きなのかを見極めて、その道に突き進むことが必要だということです。そのためにもいろいろな知識を頭に入れてください。それから、よく「今の時代は希望が見えない」という人がいますが、自分の将来の道や希望は、他人に与えられるものではなく、自分で探すものです。

 そして最後に、ぜひ海外に行くことを勧めます。有機合成化学の分野は、世界レベルから見るとトップクラスにあります。それなら何も海外に行く必要がないのではとなるかもしれません。しかし、留学すると専門分野を含めて外国語を必然的に勉強することになります。たとえへたな英語であっても、コミュニケーションをとる必要ができ、外国人を知ることができます。先生だけではなく、友人ができますし、自分の視野を広げることができます。資金面などデメリットもありますが、それをクリアする制度もいろいろありますし、マイナス面よりプラス面が多いと思います。

 今でも毎日化学の学術雑誌を読むことが日課です。鈴木クロスカップリングの引用文献は、20,000件ほどあります。今でも年間1,000件以上のクロスカップリングに関する論文が出ています。そのほかに、本の執筆を行っています。私は80歳になりますが、今でも仕事があるということは、とても幸せなことだと思っています。本の執筆が終わったら、妻と一緒にクルージングでも行きたいですね。

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏
(すずき あきら)

鈴木 章(すずき あきら)氏のプロフィール
北海道立苫小牧高校(現・北海道苫小牧東高校)卒。北海道大学理学部化学科卒業、同大学院理学研究科化学専攻博士課程修了後、北海道理学部助手に。北海道大学工学部合成化学工学科助教授時代の1963-65年米パデュー大学のハーバート・ブラウン教授の研究室で有機ホウ素化合物の研究を行う。73年北海道大学工学部応用化学科教授。94年北海道大学を定年退官し、同大学名誉教授、岡山理科大学教授に。95-2002年倉敷芸術科学大学教授。01年にパデュー大学招聘教授、02年台湾中央科学院、国立台湾大学の招聘教授も。有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリングの業績で根岸英一・米パデュー大学特別教授とリチャード・ヘック米デラウェア大学名誉教授とともに2010年ノーベル化学賞受賞。同年文化勲章も受章。

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