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情動は理性の始まり

南カリフォルニア大学 教授、2010年本田賞受賞者 アントニオ・ダマジオ 氏

掲載日:2011年3月2日

本田賞受賞記念講演「情動の神経生物学~医学と文化の帰結」(2010年11月17日、本田財団主催)から

南カリフォルニア大学 教授、2010年本田賞受賞者 アントニオ・ダマジオ 氏

アントニオ・ダマジオ 氏

 

情動については、非理性的で受け入れがたいものとして科学と思考の長い歴史の中で捉えられてきた。しかし、情動は非理性的で混乱した行動ではなく、生物が無意識に管理している生物学的価値があるものだということをお話ししたい。最初に情動と感情の定義を述べることで、情動と感情が必ずしも同一ではないことに気付いていただけると思う。この二つの区別は重要だ。

多くの方々は、情動とは衝動や動機の一歩進んだ段階だと理解されているのではないだろうか。しかし、不思議にもこれらは関連している。情動とは、衝動と動機の機構や、報酬と罰の機構から一段進んだ段階であり、これは地球上の全生物が持つ本質的特徴だ。

報酬と罰の機構や、衝動と動機とどう違うのか。まず情動は、脅威や機会など特定の問題を解決することに焦点を合わせたものといえる。反応を考えたり、じっくり考えたりしない大変速く、標準的なものだ。

認知能力が劣る人間以外の多くの種にとって、情動を所有することは大変有益だ。もちろん人間にも有益なのだが、情動的解決が文化的慣習や規則と対立する場合、人間にとっては意識的にじっくり考えた反応が望ましい場合もあるだろう。人間は、熟考なしに極めて現実的かつ迅速な解決をもたらす情動を保持している。同時に、意識や理性、膨大な知識や論理を基に熟考して反応することもできる。進化の過程でつくられた無意識に反応する能力と、意識して反応する能力という現世最良ともいえる二つの素晴らしい機構を人間は生まれつき授かって、活用しているのだ。

Emotion(情動)という言葉の語幹がmotion(動き)だから、情動はほぼ行動と同義であり、特定の目標を目指す動きとも言える。

「恐れ」を例に取ってみる。恐れは、生物学的観点から最もよく研究された情動の一つだ。恐れの情動を構成する作用は、心臓、肺、腸で発生し、鎮痛作用をもたらす予備的行動が含まれる。恐れを感じるとき、人間の系全体が自動的に痛みへの反応を減少させるからだ。これには、コルチゾールを分泌するホルモン系で生じる作用も含まれる。これらすべての作用は、生物界全体に見られる。人間も恐れを引き起こす対象に対して、その場で停止するか、危険の源から逃げるかなど、特定の注意行動を起こす。これは、人間が恐れの情動を引き起こす対象とともに、それと関係が深い特徴を思い起こす特定の認知モードと戦略を持っているためだ。すなわち恐れという情動時に、望むか望まないかを特定の方法で考えることができるということにほかならない。

生物の脳内には、装置を作動させる機能や行動プログラムを実行させる機能、さらには各情動を構成する機能などが、進化の過程で構築されてきた。生物はこれらの機能をゲノム発生の極く初期から利用している。しかし、人間は自ら情動を発生させる装置を持って生まれる。すなわち感情の表現を学ぶのではなく、感情という能力を持って生まれてくるのだ。これは、私たち人間という生物の脳内に何かが設置されているからで、同時に人間が一部の情動を制御する能力を持っていることも興味深い。

私たちは、ある程度情動を補正できる。しかし、情動を学ぶ必要はなく、恐れが何であるかを学ぶ人間はいない。特定の対象に関連して恐れを感じることはできるが、恐れの動きを学ぶ必要はない。この機能は、私たち人間のゲノムによって与えられている。

情動の種類は限定されており、20-30に分類することができる。恐れ、怒り、喜び、悲しみ、嫌悪などの主要な情動と、熱意や落胆などの背景的情動がある。また慈悲、遺憾、軽蔑、誇り、畏怖(いふ)、称賛などの社会的情動も極めて重要だ。

現在、情動に関する研究で大きく進歩している領域の一つが、情動プロセスで、このプロセスには4段階ある。情動にかなう刺激の評価、情動の誘発、情動の実行、そして最終的に情動の状態形成に対して、脳のどの部分が応答するかは、各段階で異なる。情動にふさわしい刺激が主に大脳皮質で評価され、皮質や皮質下で誘発され、脳幹や視床下部など脳領域の主に皮質下で実行され、最後に情動状態が脳だけでなく全身にも発生する。

扁桃(へんとう)体と呼ばれる場所が損傷している患者の例を示す。この患者は何に対しても恐れを感じず、あらゆる種類の危険源に接近しても、その源から離れない。この患者は、ヘビを操り、クモと遊ぶことができる。情動を誘発するような映像を見せるなどさまざまな手段を用いて調べたところ、健康な被験者が悲しみから恐怖まですべての情動に反応するのに対して、この患者は恐怖を誘発する映像に対してだけは恐れを示さなかった。恐怖を除いたすべて情動に反応したにもかかわらず。

それでは、人間は情動をどこで感じるのだろう。数年前、私たちは、情動は主に島皮質と呼ぶ大脳皮質のプラットフォームで感じると提唱した。今日この領域は、感情の処理装置として機能していることが明らかになっている。では、感情は大脳皮質のみで感じられるのかというと、答えはノーだ。脳幹内には感情の生成にとって重要な別の機構がある。これは大脳皮質がなく、島も全くない状態で生まれた患者の研究で分かる。水無脳症と呼ばれる状態にあるこの患者は、島皮質がないにもかかわらず、情動と感情を持っている。この例からも、感情体系を構成するレベルが複数あることが分かる。

次に意思決定に関することについて話したい。私たちは理性と論理と知識が適切な意志決定の唯一の源であると考え、長期間にわたり純粋に理性を追求した。理解していただきたいのは、そうした追求の後に、その瞬間の現実により適合させる意思決定をするためには、以前の情動の経験を利用することが重要であると考えた、ということだ。

これは、今日、経済の世界においても極めて広く認知されている。個々の人間が考えた上で、金融政策や投資などの経済的意思決定を下すということは明白だ。しかし、すべての人間が、事実、理論、推論といった知識の観点から同様の意志決定をするなどと考える人はいない。なぜなら、この意思決定は人間共通の方法によるものではないからだ。人間は、時には情動のために極めて不合理な決定を下す一方、時には情動から極めて合理的と思われる決定を下すものなのだ。これら決定の過程には感情を表現する因子が存在するから、という事実に気づいたのは、前頭葉領域に損傷があるだけで、それ以外の大部分が正常と思われる1患者によってだった。

この患者は知性があり、記憶力も良好、知識もあり、良い運動能力を持ち、正常な人に見える。会話をすると、この人のどこが変なのかと思うだろう。しかし、この患者を現実の社会に入れてみると、社会的行動範囲内の意志決定であろうと、個人の財政的な決定であろうと、彼が守るべき規則を犯す決定ばかりすることが分かる。何かが正常ではない。意思決定する際に影響をもたらす、過去の情動的経験から決定に至った過程が正常に残っていないのだ。

最後に、情動の研究とは、非理性的なものの研究ではないということを話したい。これは、人間の進化では極めて古いプロセス、すなわち意志決定時における多くの社会的行動の基盤としての誘導や機能、さらには、その倫理体系の基盤における誘導や機能、これらの場でさまざまに適用される感情を生成するプロセスの研究だ。また、人間は、理性という意味において存在するすべてが情動であった時から、すなわち極めて単純な動物から進化したということを私たちに分からせるものだ。

人間の情動とは理性の始まりだった。動物が危険を回避する場合、それが意識して決定された行動である場合を除き、その特定の行動において理性的であるからだ。これは、進化の結果、脳にある反応を起こさせ、ゲノムから与えられる方法であり行動である。つまり私たち人間は、極めて幸運なことに、非常に古いその体系だけでなく、文化や文明を通して構築されてきた体系を持っている。このため、私たちは時に介入し、時に情動が働くことを許可し、時にノーと言うことができるのだ。

南カリフォルニア大学 教授、2010年本田賞受賞者 アントニオ・ダマジオ 氏
アントニオ・ダマジオ 氏
(Antonio Damasio)

アントニオ・ダマジオ(Antonio Damasio)氏のプロフィール
1969年ポルトガル・リスボン大学医学部卒、74年同大学で医学博士号取得、75年米アイオワ大学 バン・アレン名誉教授、2006年から現職。89年からソーク生物研究所 客員教授も。前頭前野や扁桃体などの脳領域を損傷した患者が、情動的に対応できず、判断の欠如や不適切な社会的行動を招くことを発見した。情動と感情が意思決定の中核をなすという「ソマティック(身体)・マーカー仮説」を提唱し、ソマティック・マーカー機能が、過去の経験から情動に関連する理由を導き、価値を与えるとした一連の研究業績で2010年本田賞受賞。著書に「デカルトの誤り~情動、理性、人間の脳」(Descartes' Error: Emotion, Reason, and the Human Brain、筑摩書房)、「感じる脳~情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ」(Looking for Spinoza: Joy, Sorrow and the Feeling Brain、ダイヤモンド社)など。米科学アカデミー医学協会会員。欧州芸術科学アカデミー会員。

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