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休学のすすめ-日本が求める人材とは(黒川 清 氏 / 政策研究大学院大学 教授、前日本学術会議 会長)

2011.01.11

黒川 清 氏 / 政策研究大学院大学 教授、前日本学術会議 会長

科学技術の国際連携戦略シンポジウム「アジアとの共創の時代に向けて」(2010年12月16日、武田計測先端知財団 主催)まとめコメントから

政策研究大学院大学 教授、前日本学術会議 会長 黒川 清 氏
黒川 清 氏

 今の大学生は公務員になろうとか大会社へ行こうなどと考える人間が多い。これは若い人の問題というよりは親の世代の問題であり、さらにその前の世代の問題だ。今の大学生の親というと45歳から50歳あるいはもうちょっと上の年齢だろう。女性の総合職の就職難が始まったのは1991年だから、母親たちの世代の多くは結婚して子供を産むと、多分仕事をやめさせられている。

 父親はどうか。三菱銀行と東京銀行の合併が発表されたのが1996年。山一証券がつぶれたのが1997年だ。その時点で「大企業」にいたとしても、14あった都市銀行があっという間に3つになったという時代である。皆、足がすくんでいた。父親、母親というのはそういう時代の世代だ。その子供たちである今の大学生は、物心ついたころから、明るい話など聞いたことがあまりないと思う。この20年、日本はそのような時代だった。公務員になりたい、大会社に入りたいなどと考えるのは、若い人の問題、責任ではないということだ。

 親たちは米国に行ったりしたかもしれないが、それは会社の命令でそうしたに過ぎない。外国に行けば自分も出世できるのではないか、という「終身雇用、年功序列」神話のもとに行っただけだ。だからそういう人たちに何やかや言われたくないというのが今の学生たちは、気がついていなくても、無意識に感じ取っているかもしれない。そんな気分だろう。

 私は小泉純一郎首相(当時)に「大学の大相撲化を」という「キーワード」を言った。20年前の1991年11月の九州場所で大関、小錦が優勝した。次の初場所(92年1月)は貴乃花が優勝し、小錦は12勝3敗だった。次の春場所(92年3月)にまた優勝したが、その小錦を横綱にはしなかった。横綱は神聖だから外国人にはやらせない、というのが新聞も含め圧倒的な世論だった。

 しかし、今みてほしい。全力士の7%が外国人力士。幕内になると40%になり、三役は50%、横綱は100%だ。何の文句があるだろう。たった20年間で、どうしてこうも変わったのか。今や外国人力士はテレビのおかげで、祖国の英雄だ。リトアニア、ブルガリア、モンゴル、ロシアなど経済的には豊かとはいえない国々で、日本を好きになる人たちが増えるではないか。

 どうして同じことを大学がやらないのか。国立大学は1割の学生を外国人に開放しろ、と小泉首相に言った。それに対し、大学の偉い先生が言ってきたものだ。「国民のお金を使っているので、責任をとれない」。何を言っているのか。5-10年たった時に、その人たちのネットワークの広がりこそが国の安全保障の一番の根幹だろう。ことの本質を大きく見ることができないのだ。どうして「知の代表」、大学の先生がそうしたことを言わないのか。

 もう一つのキーワードは、「四行教授」だ。四行教授とは、大学を出て同じ大学の助手、助教授、教授(そして定年)という4行しか履歴書にない純粋培養の単線路線を歩んだ人のことだ。これが最も由緒正しくて、最近でこそ付け加えるとしても2、3年の海外留学程度、といったことが通用してきたのは、そういう状況で日本が経済成長してきた、大量規格工業製品が経済成長のエンジンというパラダイムだったからにすぎない。日米安保体制、冷戦下にあっては、このような日本の製品が外国(主として米欧)に買ってもらえた。そんな時代だからこそだ。

 しかし、20年前に冷戦も終わり、世界は一つの市場経済になった。同時にインターネットの登場で情報が世界に広がり、サプライサイド(供給側)で考えたグローバル経済ではなく、皆が何を望んでいるか、現地で暮らしてみないと分からないデマンドドリブン(需要主導)の、オープンイノベーションの時代となっている。今までのように出張で海外に行っても皆、日本の本社の指令を待ちつつ、気持ちが会社ばかり向いているようでは駄目。いくら技術が高いといっても十分ではないのだ。

 そのよい例がある。アップル社が最初に出した携帯型音楽プレーヤーiPod、そしてiPhoneなど、部品の50-60%は日本製だった。では最新のiPadに日本製の部品がどのくらい使われているだろうか。ほとんどゼロ。超ハイテク高級部品など必要ではなく、中国、韓国、台湾製部品で十分ということだ。むしろこれらの国の製品との差別化は難しいというのが現実だ。日本企業は、うちの技術はもっと進んでいるという心理に陥っているが、進んでいても市場、需要に価格的にマッチしていなければ意味がない。

 広く世界を見て、日本の「強さ」をどう生かすかに加え、日本の「弱さ」を自覚することが必要になっている。だれと組めばよいか、個人的なネットワークを持ち、自分自身で決定できる人がどのくらいいるだろうか。会社を離れて、独立した「個人」として世界に何人の友人を持っているかが、グローバル、フラットな世界では重要になっている。

 慶應義塾の創立者、福沢諭吉は130年以上前に「学問のすすめ」を書いた。今年、私は慶應義塾湘南藤沢キャンパスの新入生に対する特別講演の講師に招かれ、「休学のすすめ」を説いた。グローバル化が進むこれからの時代、学部生が4年で卒業する必要はない、5年のうち1年程度は社会活動もよし、留学もよし、いろいろな海外での活動に参加するのもよし、いろいろなところでの生活も、旅行もよし。「外」へ出る、「外」で感じることで自分を見つめ、多様な世界を知り、違いを感じ、だからこそ「外」から日本を見る、感じ取ることが感覚的にできるようになる、と。

 そうすることで多くの友人ができ、ネットでつながりあえる。実際に就職活動をやめて、4年生なのにガーナに行ったり、モスクワに出かけたりする学生から、メールなどで頼もしい報告を受け取っている。このような若者は潜在的にかなりいるはず、決して捨てたものではない。ちょっと背中を押すだけで、新しい広い世界を知り、自分の課題を見つけ、果敢に挑戦する。このような若者こそが、グローバル世界での自分たちの立ち位置を自覚し始め、一人ひとりの固有の、個人のネットワークを創っていく。このような若者たちこそが、「企業」が、そして日本社会が求めている「人材」「人財」だと信じている。

 ぜひ応援の輪を広げていきたい。社会も、企業も、政府も、大学も、若者たちにエールを送り、応援すべきではないだろうか。

 「大学を休んででも外へ出てみよう」

政策研究大学院大学 教授、前日本学術会議 会長 黒川 清 氏
黒川 清 氏
(くろかわ きよし)

黒川清(くろかわ きよし)氏のプロフィール
成蹊高校卒、62年東京大学医学部卒、69年東京大学医学部助手から米ペンシルベニア大学医学部助手、73年米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部内科助教授、74年南カリフォルニア大学准教授、77年UCLA医学部内科准教授、79年同教授、83年東京大学医学部助教授、89年同教授、96年東海大学医学部長、総合医学研究所長、97年東京大学名誉教授、2002年東海大学総合医学研究所長。03年日本学術会議会長、総合科学技術会議員に就任、日本学術会議の改革に取り組むとともに、日本の学術、科学技術振興に指導的な役割を果たす。06年9月、定年により日本学術会議会長を退任、同年10月から08年10月まで内閣特別顧問。06年11月から政策研究大学院大学 教授。特定非営利活動法人 日本医療政策機構 代表理事も。「イノベーション思考法」(PHP新書)、「大学病院革命」(日経BP社)、「世界級キャリアのつくり方」(石倉洋子氏との共著、東洋経済新報社)など著書多数。講演や「-->黒川清オフィシャルブログ」で精力的な発信を続ける。

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