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ゲノム研究成果は使い方次第(隈 啓一 氏 / 帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授)

2010.02.10

隈 啓一 氏 / 帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授

国立情報学研究所市民講座「ゲノムと情報学」(2010年1月19日)講演から

帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授 隈 啓一 氏
隈 啓一 氏

 ヒトは26,000の遺伝子を持っている。持っている遺伝子の数は生物によって異なる。どういう遺伝子を持っているかで生物の形や性質の違いが生じる。だから、そういうものがどうやって決まっているかを探る研究が非常に盛んだ。例えば、非常に複雑な細胞でできている生物と、たった1つの細胞でできている生物との違い、あるいは陸上で生活する生物と水中で生活する生物はどこが違っているか、といった研究もよく行われている。

 このような種によるゲノムの違いに加え、ヒトの個人間に見られるゲノムの違いについても研究が進んでいる。遺伝子多型というのがある。最も代表的なものが血液型だ。人間は、両親由来の2つのゲノムを持つ。この2セットある遺伝子が互いにほんのわずか異なることがある。例えばA遺伝子とB遺伝子を持っている母親の血液型はAB型だ。B型とO型の遺伝子を持つ父親の血液型はB型だが、遺伝子はBとOの2つを持っている。この両親から生まれた子供もまた、両親からどちらか一方を1個ずつもらっていろいろな血液型になる可能性がある。

 A型、B型、O型遺伝子というものの本体は、細胞の表面に出ているタンパクに糖鎖をくっつける酵素だ。元々、糖をくっつける遺伝子があり、それが突然変異によってA型、B型、O型の遺伝子がつくられてきた。ある種の糖をつけるA型遺伝子と、若干違った糖をつけるB型遺伝子と、そういう働きを失ってしまったO型遺伝子の3つが多型として存在しているということだ。働きは異なるが、3つともDNAはほとんど変わらない。例えばA型とO型では1カ所しか変わっていない、つまりたった1つの塩基があるかないかという違いしかない。A型とB型も8カ所しか違っていない。わずかの遺伝子の違いが血液型の違い、あるいはその他いろいろな個人間の違いを生み出しているわけだ。

 わずか1塩基が異なるだけで体質なり病気なりの違いを決めているものを1塩基多型(SNP、スニップ)と呼んでいる。1つの遺伝子の中の1塩基、あるいは少数の塩基が違うことによって病気を起こす一因子疾患というものが、今までいろいろ知られている。血友病や鎌型赤血球貧血症など、いわゆる遺伝病はそういうものが多い。鎌型赤血球貧血症は、正常型に比べてDNAの並びが1個だけ変わってしまっている。そのためつくられるアミノ酸が「グルタミン酸」から「バリン」というものに換わり、その結果、タンパクの形が変わって、変な形の赤血球をつくり出してしまう。たった塩基一つの違いで病気になってしまうという有名な例だ。

 しかし、最近何が分かってきたかというと、1塩基で生じる病気というのは例外であって、多くの病気ではむしろ1塩基の違いは直接病気には結びつかず、病気になりやすい傾向を示すにすぎないということだ。

 例えば、あるゲノム上の1塩基多型で、普通のヒトはグアニン(G)である個所がチミン(T)に換わっている人がいる。そのようになると肺がんになる危険性が高まるのだが、喫煙をしなければ、その危険性は減るという例がある。こうした例が結構知られてきた。

 また、ある病気が起きやすくなるという1塩基の違いが、1カ所ではなくて複数の遺伝子の中の複数の個所が関係している例が多いことも分かってきた。生活習慣病に多いのだが、例えば糖尿病などは1カ所の違いではなく、むしろいろいろなところの違いが効いていることが分かっている。そこで、すべての一塩基多型と病気の関係を徹底的に研究しようという動きが出てきた。ゲノムワイド関連解析といって、病気のヒトと健康なヒトを比べてみて、病気のヒトではどこの塩基が換わっている傾向が多いか網羅的に調べようという研究だ。

 ゲノムワイド関連解析によって、塩基の違いと病気の関係が分かってきたものには生活習慣病のほかに、精神関係の疾患なども結構多い。さらに体質なども恐らく複数のスニップが関係していると考えられており、病気以外のいろいろな性質との関係も調べられている。

 このようなゲノム情報というものが広く使われるようになってくると、その影の部分にも関心が寄せられるようになった。自分のゲノムが分かることで、ある病気へのかかりやすさ、または太りやすさといった体質も分かり、健康に対する注意ができる。非常によいことばかりのようだが、実はこれはかなり注意が必要ということでもある。というのは、ゲノム情報は個人情報だ。しかも、非常に取り扱いを要する個人情報で、例えばあなたのゲノム情報を公開することによって、ある病気にかかりやすいという傾向が示されたということで何かの差別を受けてしまうということがないとは限らない。あってはならないのだが、そういう危険性もあるということだ。だから、個人ゲノムを公開することに関しては、今後多くの有識者による議論が必要だし、多分、法整備が不可欠だと思われる。

 また、ほかの個人情報とは違う面をゲノム情報は持っている。ただの個人情報ではなく、あなたの近親者の情報をあらわすものでもあるということだ。

 具体的にいえば、あなたのゲノム情報を明らかにするということは、あなたの親、もしくは子供のゲノム情報の半分について明らかにすることでもある。自分がいいからといって、簡単に自分のゲノム情報を公開しては、ほかの方の迷惑になることもある。

 要は、ほかの研究成果と同じで使い方次第ということだろう。情報としては非常に意味のあるもので、重篤な病気にかかるような可能性を前もって知ることにより、それに対応した生活を行い健康で長生きができる可能性もある。一概に否定するのではなく、厳重な情報管理を行って、慎重に使っていけばよいのではないか。

帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授 隈 啓一 氏
隈 啓一 氏
(くま けいいち)

隈 啓一(くま けいいち)氏のプロフィール
1986年九州大学理学部生物学科卒、93年同大学院博士課程修了、京都大学理学部生物物理学科助手。京都大学化学研究所バイオインフォマティクスセンター特任助教授を経て現職。専門は進化の観点から遺伝情報を解析する「分子進化学」。理学博士。

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