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他者への共感に人類の未来が(長谷川眞理子 氏 / 総合研究大学院大学 先導科学研究科 教授)

2008.02.22

長谷川眞理子 氏 / 総合研究大学院大学 先導科学研究科 教授

公開講演会「宇宙と生命、そして人間を考える-人類の未来のために」(2008年2月16日、日本学術会議 主催)講演から

総合研究大学院大学 先導科学研究科 教授 長谷川眞理子 氏
長谷川眞理子 氏

 この地球上に生命が誕生したのは、およそ38億年前と考えられている。

 「生物」とはなんだろうか? 膜につつまれた細胞という構造を持っており、代謝を行い、成長し、自分と同じようなものを複製する存在。熱力学の第2法則に(表面上)反して、時間を経てもつねに同じようなものを複製する存在。過去に絶滅したものも含めれば、何億種とも言われるほど多様な生命の形態全部に対し、「進化戦略」を抽出しようとするのはたいへんに難しい。

 しかし、38億年の生命の進化史から、生物の戦略として、メタ的に大きな共通パターンを抽出することができないだろうか? その一つは、複雑化に向かう方向である。

 もちろん、進化は場当たり的に起こり、目的や計画性など何もないのだが、生命の歴史を見ると、時間とともに複雑さを増す方向に向かう傾向が見てとれる。いったん進化で作られた複雑な構造が、のちに喪失されたり、単純化したりすることもあり、それは退化と呼ばれる。そのようなことも起こってきたが、一般的傾向は複雑化である。

 もう一つは、その複雑化が実現していく仕組みとしての「共生」だ。原核生物の遺伝子は、核というものに包まれていない。真核生物には核があり、遺伝子は染色体上に並んでいる。異なる遺伝子が一緒になって、染色体と核という新しい「共生」の集合体を作って、新たな道が開けた。真核生物はさらに、ミトコンドリア、葉緑体などと細胞内共生を行うことによって発展していった。多細胞生物ができたとき、また新たな「共生」の集合体が生まれた。

 そして、互いに情報を交換しながら個体が集まって作る社会が生まれ、生物にはまた新たな「共生」の姿が加わった。その中で、ことさらに高度な分業と共同作業を発達させて大繁盛しているのが、アリ、シロアリなどの社会的昆虫と、人間である。社会的昆虫と呼ばれる昆虫たちは、大きな巣を構築したり、えさを探して蓄えたり、敵を撃退したり、子供を育てたりするなど、さまざまな仕事を分業している。アリ類は北極から熱帯まで世界中に分布し、自分たちのからだの何万倍という大きさの構築物を作り、生息地の環境を変化させ、生物量では人間全体の生物量にも匹敵する。

 人間も、世界中に分布し、世界の環境を改変し(破壊し)、今や人口が65億にもなるほどに繁栄している。その成功のカギは、やはり分業と共同作業にある。みんなで協力し、一人ではできないことを次々に成し遂げてきた。しかし、社会性昆虫で分業と共同作業を成り立たせている原理と、人間でのそれとは非常に異なる。社会的昆虫の分業と共同作業は、きわめて単純なメカニズムで動く個体同士の自己組織化によって、驚くほど複雑な社会が生み出されているようである。

 一方、人間の分業と共同作業は、高度な脳機能を備えた個体同士が、他者の心を理解し、言語その他の方法でコミュニケーションを行い、さまざまな概念も伝え、共感と信頼を介した相互扶助関係を築くことで行われている。そして「文化」という形で蓄積された知識や物体が世代を超えて伝わっていくことにより、他の生物に類を見ない強力な繁栄を達成している。

 人類の進化史を振り返ると、数万年前にはわずか500万人、紀元元年に2億5,000万人しかいなかった人口が、急激に増えている。人類は文明を持ち、外付けの装置を文化として持ってしまったので、それがバッファーとなり、自然淘汰の影響を受けずに済んでいる。なるべくよい環境を作り出すことによって、自然淘汰がかかりにくくなっている。しかし、こうした状態はいつまでも維持できないのではないか、というのが今の危機感だろう。

 人間には、自己が分かり、自己を認識し、社会を認識し、いろいろなことができるという大きな能力がある。チンパンジーはお互いの認識はできるが、「自分」、「相手」、「もの」という「3項関係」の理解はできない。人間は、自分はこう感じているので、他者もこう感じるのではないか、もしかしたら別のことを考えているかもしれない、といったことを4〜5歳になると理解する。自己認識が確立すると同時に、他者への共感といったものも生まれる。負けた人間に対して慰めてやらなければ、と考えるように。

 自己を認識することで他者への共感も、というこの人間の能力に人類の未来に対する希望を持ちたい。

総合研究大学院大学 先導科学研究科 教授 長谷川眞理子 氏
長谷川眞理子 氏
(はせがわ まりこ)

長谷川眞理子(はせがわ まりこ)氏のプロフィール
1976年東京大学理学部生物学科卒業、80~82年タンザニア野生動物局に勤務、83年東京大学大学院理学系研究科人類学専攻博士課程修了、東京大学理学部人類学教室助手、専修大学教授、米エール大学人類学部客員准教授、早稲田大学政経学部教授などを経て2006年から現職。日本進化学会会長も。専門は、行動生態学、進化生物学。野生のチンパンジー、英国のダマジカ、野生ヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を続け、最近は、人間の進化と適応の研究も。「クジャクの雄はなぜ美しい?増補版」(紀伊國屋書店)、「進化とは何だろうか」(岩波ジュニア新書)、「ダーウィンの足跡を訪ねて」(集英社)などの著書、「人間の進化と性淘汰Ⅰ,Ⅱ(チャールズ・ダーウィン著)」(文一総合出版)、「ダーウィンの種の起源」(ジャネット・ブラウン著)」(ポプラ社)など訳書多数。

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