サイエンスクリップ

乳がんの幹細胞が、分裂して倍増する仕組みを発見

掲載日:2019年3月15日

生涯のうちに「がん」を患う日本人は、2人に1人の割合だといわれる。 最も多いのは大腸がんで、胃がん、肺がんがこれに続く。しかし、女性に限った場合、最も多いのは「乳がん」だ。 乳がんに限らず、がんの生存率は「分子標的薬」など新しいタイプの薬の進歩により、著しく向上している。分子標的薬は、がん細胞が作りだす異常なタンパク質を狙って、その働きを効果的に抑える薬だ。しかし、「トリプルネガティブ」とよばれるタイプの乳がんでは、標的となるような分子が見つかっておらず、今のところ最適とよべる薬が存在しない。そのような乳がんも視野に、治療に役立つ分子の発見に取り組んでいるのが、金沢大学の後藤典子教授らの研究グループだ。乳がん細胞が増える新たな仕組みをこのほど解明し、米国の科学論文誌「PNAS」で発表した。

がん幹細胞の対称性分裂が、がんの悪性化を招く

がんは遺伝子の病気だ。だからといって「遺伝する」病気という意味ではなく、たいていのがんは、生まれてから起こった遺伝子の変化の蓄積が原因となって発生する。がん細胞の親玉ともいえるのが「がん幹細胞」だ。がん幹細胞は分裂して「がん細胞」を生み出す。がん細胞は分裂と増殖を無限に繰り返して大きな塊となり、やがてまわりの組織や臓器の働きを妨げてしまう。ただし、がん幹細胞の分裂によって「がん細胞」ばかりができていては、親玉が枯渇してしまう。だから、分裂によってできる2つの細胞のうち、がん細胞になるのは片方だけで、もう一方は新たな「がん幹細胞」になるのがふつうだ。このようなタイプの分裂のことを「非対称性分裂」という。

ところが、分裂した細胞が両方とも「がん幹細胞」になる場合がある。このような「対称性分裂」が起こると、がんの親玉が加速度に増えるため悪性化しやすい。

図1 がん幹細胞の分裂。通常、がん幹細胞は分裂して、自分と同じ能力を持つ「がん幹細胞」と「がん細胞」を生み出す(非対称性分裂)。しかし、分裂して2つのがん幹細胞を生み出す「対称性分裂」をすることがあり、この分裂を行うがんは悪性化しやすい。
図1 がん幹細胞の分裂。通常、がん幹細胞は分裂して、自分と同じ能力を持つ「がん幹細胞」と「がん細胞」を生み出す(非対称性分裂)。しかし、分裂して2つのがん幹細胞を生み出す「対称性分裂」をすることがあり、この分裂を行うがんは悪性化しやすい。

後藤さんらのグループは、乳がん幹細胞の人工培養に成功した経験をもとに、対称性分裂のメカニズムの解明に乗り出した。体内のがん幹細胞は、周りの正常な血液細胞や免疫細胞を巧みに操り、自分自身が生き延びるために最適な条件を備えた「ニッチ」と呼ばれる環境を作っている。ニッチについては、今もわからない点が多い。乳がん幹細胞の最適な生存条件を見つけるために後藤さんらは検討を重ね、その結果、乳がん幹細胞の生存には「炎症」にかかわる分子が重要であることがわかった。

炎症は、なんらかの刺激によって引き起こされた体の異常を、元の状態に戻そうとする生体防御反応のひとつだ。例えば、蚊に刺された痕がかゆくなり腫れてくるのも炎症反応だ。このとき体内では、細胞同士が様々な情報交換を行いながら、生体の秩序を回復しようとしている。この情報の役割を果たすのが「炎症関連分子」である。後藤さんらは、乳がんの幹細胞の生存に必要な炎症関連分子を突破口に、分裂に関わる分子を調べたところ、「セマフォリン」というタンパク質が候補に挙がった。

神経細胞形成と乳がん幹細胞の分裂に共通点はあるのか

セマフォリンは、神経細胞が作られるときに働く分子としてよく知られている。神経細胞では、「ニューロピリン(NP1)」というタンパク質がセマフォリンに結合する。後藤さんらは、このニューロピリンが乳がん幹細胞にも多く含まれていることを発見した。また、神経細胞の形成では、セマフォリンとニューロピリンが結合することで、「MICAL(マイカル)」という分子の働きが活性化する。解析の結果、乳がんの組織でも同様にMICALが働いていることがわかった。さらに、がん細胞にMICALが多く含まれるほど悪性化しやすく、生存率も低くなる傾向があることもわかった。

がんの親玉である「がん幹細胞」が倍々ゲームで増える対称性分裂についても、新たな発見があった。ニューロピリンが働いている乳がん幹細胞だけを取り出し、セマフォリンの影響を調べたところ、セマフォリンのある環境では対称性分裂をする幹細胞が多くなるのだ。

さらに、MICALが働かないように遺伝子操作すると、対称性分裂をする幹細胞の割合は減った。つまり、対称性分裂には、セマフォリンがニューロピリンに結合することで活性化されるMICALの働きが必須なのだ。

図2 乳がん幹細胞が対称性分裂を起こす仕組み。セマフォリンが乳がん幹細胞のニューロピリン(NP1)に結合すると、細胞内のMICALが活性化して、対称性分裂を引き起こす分子が次々と働きだす。
図2 乳がん幹細胞が対称性分裂を起こす仕組み。セマフォリンが乳がん幹細胞のニューロピリン(NP1)に結合すると、細胞内のMICALが活性化して、対称性分裂を引き起こす分子が次々と働きだす。

今回見つかった一連の分子は、神経細胞の形成における重要な分子でもある。ではなぜ、同じ仕組みが乳がん幹細胞の分裂にも関わっているのか。この点について、「まったく種類の違う細胞で、どこまで共通の遺伝子が働き、どこからが違うのか。そこが興味深い」と後藤さんは言う。生体内では、一見まったく関係がないように思われる現象で、同じ分子が働いていることがある。セマフォリンとニューロピリンの結合によって次々と引き起こされる一連の分子のふるまいは、神経細胞形成と乳がん幹細胞分裂のそれぞれにおいて好都合なのだろう。その詳細は、まだわからない。

乳がん幹細胞分裂を抑える薬は、他のがんの治療にも役立つかもしれない

乳がんは、がん細胞が示す特徴によっていくつかの種類に分けることができ、治療もその特徴にそって行われている。例えば、がん細胞の表面にある「HER2(ハーツ―)」というタンパク質に異常が多く見つかるタイプを「HER2陽性」乳がんとよび、この異常タンパク質の働きを抑える分子標的薬が効果を示す。

しかし、がん細胞が薬剤への耐性を獲得したり、もともとHER2陽性であっても再発した際に陰性に変わってしまったりするなど、いつでも同じ薬が効くとは限らない。さらに、「トリプルネガティブ」というタイプには、薬の標的となるような分子がまだ見つかっておらず、効果的な薬がないのが現状だ。後藤さんによれば、乳がん幹細胞の対称性分裂の仕組みは、乳がんのタイプにかかわらず共通だという。もし、有効な標的分子が見つかり、乳がん幹細胞の分裂を妨げるような薬が開発されれば、どんな種類の乳がんにも効果があるだろう。

さらに、ニューロピリンは、乳がん細胞だけではなく肺がんや大腸がんの細胞にも多いことから、それぞれのがん幹細胞の対称性分裂は、共通の仕組みによって起きているのかもしれない。もしそうであれば、乳がん幹細胞の対称性分裂を妨げる薬は、多臓器のがん治療に使えるだろう。

後藤さんらのグループでは現在、乳がん幹細胞の対称性分裂を効果的に抑えるような薬の開発に向けて、研究に取り組んでいるそうだ。新たな薬によって、がんは治ることが当たり前の病気だ、と言える日がくることを期待したい。

※図はいずれも金沢大学などのプレスリリースより。

(サイエンスライター 工樂真澄)

ページトップへ