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記憶に眠りは必要か?の疑問に新たな研究成果

掲載日:2016年9月2日

学習後の脳に刺激を与えて活性化すると、睡眠不足でも学んだことを記憶できることが、理化学研究所、名古屋大学、東京大学の研究チームによるマウス実験で明らかになった。記憶の定着には睡眠が不可欠と考えられてきた中で、非常に興味深い結果だ。

実験では、マウスに皮膚感覚の学習としてケージの床の質感を覚えさせ、その後、睡眠不足の状態にして、脳内の“ある情報伝達回路”を刺激した。通常、マウスは、学習直後の睡眠を妨げられると学んだことを記憶できないが、脳を刺激されたマウスは、数日経っても床の質感を記憶していた。

記憶を定着させる、脳の「トップダウン回路」

実験で着目したのは、トップダウン回路と呼ばれる脳の情報伝達回路である。

図.起きている時と寝ている時とで異なる脳の情報伝達回路。図は筆者作成
図.起きている時と寝ている時とで異なる脳の情報伝達回路。図は筆者作成

皮膚感覚などの感覚情報は、起きている時には体の部位(例えば手)から脳の低次領域へ、さらに高次領域へと伝わる。この経路をボトムアップ回路と呼び、皮膚感覚の知覚に使われる※1。一方、寝ている時は、感覚情報は脳にあまり入らない。その代り、トップダウン回路と呼ばれる高次領域から低次領域への情報経路が存在し、これが記憶の定着に不可欠だと長年考えられてきた。

※1 2015年理化学研究所のチームは、皮膚感覚の知覚にはボトムアップ回路だけでなくトップダウン回路も用いられることを発表している。参考:理研プレスリリース

睡眠には、深い睡眠であるノンレム睡眠と、夢などを見るレム睡眠がある。学習直後のマウスは、主にノンレム睡眠をとっていた。そこで研究チームは、学習直後のマウスのノンレム睡眠時のトップダウン回路を抑制した。すると確かに記憶は定着しなかった。

では逆に、トップダウン回路を活性化するとどうなるのだろうか。寝不足のマウスでは、通常、記憶の定着は非常に悪い。ところが、寝不足のマウスでも、トップダウン回路を活性化すると、寝不足のマウスだけでなく正常に睡眠をとったマウスに比べても、記憶を保持できる期間が延びたのだ。

つまり、皮膚感覚などの知覚記憶の定着には、これまで睡眠が必要とされてきたが、たとえ睡眠不足でも、トップダウン回路の活性化を行うことで記憶の定着をコントロールできることが示されたのだ。研究チームは、今回確かめられた皮膚感覚だけでなく、視覚や聴覚の知覚記憶についても、同様な記憶の定着メカニズムが働いている可能性があると見ている。

光学と遺伝学の融合「オプトジェネティクス」

この研究を可能にしたのは、近年、脳神経科学を革命的に進化させているオプトジェネティクス(光遺伝学)と呼ばれる手法だ。マウスの脳に光ファイバー等を埋め込み、光を当て、神経活動をコントロールする。マウスの神経細胞には、光に反応するタンパク質が遺伝子操作で組み込まれており、そのタンパク質の種類により、光で神経細胞を活性化したり抑制したりできる。

光の照射のタイミングも重要だ。ノンレム睡眠時では、脳の広い範囲でゆっくりとした同期的な脳波が観察される。そのため実験では、ノンレム睡眠で観察される同期的な脳波を模倣するようにトップダウン回路を光で刺激した。また、このトップダウン回路を活性化するために、体の各部位から感覚情報が伝わる「第一体性感覚野」(低次領域)と「第二運動野」(高次領域)の2箇所を同期刺激した。

脳刺激で記憶の低下を阻止できるか

研究成果を人に応用することはできるのだろうか。研究チームは、「今回見出したマウスの記憶の定着を向上させる刺激パターンを、臨床に適用・改良することで、睡眠障害で記憶の低下が起きている患者の治療法を開発できる可能性がある」としている。また、加齢による知覚記憶の低下を防ぐ可能性も示唆している。実験で光刺激した感覚野は、人に対しても、磁気や直流電流での刺激が可能な部位である。その部位の刺激は、近年臨床で使われ始めている経頭蓋磁気刺激や経頭蓋直流刺激と呼ばれる精神疾患の治療法で、行うことができるという。

記憶も睡眠も、その仕組みにはまだ謎が多いが、現代社会にはこれらに障害を持つ人が増えているのではないだろうか※2。最新の科学技術が生み出す研究成果が、ニーズに合った医療を提供していくのだろう。今後に期待したい。

※2 記憶障害の一例としての参考。「みんなのメンタルヘルス 認知症(患者数)」厚生労働省。「睡眠で休養が充分にとれていない者の割合は20.0% 平成26年 国民健康・栄養調査」日本生活習慣病予防協会ホームページ。

(サイエンスライター 丸山 恵)

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