サイエンスクリップ

神戸発・市民に向けられた素粒子物理学者の話

掲載日:2015年10月19日

9月27日午後、神戸ファッションマート(神戸市東灘区)に設けられた特設会場では、数百人の一般市民が開会の時が来るのを待っていた。お目当ては、2人の著名な物理学者による「市民科学講演会」だ。

この講演会は、日本学術会議と日本物理学会が主催となり、翌28日から始まる国際会議「クオークマター2015 (第25回相対論的原子核衝突国際会議)」に先立って行われた。普段、私たちの生活とはあまり縁のない“素粒子物理学”の世界を突き進む一流の科学者が、市民に向けていったい何を話すのだろう?と興味を持ち、参加してみた。

会場の全体風景
写真.会場の全体風景

知っているようでどこまでも不思議な"重力"の話

講演会は、「クオークマター2015」共同議長でもある初田哲男(はつだ てつお)理化学研究所仁科加速器研究センター副センター長の挨拶で幕を開けた。

続く一人目の話者は、大栗博司(おおぐり ひろし)カリフォルニア工科大学 ウォルター・バーク理論物理学研究所所長/東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員だ。大栗氏は、素粒子物理学の研究に取り組む研究者で、一般向けの著書も多い1。講演では「重力とは何か」をテーマに話し始めた。

※1 大栗氏の著作/『大栗先生の超弦理論入門』(講談社ブルーバックス、2013年)、『強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く』(幻冬舎新書、2013年)、『素粒子論のランドスケープ』(数学書房、2012年)、『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る 』(幻冬舎新書、2012年)

大栗博司氏
写真.大栗博司氏

私たちにとって、当たり前に存在している重力。この重力が、モノの性質や振る舞いの法則を探る「物理学」の世界で重要な役割を果たすことは想像に難くない。しかし重力は身近であると同時に、21世紀に突入した現在においてもいまだその全容が解明されていない、なんとも難攻不落な相手でもある。大栗氏はこの重力の不思議を7つのカテゴリーに分け、まるで「世界7不思議」を巡る旅のように話を進めていった。

大栗氏の話より「重力の7不思議」
写真.大栗氏の話より「重力の7不思議」

重力は力である・・・という理解しやすい不思議から出発した旅は、後半になると相対性理論や超弦理論の世界にまで進んでいった。もちろんしっかりと理解しようとすれば、大学院で専門の授業を1年受けても足りないような内容である。しかし時空の話をするのに文学作品「フラットランド 多次元の冒険」(19世紀に書かれたイギリスの風刺小説)の内容を用いたり、ダークマターの話では某TVアニメのパロディを用いたりするなど、聴衆がイメージしやすい例え話や柔らかい言葉を選ぶことで、物理学になじみがない人にも研究者の抱いている”不思議”が伝わるように、1時間の全てにわたり工夫していたのがとても印象に残った。

本当の"知りたい"に応える情報発信の話

2人目の話者は、早野龍五(はやの りゅうご)東京大学大学院理学系研究科教授だ。早野氏は「『知ろうとすること。』を続ける」というテーマで、研究者による震災以降の情報発信とその姿勢について話を進めた。

早野龍五氏
写真.早野龍五氏

早野氏は、スイスのジュネーブにある世界最大規模の素粒子物理学研究施設CERNで、反物質2研究のチーム「ASACUSA」を率いている。しかし一般に氏の名前が知られるようになったのは3.11以降の情報発信によるものが大きかった。素粒子物理学という分野は、直接社会の役に立つものではない。早野氏はこれまで納税者に支えられてきた物理学者という立場から、自分が社会に対してできると考えたこととは何か、そして実際に行ったこととは何だったのかを、体験を交えて語った。

※2 反物質/ある物質と比べて質量と角運動量(回転運動の量)が同じで、電荷などの性質が全く逆である物質のこと。例えば電子の反物質である「陽電子」はプラスの電荷を持っている。

日本人男性の年代別内部被曝量について話す早野氏
写真.日本人男性の年代別内部被曝量について話す早野氏

具体的な事例として、実験物理学者としての最新の知見と、SNSという現代のツールでつながる人脈を組み合わせることで、社会が求める"安心"に向けた情報発信に取り組んだ独自の活動を紹介した。その活動は、被災地に住む人々の内部被曝量をテーマとした研究として進められ、分野外の医学論文3を執筆するまでになったという。

※3 早野氏の医学論文/Internal radiocesium contamination of adults and children in Fukushima 7 to 20 months after the Fukushima NPP accident as measured by extensive whole-body-counter surveys

早野氏は、「『知らないことを検索する』ハードルが下がった近年だからこそ、『情報の流れを遡って知ろうとする』を止めないことが大切ではなかろうか」と語っており、このことを自身の研究活動を通じて伝えていきたいという想いを強く感じることができた。

科学と社会の接点"不思議"と"知りたい"

今回2人の物理学者が登壇し、大栗氏は素粒子物理学が持つ本質的な面白さや不思議さを一般に分かりやすい話や言葉で伝え、早野氏は社会に発生した問題に、素粒子物理学者として直面した現場で感じたことを伝えた。普段、素粒子の研究者に対して一般から最もよく発せられる問いは、「何のために研究をしているのか?」かもしれない。先日のノーベル物理学賞受賞者、梶田隆章(かじた たかあき)東京大学宇宙線研究所教授への記者会見でも、同じ質問がなされている場面を覚えている人も多いのではなかろうか。

この質問には、科学の世界(特に基礎研究の分野)と自らの世界の間に感じる距離の”遠さ”が透けて見えるような気がする。しかし、本当に科学の世界は遠いのだろうか。

大栗氏が話の冒頭に引用した言葉がある。「ふしぎだと思うこと これが科学の芽です よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です そうして最後になぞがとける これが科学の花です」これはノーベル物理学賞受賞者でもある朝永振一郎(ともなが しんいちろう)氏の言葉だ。どんな内容であれ、身の回りにある不思議を見つけると「なんでだろう」と知りたくなる……これは、科学者だろうが私たちだろうが、誰でも感じる基本的な欲求である。「知りたい」ことが科学の出発点であるならば、きっと科学の世界は私たちが思っているよりもずっと近い場所にあるのではないだろうか。

今回の講演会では、「知りたい」という欲求と常に向き合っている大栗氏と早野氏が、私たちの「知りたい」という気持ちをくすぐることで、専門家が見ている科学の世界へ私たちを誘ってくれた。いつもは一般の人と接することの少ない科学者が、こうして一般の人と同じ目線に立って自分の声で研究の「不思議」を考え、伝える。このような場は今後、研究内容だけでなく科学という分野そのものに対する理解を深める意味でも、いっそう重要になるのではないかと感じた。

※写真提供:クオークマター2015市民科学講演会 事務局

(科学コミュニケーター 本田隆行)

ページトップへ