サイエンスポータル SciencePortal

サイエンスクリップ

匂いで「食べたい」と感じる時、脳内では?

掲載日:2015年9月18日

何かの匂いを嗅いだ時に「食べたい」または「避けたい」と感じる脳の働きについての謎が、解明に向けて一歩前進した。東京大学大学院医学系研究科の村田航志(むらた こうし) 特任助教(現在は福井大学医学部 組織細胞形態学・神経科学領域 助教)、山口 正洋(やまぐち まさひろ)講師、森憲作(もり けんさく)教授(現在は東京大学名誉教授)らのチームは、マウスの大脳内の「嗅結節(きゅうけっせつ)」という部位に、経験した匂いが摂食または警戒行動につながる神経回路を見出した。

食のモチベーションは大脳内の嗅結節から

私たちは、好きな食べ物の匂いを嗅ぐと「食べたい!」と感じ、それを食べようとする。一方、焦げ臭さや腐敗臭、ガス漏れの匂いは「危険だ!」と感じ、避けようとする。面白いことに、どの匂いに魅かれるか、警戒するかは個人の経験で異なる。実は、さまざまな感覚の中でも嗅覚は、生き物の情動やモチベーション行動に直接働きかけるという大きな特徴がある。だがこれまで、匂いと行動の関係はよく分かっていなかった。

そこで研究チームは、 脳がどのように匂いと行動を結びつけるかを調べた。注目したのは次の2種類のモチベーションに基づく行動である。

  • ① 摂食モチベーション:おいしい食べ物を食べたいと感じる脳の働き(嗜好や欲求に分類される)
  • ② 警戒モチベーション:危険を避けたいと感じる脳の働き(警戒や忌避に分類される)

初めに、マウスに匂いと行動を関連づけるためのトレーニングをした。一方のマウス群には、ある匂いを嗅がせた後で砂糖を与え、もう一方には同じ匂いを嗅がせた後に足に電気ショックを与える。これを繰り返し、マウスに学習させた。すると、数日後その匂いを嗅いだ時、 両群に顕著な違いが見られた。匂いと砂糖の関連を学んだマウスが食べ物を探し始めたのに対し、匂いと電気ショックの関連を学んだマウスは動きを止める、あるいは頭を引っ込めて匂いから逃げるなど警戒行動をとったのだ。

ではこの時マウスの脳内では何が起こっていたのか。着目したのは大脳にある「嗅結節」と呼ばれる部位だ。

図.マウスの脳内にある匂いに関与する領域。ヒトや動物が匂いを鼻に吸い込むと、鼻腔の細胞が匂い分子を受け、その情報が鼻の奥上側にある嗅球(きゅうきゅう)と呼ばれる脳の領域で処理される。嗅結節はその処理された情報が伝わっていく一段階高次の嗅覚中枢だ。また嗅結節は、嗅覚以外の感覚や、行動に関係するさまざまな脳の領域ともつながっていて、感覚と行動を結びつける。まさにマルチな情報処理センターである。
図.マウスの脳内にある匂いに関与する領域。ヒトや動物が匂いを鼻に吸い込むと、鼻腔の細胞が匂い分子を受け、その情報が鼻の奥上側にある嗅球(きゅうきゅう)と呼ばれる脳の領域で処理される。嗅結節はその処理された情報が伝わっていく一段階高次の嗅覚中枢だ。また嗅結節は、嗅覚以外の感覚や、行動に関係するさまざまな脳の領域ともつながっていて、感覚と行動を結びつける。まさにマルチな情報処理センターである。

匂いが起こす行動と嗅結節の変化を視覚的にとらえる

研究チームは、匂いを嗅いでから30分後のマウスの嗅結節を取り出し分析した。指標にしたのはc-FOSだ。c-FOSとは、神経細胞が刺激に反応する時に発現する遺伝子の転写因子で、この発現を見ることで、嗅結節のどの神経細胞が活性化したかが分かる。

図.マウスの嗅結節。構成組織ごとの区分が、異なる色で示されている。実験では、黄色、オレンジ、緑の部分が、匂いがもたらす行動に関わることが分かった。「Murata et al. The Journal of Neuroscience 35: 10581-10599 (2015)」より引用。
図.マウスの嗅結節。構成組織ごとの区分が、異なる色で示されている。実験では、黄色、オレンジ、緑の部分が、匂いがもたらす行動に関わることが分かった。
「Murata et al. The Journal of Neuroscience 35: 10581-10599 (2015)」より引用。

マウスの嗅結節を、構成組織の特徴によって上図のように複数のドメイン(領域)に分けて調べると、摂食行動を学習したマウスでは前内側ドメイン(緑)で、警戒行動を学習したマウスでは外側ドメイン(黄とオレンジ)で、c-FOSが活性化していた。つまり、「食べたい」という摂食モチベーションと「避けたい」という警戒モチベーションは、嗅結節のどこが活性化するかで決まっていたのだ。

細胞内には、経験に基づき匂いから行動を決めるスイッチがある

さらに、それぞれの活性部位の細胞を詳しく調べると、ある共通点が見えてきた。これら活性部位を構成する神経細胞には、ドーパミン受容体D1を発現する神経細胞とドーパミン受容体D2を発現する神経細胞があるが、そのうち、どちらの群でも活性化していたのは前者だった。ドーパミン受容体D1は、まるで匂いを行動に結びつけるためのスイッチのようだ。

これらの結果から研究チームは、嗅結節は、過去に嗅いだ匂いを経験に応じた行動に変換するスイッチボードの役割をしていると考察した。つまり、嗅球からの匂い情報は、 その情報に基づいて嗅結節の適切な部位に届けられ、処理された後、モチベーション行動につながる脳の領域に伝えられるということだ。

では、匂いの種類は影響するのだろうか。実験には2種類の匂いが使われたが、どちらの匂いでも行動との関連を学習したマウス群の結果は同じだった。行動を決めるのは匂いの種類ではなく、マウスがどの匂いをどの行動に結びつけたかという過去の経験に基づくことが示された。

ゆくゆくは食欲のコントロールにもつながるか

今後の研究では、嗅結節のそれぞれの領域の働きを詳しく調べ、これらの領域が成長過程でどのように発達し、匂いの経験が成長後のモチベーション行動にどう影響するかを調べると言う。研究チームの山口氏は、次のように話す。

「脳の重要な働きは、生き物が外界の様子を知って、その中で適切な行動をとれるようにすることです。今回の研究は、そうした脳全体に共通するメカニズムの理解につながると思っています」。また、今回の研究成果は「私たちの生活にも深く関わっている」とも言う。

例えば、適切な摂食モチベーションは健康な生活に欠かせない。味や風味に大きく関わる匂いと摂食モチベーションの関係が分かれば、食べ物の好き嫌いの理解につながり、過食、偏食、拒食などの改善に貢献できるかもしれない。

(サイエンスライター 丸山 恵)

※トップページで使用した写真は、「Murata et al. The Journal of Neuroscience 35: 10581-10599 (2015)」より一部改変して使用しました。

ページトップへ