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自分の考えで生き、自分の好きなことをやろう

米カリフォルニア大学 サンタバーバラ校 教授 中村修二 氏

中村修二 氏(米カリフォルニア大学 サンタバーバラ校 教授)

中村修二 氏(米カリフォルニア大学 サンタバーバラ校 教授)

 

私が生まれたのは、四国佐田岬の瀬戸町。海と山以外に何もない田舎でした。小学校2年生の時、同じ愛媛県の大洲市に引っ越しました。

この頃から理科と算数だけは好きでした。「理系」への進学を意識したのは間違いなくこの頃からです。すでにその頃の作文に将来の夢は「科学者」と書いていましたから、鉄腕アトムの御茶ノ水博士になりたかったのでしょう。

高校は市内の大洲高校、中学から引き続き、バレーボール部に入部しました。大学から企業、そして現在の研究の仕事でも辛い時はあのキツイ練習を思い出します。

大学の進学に関しても、迷わず理数系の配点が大きい大学を選びました。ところが、大学に入るといきなり教養科目をとらなければならないことがわかりました。しかも大嫌いな国語、心理学、経済学。卒業するには全部必須の科目です。1週間通って、とうとう切れましたね。「やってられない!」と。

それから下宿での引きこもり生活が始まりました。「大学へ行っても得るものはない。とにかく自分で好きなことを勉強しよう」と心に決めました。とくに力を入れたのは大好きな物理学です。いろんな専門書を読みあさりました。哲学にも興昧を持ちました。「自分は今まで何のために生きてきたのか、何のために勉強してきたのか」。この時初めて「自分の考えで生きよう。自分の好きなことをやろう」と思いました。

半年後、大学に復帰してからは、自分のやりたいことをするために、興昧のない科目をとにかく片づけようと努力しました。大学4年を迎えると、成績は1番になっていました。理論物理を極めるべく大学院への進学を決めました。

もっと研究をやりたかったのですが、すでに結婚をしていましたから、就職の道を選びました。子どもを田舎で育てたいという願望が強く、地元の日亜化学工業に就職することを決めました。そして、その後、自分のやりたいことをやり続け、青色発光ダイオードの発明という大きな仕事を成し遂げました。

  • 「科学者になる方法-第一線の研究者が語る」(東京書籍)から転載
  • 中村修二 氏の研究について:
    赤、青、緑を光の3原色といい、これらの光を組み合わせることですべての色を表示することができる。3原色のうち、青と緑を発光するデバイスがなかなかつくれなかったが、1993年に青色、1995年に緑色を出す発光ダイオードの製品化に世界で初めて成功した。

 

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