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2011年7月19日編集だより

小岩井忠道

サッカーは選手、監督にとって最も厳しい球技かも。サッカー女子ワールドカップ決勝でのなでしこジャパンの快挙に驚喜しつつ、あらためて思った。

高校時代、野球部の中心選手として活躍した同級生と、しばしば一杯やる。ある時、彼がさらりと言った言葉を思い起こす。「野球は水物だよ」。実力が上なのに負ける。優位に戦っていた方が終わってみたら負けていた。そんなことがしばしば起こる、という意味だ。

選挙では死票ということがよく問題にされる。死票が多いと、どういうことが起こり得るか。極端なケースでは得票総数では上回っているのに、勝負では負けてしまうこともある。米国の大統領選でも2000年のジョージ・ブッシュをはじめ何人かが、総投票数では負けたのに大統領に選ばれた。大統領になり損ねた側の悔しさが想像できる。

なでしこジャパンの闘いぶりをテレビ観戦して思ったのが、この死票だった。球技にはいろいろあるが、選挙で言う死票のように“報われない途中経過”が多い球技と少ない球技の2種類に分けられるのではないか、ということだ。

前者ですぐ思い浮かぶ球技に、バレーボール、テニス、卓球などがある。セット制という共通項を持つ。テニス4大トーナメントの男子の試合を例にとると、セットカウント3対2で優勝が決まるというのは珍しくない。しかし内容はさまざまだ。こんなケースが実際にあったかどうかは知らないが、2セットをいずれも0-6で取られた方が、残る3セットを7-6、7-6、8-6で取って優勝ということはあり得る。それで文句を言う人間などいるはずもないが、勝ちゲームの総数で比較したとするとどうだろう。負けた方が30対22で“圧勝”しているのだ。

一方、ラグビー、アメリカンフットボール、アイスホッケー、バスケットボールなどは、死票に相当するものは全く、あるいはほとんどないといってよいだろう。試合を通じて得た得点の総数で1点でも上回る方が勝ち、と実にすっきりしている。「勝負は時の運」という言葉通り、運不運は付き物だが、実力が上のチームが勝つ確率は、こちらの方がおそらく相当高い。実際、中学、高校時代にバスケットボールに熱中した経験から言うと、実力が明らかに劣ると思われるチームに負けた記憶はないし、負けそうになってあわてた記憶もない。実力の差がそのまま勝敗に出やすい球技と言える。

サッカー、野球を、これら両グループのどちらかに割り振れといえば、後者ということになるだろう。セット制ではないからテニスやバレーボールで起こり得るようなことはないが、バスケットボールなどとは明らかに異なる面があるような気がする。野球の場合、ヒットが3本続き満塁になるまで攻め立てたのに結局、その回は零点に終わってしまう。最終的に勝ったのは、はるかに少ないチャンスを生かした実力では見劣るチームだった。こんなケースはいくらでもあるに違いない。最後に負けてしまっては、結局、途中の度重なる攻勢も死票みたいものでしかなかった、ということだ。

サッカーはどうか。敗者側の強烈なシュートがバーの内側に当たったのだが、落下地点がわずかにゴールの外側。勝者側が辛くもクリアして、九死に一生を、なんて場面がこの日の日米対決でも実際にあった。特に前半、米国側に死票のような得点チャンスが多かったように思う。明らかに数少ないチャンスを得点につなげた日本が、土壇場のペナルテイキック対決も制してしまった、というのが編集者の印象だが、サッカーをよく知る人たちの見方はどうだろうか。

「野球は水物」といった当時の野球部員とともに高校3年生だった年、われらが県立進学高校は、今、高校生の後輩たちが想像もできないような成績をスポーツ面で挙げた。バスケットボール部とバレーボール部さらに剣道部(団体戦)が県大会で優勝し、インターハイ出場を果たす。これに野球部の甲子園出場が加われば長い母校の歴史でも特筆される学年になったのは間違いない。実際にそのチャンスは大いにあったのだ。同級生のエースは1年生のときから抑えとして活躍、1、2年時ともチームをベスト4まで進出させるのに大いに貢献した。そしてチームの大黒柱となった3年時、春の県大会で優勝する。当然、9年ぶりの甲子園出場にOBを含め校内の期待は大いに高まった。練習試合も県内チームは相手にせず、県外の強豪チームばかりだった、と遊撃手だった前述の同級生は言う。

ところが、肝心の夏の県大会で何と1回戦敗退という思いもかけない結果に終わってしまった。「野球は水物」という同級生の言葉は、こうした痛恨の体験に基づいているのは言うまでもない。

なでしこジャパンも、決勝に来るまでにも負ける危機は何度もあったのではないだろうか。サッカーは野球以上に実力を超えたものが勝敗を左右すると思われる。そう考えると今回の快挙が滅多に成し得る出来事ではないことが分かろうというものではないだろうか。

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