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2011年7月9日編集だより

小岩井忠道

昼から宴会というのは要注意だが、年に一度の催しだから「わかっちゃいるけど…」となる。2次会の最後のころ既に記憶はあやふやで、3次会は翌日、先輩に電話でうかがうまで全く覚えがない。家にたどり着くまでに山手線で眠り込んでしまい、1周半以上はしたようだ。

東日本大震災では郷里、茨城も相当な被害が出ている。壊れたかわら屋根の修理は1年待たないとやってもらえない、といった話をよく聞く。毎年、この時期に開いている高校バスケットボール部の東京支部総会も今年は見送ろうか、とほぼなりかけた。しかし、毎年、水戸からも元顧問の先生や先輩、後輩が何人も参加してくれる。念のため郷里の先輩、後輩に意見を聞いてみたら「そんなことをいわずに開いてほしい。こっちも楽しみにしているのだから」という反応。開いてみたら、参加者は約40人と昨年より盛会だった。

少年、少女時代、バスケットボールに熱中した人間の共通点は何か。会合のたびに考える。「猛練習のおかげで、我慢強くなった」。後輩たちは、よく言う。そういう面もあるかもしれないが、もっと大事なことがあるような気がする。自分の運動能力など取るに足りない、と早々と思い知らされることだ。世間ずれしないうちに自覚するところに意味がある。イチロー選手のようにほんのわずかのスター選手は、別かもしれない。しかし、ほとんどのスポーツ少年・少女というのは、練習、試合を通じ、嫌でも知る。自分よりうまい人間は世の中に腐るほどいる、ということを。「おれも5センチ身長が高けりゃなあ」「もう少し跳躍力があれば」などと、時々、ぶつくさ言いながら仲間と一緒に練習を続けるわけだ。

一方、揺らぐことのない不文律があるのは、わが出身高校のバスケットボール部に限ったことではないだろう。1年でも先輩であれば、それだけで敬意を払い、払ってもらえる、という実に素晴らしい決まりである。年下の人間におうへいな態度をとられたりすることなどあり得ない。さらに敬意を払ってくれる後輩は、年々増え続けるのだ。ネズミ講などとは違う。顧問の先生や年配の先輩方になるほど、会に出席するのをうれしがっているのが、実によく分かる。

通信社時代、何年間か新入社員の採用選考作業の手伝いをさせられた。マスコミの人気が相当高いころだ。作文の点数つけと一次面接程度だが、男女とも身上書に複数の運動サークルの名を並べている学生が多かったのを思い出す。人格、度量、知性、バランス感覚、容姿…。人間を判断する物差しはいろいろあるだろうが、とにかくガッツがありそうな人間が過大評価される時代だったのだろう。応援団や運動部・同好会に属していたと書いておけば、採用側の受けも悪いことはない。そんな就活情報が流布されていたらしい。

必死な学生たちが、ちょっとでもプラスになることは、と心がけるのは分かる。しかし、「営業活動なども嫌がらない猪突猛進型」というイメージを、採用側まで元スポーツ少年・少女たちに期待していたとしたら、ちょっと違うのではないか。むしろ爽やかで洒脱、ユーモア感覚にも富む人間が多い。というのが長年にわたる先輩、後輩たちとの付き合いから得た編集者の確信に近い思いだ。

ただし、何事も安易に一般化して言うのは危ない。野球が強いと評判の高校で監督や部員がらみの不祥事が…。何年かおきにそんな話が繰り返される。あれは、息子がレギュラーになれないことなどに不満を持つ親からマスコミへたれ込んだため表面化したのが多い、と聞いたことがある。すべてそうではないだろうが、高校の運動部にもいろいろあるのは確からしい。

まず大勢いるチームメイトに勝たないと試合に出られない。部員数を集めるのに昔から四苦八苦している高校ではまず考えられないことだ。顧問の先生や先輩方、さらに年々増える後輩たちといつまでも仲良くできるのは、そんな県立進学高のバスケットボール部で青春を送れたため、とあらためて感謝すべきなのだろう。

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