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2011年5月26日編集だより

1967年に茨城県で起きた「布川事件」の強盗殺人犯として有罪が確定していた桜井昌司氏と杉山卓男氏の2人に24日、水戸地裁土浦支部は「証拠は何ら存在しない」として無罪判決を出した。逮捕以来、汚名をそそぐのに実に44年の歳月を費やしたことになる。 78年に最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定してから数えても33年。2人は1996年に仮釈放されたとはいえ、今ごろ「証拠は何もない」と認めるまで、裁判所というのは一体何をしてきたのか。そう思って各紙をみたら、やはり東京新聞が25日朝刊の社説で、裁判所を批判していた。「極刑も予想される重罪事犯で極めて早い時期に自白したことは、その自白が任意になされたことを推認させる」。最高裁が上告を棄却した決定の中でそう記述していたのを挙げて「これでは裁判所は有罪を求める検察の“追認機関”である」と手厳しい。 黒か白かどちらかに決めたがる。こういう悪口は理系の人間に対して言われることが多いと思われるが、ちょっと違うのではないか。警察、検察側、特に警察官が、素直に口を割る容疑者ばかりとは限らない中で、何とかクロにしたいと頑張る気持ちは理解できる。同時に、脅迫めいた取り調べなど捜査法に問題がいくらでもあったことを裁判官が知らないはずはない。裁判官が検察官と同じように被告をクロにしたがるようでは、恐ろしい世の中になってしまう。 黒か白か決めたがる、というのは一部の裁判官に言えることではないだろうか。裁判官といえば99%、文系の人間だろう。布川事件の無罪判決のニュースにあらためて思った次第だ。

実は、こうした考えを抱くようになったのは、法医学者、押田茂實氏にインタビューしてさまざまな話を伺ってからだ。押田氏は、足利事件の菅家利和さんが再審で無罪を勝ち取るきっかけとなった意見書を1997年にまとめている。最高裁が菅家さんの上告を棄却し、無期懲役が確定したのは2007年7月のこと。それより10年も前に、菅家さんの人生を狂わせた科学警察研究所のDNA鑑定を誤りと指摘していたわけだ。

この押田意見書が弁護側から最高裁に提出されたのに、最高裁の判事に届く前に調査官(エリート裁判官がなるといわれる)に握りつぶされ、翌08年2月、宇都宮地裁に再審請求する際、あらためて“新証拠”として提出されたが、そこでも「証拠価値が乏しい」としりぞけられてしまう。結局、一部良心的マスコミの報道もあって、東京高裁がようやくDNA鑑定をやり直すことを決定したのは、08年12月のことだった。翌09年の5月に検察側、弁護側からそれぞれ鑑定を依頼された大阪医科大学、筑波大学の教授がいずれも「犯人と菅家さんのDNA型は一致しない」という鑑定結果を提出し、2010年3月の宇都宮地裁無罪判決となる。

こうした経緯の詳細を知りたい方には、1年前に掲載した押田氏のインタビュー記事「法医学の役割-安全で冤罪許さない社会目指し」を読んでいただくとして、「黒か白かどちらかに決めたがる」のはなぜか、という話に戻す。

冤罪(えんざい)が疑われる有名な裁判例に、名張毒ぶどう酒事件がある。東海テレビプロデューサー、阿武野勝彦氏のドキュメンタリー作品『黒と白~自白・名張毒ぶとう酒事件の闇~』(2008年日本民間放送連盟賞優秀賞、08年地方の時代映像祭優秀賞受賞)を日本記者クラブの特別上映会で見て、印象に残る場面があった。元裁判官で、現在は弁護士をしている人物が語った言葉だ。「検察官が自白を引き出すためにまさかそんなひどいことをするはずない。裁判官はそう思いたくなるものだ」。そんな意味のことを言っていた。裁判官も検察官も、さらには弁護士も同じ司法試験を通り、司法研修を受けたという共通の“選良意識“が強いのではないだろうか。裁判官が、死刑や無期懲役を求刑されるような人物の声より、検察官の言うことを信用したいと思いたがる根底に…。

押田氏は、これまで裁判になった事件で再鑑定したことが、20回あるそうだ。足利事件を含め、裁判所が認めたのは押田さんの鑑定を認めたのは5件だけ。「日本の裁判所はどうしてこうも科学というものを正確に理解できないのか」と嘆く押田氏に、「科学的な判断ができないというのはどういうことか」尋ねてみたことがある。「白か黒かはっきりしないものは世の中にいくらでもある、ということが理解できない」。確か、そんな答だったように思う。白か黒か決めたがるのは、むしろ科学に弱い人間ということだ。

「福井女子中学生殺人事件の再審請求証人尋問で弁護側証人として出た後、夕方、名古屋高裁金沢支部で弁護団と一緒に記者会見する」。押田氏から連絡を受けて金沢まで出掛けたのは今年1月下旬のことだ。卒業式を終えた夜に女子中学生が自宅で殺され、犯人とされた男性は終始、無罪を主張したにもかかわらず、高裁で逆転有罪、最高裁も上告棄却して、既に7年の刑期も済ませている、という1986年の事件である。

記者会見を聞いて、よくもこれで一人の人間を有罪にできたものだ、とあぜんとするような内容だった。いずれ、こちらも再審決定、無罪判決という経緯をたどるのだろう。

夜、ホテルのバーで押田氏や弁護士たちと懇談している所に現れたのが、冒頭に触れた「布川事件」の桜井昌司氏だった。「犯人にされたおかげでいろいろな経験ができた」。近々、再審で無罪確定は間違いない、という思いもあったのだろうが、その明るさに感服する。カラオケで披露した見事な声に、素人には難しい歌だと感心して尋ねたら、尾崎豊の曲と教えられた。

「警察、検察が捜査内容を公開しないのはおかしい。税金を使って捜査したのだからそれは国民全体のものだ」。この一言にも感心したことを思い出す。

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