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2010年8月17日編集だより

小岩井忠道

通信社勤務時代の終わりごろ、新設の局に配属された。インターネットを初めとする多メディア時代に対応するという名目で、放送サービスの担当局を核にしていくつかのセンター、部、室などが寄せ集められた職場である。新しい局の名称は現場で考えろという。いろいろ議論し「総合メディア局」にほぼ決まりかけたところ、一人の部長が言った。

「『総合』と名が付く業界は最近、調子がよくないところばかりでは。『ゼネコン(総合建設業)』にしても、『総合スーパー』も」

この一言で「総合」がとれた。記事も見出しも簡潔なほどよい、という業界だ。

こんな話をすると、報道機関というのはさすが現場の人間を大事にするところだな、と思う人がいるかもしれない。そういう面は確かにある。ただ、この件についていえば、上の方は名前などどうでもよかったのでは、と後になって思った。「多メディア時代に対応する組織を」というのは表向きの理由で、本当の狙いは別の所にあった、と。後年、そんな解釈を披瀝したら、積極的に賛同する旧メディア局の仲間はいなかったが…。

メディア局もその後再度の組織替えで解体となり、当時、部長や局次長だった仲間も次々に退職、最後に残った2人のうちの1人がこのほど役員を退任となった。半月ほど前、昔の仲間で送別会となる。その主役が最近ピアノを始めたとのことで、「音楽は数学である」と言う。そのうち「平均律がどうの」といった話になり、にわかに理解できないことを言い出した。「おれは何の曲でもハ長調でしか覚えられない」。そのころはこちらも相当アルコールが回っている。深く問い質しもしなかったが、後日、思い立って「絶対音感」(最相葉月著、新潮文庫)を読んでみた。

この本にも知らなかったことがいろいろ出てくる。バイオリニストの五嶋みどりが、イ(A)の音を440ヘルツで覚え込んでいたため、442ヘルツが当たり前の米国で最初、大いにとまどった、という挿話には驚く。場所によって音の高さにばらつきがあるなら、「絶対音感」の保持者ともてはやされる人たちも大変だ。

さらに、「だれも知らなかった楽典の話」(東川清一著、音楽之友社)には、もっと驚くことが書いてある。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンといった大作曲家がつくった「ハ長調」の曲は、今の「ハ長調」ではない、というのである。「現代のピアノがそれに基づいて調律されているといわれる12平均律も、1800-50年になってようやくヨーロッパで一般的になった」ということだ。

「交響曲に一番合うのはニ長調」だなんてもっともらしい記述を昔、どこかで目にしたような気がする。これも妙な話ではないだろうか。ベートーベンなどがニ長調で書いた交響曲も、今、ニ長調で演奏したら当時と音の高さが異なるというのだから。

1月ほど前、旧知の田中秀男氏に聞いた話を思い出す。立教大学グリークラブOBで、栃木放送を退職した後は、合唱の指揮が本業に、という方だ。審査員を勤められた合唱祭が終わるころを見計らって五反田駅近くの会場を訪ね、ビールを飲みながら聞いてみた。

「音響装置がなかったころ合唱は、音のボリュームが一人の歌手のそれとはまるで違うから、今と比較にならない圧倒的な迫力を持っていたと思う。再生装置でいかようにも音量を増幅できる今日、合唱ならではの魅力とは何でしょう」。一度、ぶつけてみたかった問いだった。

十分に練習を積んだ合唱団が一糸乱れず4つのパートを完ぺきに歌ったとする。他方、4人のソリストが同じ曲を歌い、再生装置で音量を合唱と同じレベルまで高めて聴き比べてみる。どこが違うだろうか―。など二の矢、三の矢の質問も用意していたところ、田中氏の答えは全く予想外のものだった。

「一オクターブ異なるドの音を2つのパートが歌う。すると2つのドだけでなくソの音も聞こえるのです。さらにミの音も」

そんなばかな、と思ったが、周波数と音との関係で、そういうことが起こるらしい。さらにもっと驚くことを聞かされた。

6月20日に板橋区立文化会館で開かれた立教大学グリーフェスティバルに招待された時の話である。最後の曲は田中さんの指揮による「Missa Salve」(トマス・ルイス・デ・ビクトリア作曲)だった。その時は、何とも重厚な曲だという以上の印象はない。

「あの曲でピアノの伴奏なかったですよね」「?」「あの曲のミの音はピアノのミとは違うのです」

これを聞いて、数十年来の疑問が一挙に解けた気分になった。12平均律というのは、1オクターブを周波数で12の等間隔で区切って半音ずつ割り当てた、という分かったようで何も理解できなかったことが、である。

12平均律による「ドレミファソラシド」(ハニホヘトイロ)とは、ド以外の音がすべて本来、本当に耳に心地よい音から微妙にずれている! ようやく腑(ふ)に落ちた。

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