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2010年8月9日編集だより

小岩井忠道

日本学術会議の提言「学術誌問題の解決に向けて-『包括的学術誌コンソーシアム』の創設 -(2010年8月9日ニュース「海外出版社の学術情報独占への対策提言」、レビュー「国際水準に達した国内学術誌は可能か」参照)を読んで、瀬戸内寂聴さんの連載記事を思い出した。日経新聞に毎日曜朝刊に掲載されている「奇縁まんだら」である。

やめるつもりだったのか、単なる中断だったのか分からないが、この連載は数年前に一度終わっている。この“第1部”に出てくるのはほとんどが誰知らぬ人はいないという有名人ばかりだ。それらの人たちが意外な素顔を寂聴さんに見せたという話が次から次と出てくるからつまらないわけがない。終わってしまったときは本当にがっかりした。

それが再開したので、週末の楽しみがまた復活したというわけだ。さて、この手の連載記事に共通することかもしれないが、“第2部”に登場する人物は、“第1部”に比べると魅力にちょいと落ちるという印象がどうしてもぬぐえない。少なくとも寂聴さんが“第1部”で登場させた人たちほどは、ほれ込んでいるわけではなさそうという有名人も出てくる。

2月に登場した小林秀雄氏などは、その人となりの一端を見事に浮き彫りにさせていたようで実に面白かった。下関の料亭でふぐがなかなか出てこなかったら「早くふぐを出せ」とテーブルをたたいてどなったり、博多のバーで「ヘネシーといったらヘネシーを持って来い」とこれまた突然、怒った、といった振る舞いが書かれていた。どなられた相手は、世間的に言えば、弱者とまではいえないにしても、名もない人たちである。それも先方は大家として名の通った人物に敬意を払い、よかれと思って対応したのだ。それを同行の寂聴さんや司馬遼太郎氏たちの前でどなりつけるというのは、相当、わがままで子供じみたところのある人といわれても仕方がないのではないか。などとまあ、にやにやしながら読んだものだ。

実はこの記事、これほど詳しく思い出せるのにはわけがある。ウェブサイトを検索していたら明らかに男性と思われる人が、この記事の感想を書いているブログを見つけたからだ。ことごとく小林秀雄氏の振る舞いを是認しているのに、笑ってしまった。

日本学術会議の提言で思い出した記事というのは、これとは違う。1日に掲載されたばかりの記事で、昔、新潮社の編集長をしていた斎藤十一という人について書いていた。

「小説家というのはね、自分の恥を書きちらして銭を取る商売なんだ。…顔を洗って出直してくるんだな」。ある件で新潮社を訪ねた新人作家の寂聴さんに玄関口で言うと社内へ引っ込んでしまったという。

1958年ごろのことというが、この振る舞いには仰天する。雑誌の編集長というのはそれほど偉ぶっていたのか、と。明らかに小説家の多くを下に見ているとしか思えない態度である。まさか今の雑誌編集長が、同じような言動をするとは到底、思えない。

寂聴さんがそんな仕打ちに遭った時から10年もたたないころ、編集者は大学工学部の4年生でマスコミに入れるところはないか探していた。卒業研究の指導教授が面白がって「NHKの局長をしている義弟に話を聞いてきたら」と段取りをつけてくれた。どういうやり取りをしたか忘れてしまったが、最後に言われた言葉だけは覚えている。

「われわれの仕事は、いろいろな人たちに番組に出てもらって成り立っているのですよ」。たいそうな職業だと勘違いしない方がよい。主役ではないのだから、ということをやんわりと教えたかったのではないかと思う。

学術誌の編集長というのも、論文の筆者である研究者ほどクリエイティブな仕事とはいえないと思う。やりがいがあるかどうかについては、社会的な貢献というものをどう考えるかにかかっているのではないかと思われる。

もっとも編集者のように深い考えもなく、なんとなく記者を続けてしまった人間もいるが。「工場でものをつくっているよりは、多くの人たちともたれあって生きていけそうな仕事の方が面白そうだ」というだけで。

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