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2010年7月25日編集だより

小岩井忠道

10月16日公開予定の映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督、大沢たかお主演)の特別地元先行試写会が水戸で行われた。

幕末の京都を舞台にした東映時代劇は子どものころ何度も観た。通信社に入って京都支局勤務を希望したのも実はそのせいだが、考えてみると小説はさっぱり読んでいない。坂本龍馬や薩摩、長州の勤王志士たちが活躍する話も面白いだろう。しかし、幕末における水戸藩をめぐる動きもまた、複雑で奥深いものがあるのでは。試写を観て、あらためてそんな思いを強くした。

20年以上も昔の話だが、ある時、米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙飛行センターの宇宙物理学者、近藤陽次氏に電話をして驚いたことがある。「これからスミソニアン博物館で行われる日本映画鑑賞会に出かける。上映する時代劇の解説役を頼まれたので」というのだ。

近藤氏は、本業の研究にばかり精を出している人ではない。自宅近くの公共施設を借りて大勢の米国人に柔道を教えたり、SF小説を書いたりという生活ぶりは知っていた。しかし、日本映画についても米国人相手に講演するほど詳しいというのはちょっとした発見だった。桜田門外の変で大老・井伊直弼を暗殺した浪士たちの中に一人だけ薩摩藩士が含まれていた、というのもこの時、近藤氏に教えてもらったことだ。大老にとどめの一撃を加える役割を水戸藩脱藩の浪士たちがこの薩摩藩士に譲った、ということも。

「その薩摩藩士というのは映画で三船敏郎が演じていた人物ですか」。たまたま「侍」(岡本喜八監督、三船敏郎主演、1965年)という作品を観ていたので尋ねてみた。三船敏郎演じる新納鶴千代が「侍ニッポン」という小説(作・郡司次郎正)の主人公で架空の人物だ、とこれまた初めて知る。

高校の後輩たちが中心になって企画、完成させた映画「桜田門外ノ変」の原作者は、水戸・天狗党の軌跡を丹念にたどった「天狗争乱」と同じ吉村昭氏である。試写会の連絡を受け、あわてて原作に目を通す。尊皇攘夷(じょうい)をあくまで貫こうとする水戸藩主、徳川斉昭も通商条約締結やむなしとする井伊大老のいずれも殺すか殺されるかという厳しい状況におかれていたことを思い知らされた。

井伊大老に従い尊王攘夷派に対する大弾圧「安政の大獄」を主導した老中、間部詮勝が大老に送った書簡というのが、原作に出てくる。「(将軍)毒殺の事実が明らかになった折には斉昭に切腹、慶喜を水戸または紀州藩に押し込めるべきだ」と進言しているのだ。間部は、13代将軍、家定の死は斉昭の密命を受けた江戸城の奥医師が毒薬を持ったためと信じていたという。一老中が、将軍に次ぐ地位にある御三家の当主を切腹させ、やがて15代将軍になる御三卿・一橋家当主を押し込めにしろ、などと思い上がったことを主張してもおかしくない。そんな食うか食われるかの状況だったということだろう。

主人公、関鉄之介の愛人で何の責任もないのに、目を背けるような拷問に遭って命を落とす女性(元吉原遊女)が出てくる。こうした庶民も含め、桜田門外の変にかかわる犠牲者の多さに考え込む。権力闘争のすさまじさを映画は手加減することなく伝えていたように思える。同時に、こうした時代においても利他行為が、武士以外の人々の中に健在だったことに大きな希望を与えられた観客も多かったのではないだろうか。

ばれたらどれほどの刑罰が待っているか容易に想像できるのに、多額の資金援助も含め大老を襲撃した旧藩士たちの逃亡を助ける庄屋やその親族、使用人たちがいたということだ。

暗殺の事実どころか大老の死自体を何日間も隠して、彦根藩取りつぶしを避け、水戸藩に対する彦根藩の仕返しも封じてしまった幕府の体制維持の“知恵”、結局、安政の大獄で罪に問われた藩士、桜田門外の変の実行者である旧藩士たちの命を救えなかった水戸藩支配層の“処世術”との対比をいやでも感じさせる作品、ともいえるだろうか。

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