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2010年3月29日編集だより

小岩井忠道

女流義太夫を久しぶりに聴きに国立演芸場に出かけた。和田合戦女舞鶴「市若初陣の段」が主演目だった。編集者にとっては初めての経験だが、演目の前に太夫のレクがあった。女流義太夫の歴史をさらりと振り返り、この演目の見所から、女主人公「板額」がなぜ1人芝居を打ち愛する息子をだましてまで切腹に追い込むか、という謎解きまでしてくれた。

主への忠誠としてわが子を身代わりに差し出す。こうした話は編集者が観たことがある古典の中にもいくつかあるが、竹本越京の解説は非常に分かりやすく、大変ためになった。「菅原伝授手習鑑」と「和田合戦女舞鶴」の違いはかくかくしかじかの理由によると思われる、などなど…。おかげで今回初めてシナリオをほとんど見ずに舞台を楽しめた。

この夜、和田合戦女舞鶴「市若初陣の段」を語った太夫は人間国宝の竹本駒之助だ。よくもまあこの年齢でこんなに大きな声が出るものだ、と感心するような熱演だった。

越京が言うように虚実取り混ぜた登場人物が登場するのは、この演目に限ったことではない。北条政子、源実朝、公暁といった実在の人物に作者がつくり出した人物が絡んで、ありそうでまずあり得ない筋が展開する。これは日本の古典に限らない作劇術なのだろうが、細かいことが気になる人間はなかなか素直に劇の中に入り込めないのが毎度つらいところだ。このうち事実に即したところはどこなのか、などと観劇中からあれこれ考えてしまうから本当の魅力などはいつまでたっても理解できない、ということだろう。

それから鑑賞眼をさらに曇らせるもう一つの癖が直らない。忠義のために親が実の子を犠牲にする。こんな話が日本古典に多いのは、そうしたことに嫌悪を感じる人が大半だったならあり得ないのではないだろうか。どこかで共感する気持ちが日本人の中に脈々としてあるからでは。自分自身はどうか…。などと考えると、おだやかな気分ではいられなくなり、肝心の作品としての魅力に目がいかなくなってしまう。

実は久しぶりに女流義太夫を聴く気になった理由は別のところにある。毎回、鑑賞後に立ち寄る靖国神社そばの寿司店「寿司清」の主人がついに脳疾患の後遺症に勝てず3月末で閉店と聞いたからだ。女流義太夫を聴くきっかけを与えてくださった高校の大先輩、佐佐木鍾三郎氏(元二松学舎理事長、学長)がこの店の60年来の客ということでいつもご一緒させていただいていた。

この辺一帯は太平洋戦争で焼け野原になってしまったそうだが、「寿司清」の先代である父上は同じ場所で最初、鮮魚店を営んでいたそうだ。元は旗本の所有地だから先代を含め、皆、借地だったのがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で土地は実際の使用者のものになる。たまたま隣家は戦後に戻らずそこも含め自分の土地となったという。

「市若初陣の段」では公暁(源頼家の子)が、市若丸の身代わりのおかげで命拾いする。実在の公暁はよく知られているように後年、叔父である実朝を暗殺してしまう。この時、公暁が身を隠していたという鶴岡八幡宮の大イチョウが強風で最近根本から倒れてしまったのがニュースになったばかりだ。この話題が先立ったか、それとも靖国神社は戦災を受けなかったのか、という編集者の質問に対する答えだっただろうか。イチョウという木が火に強く、さらにまな板の材料としても最高級なのだ、ということを初めて寿司清の主人から教えられる。

「築地に行っても知っている人間は1人もいなくなってしまってね」。帰り際、主人の言葉を聞いて、残されたわが人生をつい思ってしまった。二松学舎の教員時代から今までこの店以外で寿司を食べたことがないという佐佐木先輩も、これから寂しくなるだろう。

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