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2008年1月1日編集だより

小岩井忠道

顔というのは特別の意味がある、という産業技術総合研究所のグループによるプレスリリースを見て、面白い研究成果だと思った(1月1日ニュース「サルは顔を特別に識別する機能持つ」参照)。

初対面(あるいはその後も)の人に対する印象は、相手の顔に左右される。こんな覚えがある人は多いのではないだろうか。無論、顔以外のところにほれた、といった人もいるだろうが…。とにかく、今回の研究成果は、顔というのが特別だということを裏付けたものだろうから、大いに気になる。サルの実験だが、恐らくヒトも同じだろう。

若いころ小津安二郎監督に目をかけられ、その後も多くの名監督たちとのコンビで数々の名画を撮ってきた撮影監督、川又昂氏に昔、聞いた話を思い出す。「砂の器」や「黒い雨」と言えば「アー、あのすばらしい映像を撮ったカメラマン」と思い当たる映画ファンも多いのではないだろうか。編集者の高校(旧制中学)の大先輩である。

川又さんは、自分が撮影した映画で、100人くらいの女優を撮ってきたそうだが、ほとんどの女優というのは左方向から撮った横顔の方が美しいというのである。浅丘ルリ子などは、典型だそうだ。彼女は「博士の愛した数式」(小泉堯史監督・脚本)でも重要な役で出ていたので、あるとき小泉監督にその話をしたら「本人も自分からそう言っていた」ということだった。

川又さんによると日本の女優に限った話ではないそうだ。左右両方の横顔ともよいというのはソフィア・ローレンなど数少ない、というのである。ではどうしてそんなことが起こるのか。

「女性は赤ちゃんを抱くとき、大体が左腕で頭の方を支える形が多い。赤ちゃんは、母親の左側の横顔を見続けるということになるので、女性の顔もそちらから見られた方がきれいになる。そんな説もある。ほんとかどうか分からないが」。川又さんはそのようなことも言っていたが、これは信じがたい、と思ったものだ。それより人間は右利きが多いので、ものをかんだり、あるいはしゃべったりする場合、どちらかの方の筋肉が動きやすい。となれば、動きやすい方の筋肉をより使うことになる。その結果、左右の容貌もいつの間にか違ってくる。よく動かした側がきれいに見えるようになるのか、逆なのかは分からないが…。そんな珍説を酒席などで披瀝して、結構、いい話の種にさせてもらったものだ。

今回のサルの実験結果は、顔だけ特別の対象として認識する仕組みが、サル(多分、ヒトも)に備わっているということである。生まれたばかりのヒトの赤ちゃんも、母親の顔つきがどうかしっかり見分けている可能性が高いということだろう。研究結果によると、最初に見た顔が、サルかヒトかで、顔を見分ける能力は決まってしまうというから面白いし、恐ろしい。もし、仮に生まれてしばらくヒトの顔を見せず、サルの顔ばかり見せていると、サルの微妙な顔の違いは見分けられるのに、ヒトの表情は同じようにしか見えない人間になってしまうということらしいから。

そこで、もうひとつ思い出したことがある。昔、聞きかじりの“知識”で、遺伝学者の大野乾氏(遺伝子重複説などで知られる)に質問し、一笑に付されたことだ。「ヒトは母国語は簡単に覚えられるが、第2の言語になると、とたんに学習しにくくなる。DNAにそうした仕組みが刻み込まれている、という説は本当か?」。これに対する、大野氏の答えは明快だった。「ヒトが言語を獲得したのは、人類の歴史の中でごく最近の話。そんなものがDNAに組み込まれているなどということはあり得ない」

その時、編集者としては、少々、がっかりしたのである。英語をはじめ、外国語がどうしても覚えられない。それが、自分の頭のせいではなく、DNAではじめから決められていることだとなれば、だいぶ気も楽になるではないか。そんな勝手な願望が、にべもなく否定されてしまったからだ。

今回の研究成果が、サルだけでなくヒトにも通用するとなれば、言語と違って、顔を見分ける能力というのは、人類の歴史が始まった当初から備わっていたのだろうか。どんな仕組みでこんな能力がサルやヒトに備わったものなのだろうか。

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