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2007年11月6日編集だより

小岩井忠道

文化勲章を受章した有機化学者、中西香爾氏にインタビューしたのは、20数年前のことだ。ニューヨークにあるコロンビア大学の研究室だった。既にセンテニアル教授というポストを大学から贈られていたことは、そのときご本人からも伺ったので覚えている。しかし、センテニアルが「100年に一度しか現れない希有な才能」という意味だというのは、今回、ウェブサイトを見て初めて知った。

これぞというものがない研究内容を紹介するのも難儀だが、中西氏のように多様な研究業績を上げている人を数十行の記事にまとめるのも大変だ。一つの成果だけを取り上げにくい。そのせいだろうか。記事にしたときに氏の特技である手品についての記述が長くなってしまったらしい。デスクにその個所をだいぶ短くされた。

氏の手品の腕前は、研究者の間では有名で、学会の主催者から「研究報告の合間にやってほしい」というリクエストがしばしばあったとのこと。「学会に出かける前にいろいろ考えて用意した手品の小道具をバッグに詰めていると、妻から『何でそんなばかなことをしているの』と言われてね」。この面白い言葉も記事には入らなかった。

連載記事は、米国で活躍している著名な日本人科学者たちの話から、日本のアカデミズムがいかにぬるま湯に浸っているかを浮き彫りにする内容となった。社に海外取材を認めさせた時の理由は、将来ノーベル賞を受賞しそうな在米の日本人学者を紹介する、というものだったが…。

インタビューした研究者たちが日本の研究体制を一様に批判していたのだからしようがない。これら日本人研究者たちが、自分たちの研究グループを抱えるのに必要な研究助成金を得るため、毎年、必死の思いをしていたのに対し、日本国内はといえば競争的研究資金というものが、ほとんどなかった時代である。

「私たちプロ野球選手のようなものよ。成果を挙げないと、研究ができなくなってしまう」。おしどり研究者として知られる免疫学者の石坂照子さん(夫の石坂公成氏ともども、当時ジョンズ・ホプキンズ大学教授)の言葉に、笑ってしまったのを思い出す。

ニューヨーク、ボルチモア、ロサンゼルスと回りインタビューした研究者の中で最も舌鋒が鋭かったのが、中西氏だった。文化勲章受章を伝える写真は、だいぶ柔和に見える。手品は、米国という競争社会で生きる日本人研究者としての“サービス精神”だったのだろうか。ふとそんな想像をした。

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