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2007年11月1日編集だより

小岩井忠道

演奏家の評価というか、人気というものはなかなか難しいものだと、あらためて思った。

2003年に日本でも公開された中国映画「北京ヴァイオリン」に主人公の愛弟子役で出演し、かつ、作品中に流れるヴァイオリンの曲を演奏して一躍有名になった李傳韻(リー・チャンユン)の演奏を東京文化会館小ホールで聴いた。最初に聴いたときに、こんなにうまいヴァイオリニストはいるのか、と思い、その後毎回、高校の同級生たちを誘って聴いている。皆、例外なく感心し、満足する。

演奏会を毎回、主催しているコンサートマネージメント会社「デュオジャパン」の友人に、「数年たったらチケットが簡単に手に入らなくなるのでは」と感想を述べたことがある。だれもが知るような演奏家になって、チケットがすぐに売り切れてしまい、わが方に回ってこなくなると困ると思ったからだ。

ところが、今夜の客の入りは、前回より明らかに少ない。首をひねってしまった。

立ち居振る舞いからして「自分の音楽は高尚、深淵なのだ」という雰囲気を放出しているような演奏家もいる。しかし、李傳韻は正反対だ。やんちゃ坊主が、そのまま大きくなってしまったような感じなのである。体型もずんぐり、しぐさも愛嬌があり、とりわけうまく弾けたと自分でも感じているらしい、と明らかにわかるような仕草をすることさえある。こちらは、毎曲、毎曲驚嘆してばかりなのだが。

昔、音楽の教科書でパガニーニが出てきたとき、大音楽家というようには書かれていなかったような気がしたのを思い出す。超絶技巧派のヴァイオリニストは、音楽史においても、現実の演奏活動においても損をしているということはないのだろうか。

好きこそものの上手なれ。そんな言葉を思い出した。退屈な基礎的反復練習を人一倍、一生懸命にやった時期を経たからこそ、こんな演奏もできる、という想像が、この演奏家からはしにくい。子どものころからヴァイオリンを弾くのが楽しくて楽しくてしようがないから、こんなにうまくなったに違いない、としか思えないのだ。

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