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2007年8月14日編集だより

小岩井忠道

猛暑で熱中症になった甲子園球児も。そんなニュースが伝えられる中(13日)、炎天下でテニスをして、暑さをいやほど実感した。

スポーツ記事は、豊田泰光氏のコラムしか読まない。もう何年もそんな時期が続いているが、最近、この人はちょっと違うなあ、と感心する人がいる。元東京大学総長の蓮實重彦氏だ。日経新聞14日朝刊スポーツ面のコラム欄「スポートピア」に、サッカー日本代表監督のオシム氏と日本人の多くのサッカー観(スポーツ観でもあるか?)のどうしようもない落差について書いている。

「スポーツの魅力はゲームの『過程』にあり、『結果』だけをうんぬんするのは、運動の否定につながると考えているからだ」という蓮實氏のスポーツ観には、まさに「同感」というほかない。「運動を計測可能なその軌跡に還元したって意味がないと思っている」という言葉にも、その通りだと思う。

編集者がスポーツ記事を読まなくなったのは、「肩の力を抜けと監督に言われたのが…」のたぐいのコメントをいかにも大事な話のように伝える記事があまりに多すぎる、というのが理由の一つだ。今のスポーツ記者に言わせたら「いつの話だ」と怒られるかもしれないが。

「運動とはまぎれもなく聡明(そうめい)さの問題だと思う」という蓮實氏は、「代表メンバー選出の基準の一つは、頭の良さということだ」というオシム監督に「素直に同意」している。さらに「頭の良さ」ということについては、次のように書いている。

「ゲーム中に瞬時の判断で自分の動きを修正できるか、そして、相手の力を客観的に把握しうるかということだ」

スポーツ選手の力量を測る上で、こうした見方が的を射ているということでは、編集者も全く異論がない。そして、そこまで分かる観客というのも、そんなにいないのではないだろうか、とも。ジャーナリズムというのが、ごく一部の目の肥えた人々だけでなく、できるだけ多くの人々の関心を引きそうな話を盛り込まないと成り立たない、と考えれば、スポーツ記事のありようもまた、そうならざるを得ない、という気もするし。

スポーツの魅力が何に近いだろうかと考えるとき、舞踊ではないかと、最近、よく考える。ただし、舞踊の場合、相手がいる場合もあるが、スポーツはとにかく相手によって自分の動きを変えなければならないという違いがある。舞踊は、基本的に再現性があり、その日によって踊り手の動きがまるで違うというのは許されないだろう。となれば、やはりスポーツと舞踊は違うということになるだろうか。(最もこれも1面的な見方にすぎないかもしれない。フィギュアスケートのように動きが自己完結的なスポーツもたくさんあるから)

ただ、スポーツは、後知恵であのプレーはどうだったかなど文章で表現するのが土台無理な身体表現の一つ、と考えるべきではないかという気がしてならない。これだとスポーツ記者は飯の食い上げになってしまうかもしれないが。

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