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2007年8月13日編集だより

小岩井忠道

金子敦郎氏のインタビュー記事「世界を不幸にする原爆カード -ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた」の最終回を掲載した。原爆投下は必要なかった。しかし、トルーマン米大統領やバーンズ国務長官は、原爆を投下せずに日本に降服を迫る外交努力をあえてしなかった、というのが氏の長年にわたる取材、研究結果に基づく結論であることがわかる。

インタビューの最終回に、「仮に米国が原爆投下の警告や天皇制維持などの情報を原爆投下の前に日本に伝えたとしても効果はなかった、などと言う日本の多くの学者たちがいる」というくだりがある。米国が外交努力をしたところで効果はなかったのだから、原爆投下は避けられない面があった、という見方が日本の識者の多数意見だとすると、産経新聞12日朝刊の「正論」、鳥居民氏の「原爆投下と終戦の3つの誤解」も、金子氏と同様、少数意見ということになるのだろうか。

鳥居氏は、熊田亨、猪木正道、麻田貞雄3氏の主張を紹介し、それに反論する形で自説を述べている。

まず、熊田亨氏の「トルーマン大統領にとって、原爆投下は苦悩の果ての『大いなる決定』ではなかった。…『広島』は数百万のアメリカ人と日本人の生命を救い出したと信じて疑わないからである」に対しては、次のように反論している。

「トルーマン大統領は原爆投下の前後には躁状態だった。…その恐ろしい爆弾が自分のものだと知って興奮したのである。すべての部下たちの提言、忠告を無視して、かれは原爆を日本の都市上空で爆発させた。…だが、…この平凡人は原爆投下の問題について数え切れないほどの嘘をつづけている間に、自分はとんでもないことをしてしまったのだという大きな後悔が胸中に留まるようになったのだと私は理解している」

また、猪木正道氏の主張「ソ連という侵略国家に、米、英両国と日本との間の講和のあっせんを依頼した愚劣さは、無念というほかはない。…」に対しては、次のように。

「日本が和平仲介を求めて、ソ連に特使を派遣しようとしていたことは、アメリカ側が日本の外交電報を解読していたから、トルーマンは全てを承知し、原爆の都市実験を終えるまで、日本を降伏させないことがかれの最も留意することになった。…」

最後に麻田貞雄氏の主張「原爆投下なしに日本が1945年8月に降伏した可能性は極めて少なかった。B29空襲による被害だけでは、天皇は『かくなる上は止むを得ぬ』といわなかったであろう。…」に対しては、以下のように反論している。

「新編成のアメリカの太平洋艦隊がギルバート諸島を制圧したとき、ルーズベルトの明日の課題は、すでに日本のことではなく、日本敗北のあとに起こる中国の内戦を阻止することにあった。こうして日本を一日も早く降伏させ、中国大陸の日本軍を混乱なく降伏させることが、対日政策の基本となった。そこで、何らかの理由で原爆が使用できないことになれば、ルーズベルトの後を継いだトルーマンは、5月末に天皇保障の条項を明記した対日宣言を発表し、日本は6月中に降伏したはずである」

鳥居氏の論説はもっぱらトルーマン大統領が果たした役割とその資質、能力を問題にしており、金子氏がトルーマン大統領と同じくらいその責任を重視するバーンズ国務長官には触れていない。しかし、これは字数が限られている制約からあえてバーンズには言及しなかっただけではないだろうか。

金子氏も「米国が原爆投下を避ける外交努力をしたなら、天皇はもっと早く決断したのではないか」と言っている。金子、鳥居両氏の原爆投下をめぐる認識、結論に共通するところが多いことに驚く。

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