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2007年8月6日編集だより

小岩井忠道

高校の先輩の通夜に出かけ、同じ高校の大先輩と焼香を待つ列で隣り合わせとなった。ドイツの文豪ゲーテに関する資料の収集に人生の大半をつぎ込んだ粉川忠氏について耳にしたことがある人は、年配の方なら多いと思う。氏が一生かけた成果は、東京都北区に立つ東京ゲーテ記念館に整理されて、膨大な資料類が一般の利用に供されている。通夜で久しぶりにお会いしたのは、忠氏の末弟に当たる粉川幸男氏だった。

小説家の阿刀田高は、忠氏をモデルに「ナポレオン狂」という短編を書き、直木賞を取った。この本は、ナポレオンの崇拝者である主人公がナポレオンにそっくりの男を自分だけの所有物にしたくなり、殺して剥製にしてしまうという話だった。忠氏に不快な気持ちはなかったらしいが、阿刀田氏は考えるところがあったらしい。後に忠氏を主人公にあらためて「夜の旅人」という伝記小説を書いている。

忠氏を長兄とする粉川4兄弟の父上は、今は水戸市になっている山根村というところの村長だった。村長になる前は小学校の校長も務めている。「長男は自分の後を継いでほしい」という父親の意向で、忠氏は茨城師範学校に入り卒業する。弟3人は皆、旧制水戸中学に進み、高校は旧制水戸高校や旧制浦和高校など異なったが、3人とも東京帝国大学に進んだ。

1人だけ、別の道を進まされた忠氏は結局、教師になることを拒否し、単身上京してしまう。その後、味噌すり機の開発、販売が成功し、その収入のほとんどすべてをゲーテの資料収集に注ぐことになる。少年時にゲーテを読み、そのとりこになったというのが理由だ。編集者は、生前の忠氏にお目にかかる機会はなく、もっぱら幸男氏からの話の受け売りをしているわけだが、だいぶ前に東京ゲーテ記念館を見学した際、「義父には大層、可愛がられた」とおっしゃる忠氏のご長男夫人から聞いた話も面白かった。晩年、忠氏が読みふけっていた本が何かというと、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」だったというのだ。

たまたまのめりこんだのがゲーテで、ひょっとしたらその対象はデュマでもよかったのかも、というご長男夫人の話に笑ったことを思い出す。

粉川兄弟と、編集者の伯父、父の兄弟は育った時代、場所が重なり合っている。忠氏を除く全員が旧制水戸中学を卒業している。末弟の幸男氏は父の1年後輩だ。当時、師範学校というのは1年生から入学する生徒と、旧制中学を卒業した後、高学年に編入する生徒がいたらしい。父の兄(伯父)は、忠氏と違い旧制水戸中学を卒業して師範学校に編入した。茨城師範学校を卒業して小学校の教師になり、亡くなるまで郷里を離れたことはない。

この当時、長男だから地元に残らなければならないという理由だけで、師範学校から教師という道を進んだ人間は、少なくなかったのでないだろうか。前に何度か粉川幸男氏の話を伺った時にも感じたことをあらためて思い起こした。

初中等教育の立て直しが、日本にとって重要な課題になっている。しかし、教師にふさわしい人材の確保という問題一つとっても、今は昔と比較にならないくらい難しくなっているのではないだろうか。

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